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第23話 魔術師の秘密 3

 硝子の塔の階段をあがっていくと、自室の前に二人の人物が待ちかまえており、静湖(しずみ)は驚いた。望夢(のぞむ)と日蔭であった。


「ひょっとして、待っていてくれたの?」


 信じられない気持ちで静湖は問いかける。王位継承者らしからぬ姿勢で床に座っていた望夢が、服の(すそ)をはたいて立ちあがった。


「心配でしたから。ひどい顔ですよ、兄様」

「あ、これは……」

「なにかおありになったのですね」


 扉脇に立っていた日蔭が口を挟む。本当になにかあったときにこそ、そう言ってくれる侍従なのだろう。静湖は日蔭のことをよく知らなかったが、気づけば言葉はあふれだしていた。


「あの、その……大切な人に、大切な人がいたら……その人の一番になれなかったら、どうしますか……?」


 口にしてから、それは御影のことだと明白であると気づいたが、静湖はもう物怖じしなかった。

 そうですね、と日蔭は口元だけ笑んで目を伏せた。


「愛の種類はひとつではない」

「え……?」


 日蔭は静湖と優しく目を合わせた。


「愛の種類はひとつではありませんから。同じ種類の愛ではなくとも、想い合っているということはある、と私は思います」


 静湖はなにも言葉を返せなかった。日蔭の言ったことは半分もわからない。それでも言葉の中に、今の自分の救いとなるものを感じ、心が温まった。


 静湖は二人に丁重に礼を言って別れた。

 誰もいないはずの暗い部屋に入り、静湖はほうと息をつく。


「やぁ、こんばんは」


 はっと見れば、白流が寝台に腰かけていた。


「君、また……!」

「面白いところへ連れていってあげる」


 白流はにぃと笑って静湖のもとへ歩みより、逃れる間も与えずに両手をとった。



 奥の院は王宮の基部より南、離れとして独立して立つ塔である。国王天海は久方ぶりに奥の宮から呼びだされ、夜の奥の院にいた。


 ()()()()()()()()()()()()。心配して損をした、と夜の(しとね)から抜けだした天海は内心でうそぶく。


 塔のバルコニーから、ひとりあおぐ夜空。雲の多い夜だが、月がかかっていた。


 天海は先刻、果てる間際の〝彼女〟の言葉を思い返していた。


〝私、更紗様じゃないけれど、更紗様みたいになりたい……っ〟


 あれはどういう意味だったのだろう?

 彼女は正妃であり、今では誰もが認める天海の妃。奥の宮とまで呼ばれ、彼女こそがこの国の王妃だ。前の妃である更紗に嫉妬(しっと)する理由など見当たらない。それとも卑賤(ひせん)な生まれのことを気にしているのか? ()()()()()()()()()()()()()()()


 男性である己は、どれだけ近しくとも、彼女の心には踏みこめない。やすやすと性の境界を超えていく彼女は、心どころか存在そのものをも、同性異性という枠組みではとらえさせてくれない。


 あるいは彼女が更紗に嫉妬するとしたら、更紗は王子静湖の母だという事情だろうか。

 それは、しかし、天海にとっては──。



 同刻、御影は夜の屋上庭園のあずま屋で、熱を冷ましていた。

 夜空をあおげば愛しい人のことが胸によぎる。


 ──私は更紗様をお慕いしている。


 生まれの身分や性はどうあれ、それは()()()()()()()()()


〝私、更紗様じゃないけれど、更紗様みたいになりたい……っ〟


 なんであんなことを言ってしまったのだろう。自分と天海はともに更紗に振られた男であるに等しい、と御影は思っている。対等だ、その点では。


 でも、と御影は自身の女のような手を見つめる。


 自分の中に生きる、()()()()()()()()()()()は、幼なじみの天海を狂おしく求める。


 幼い頃から、奴隷の生まれの自分が師のもとで修行にはげみ、宮廷魔術師にまで登りつめたのは、すべて天海の役に立ちたかったから。かごの鳥の寵妃(ちょうき)になど甘んじるつもりはなかった。


 そして御影は、自分が想いを寄せる第三の人物のことを考える。


 もう、彼は子どもではなかった。

 自分が告げたことを、今もあの硝子の塔の部屋で思い詰めているかもしれない。


 ──静湖を愛おしむ気持ちに、名前をつけることはできずにいた。


 更紗様の息子だから。天海とともに成長を見守る王子だから。相手がその枠にとどまっていてくれるなら、それ以上気持ちを色づけることはない。それ以上など、踏みこめるはずもない。


 だが二年の旅の間、脳裏によぎるのは彼の顔ばかりだった。その旅は彼のためのものだった。彼に聴かせるためたくさんの魔法を集め、彼に会いたさに帰路を急いだ。


 それ以上を望むのは、自分にとっては出過ぎたことだ。


「私は……」


 魔法で日々性別を変え、王宮中を偽っている、魔術師であり妃である自分。


「その生き方を恥じたことは、ない」


 長い黒髪の先が、あずま屋に差す月光を受けて幽玄な色に揺れた。金とも銀とも言い表せる波打つ髪が、魔法がかかりきらなかったように御影の髪先に──。


 風の中に白いものが舞うのが目につき、御影はあずま屋を出た。


 ちらついていたのは、雪であった。

 雪はひとひらひとひら、庭園の地面や夏の草花の上に落ち、その場所が薄く光って、凍りついた。


「これは……!」


 そのとき、ばたばたと下位の宮廷魔術師が数人で走ってきた。


「御影様、こちらにいらしたのですか」

「敵襲です!」



 静湖は北の塔の屋上で震えていた。うずくまり耳をふさぐ横で、白流がかがんで静湖の顔をのぞきこむ。


「そんなに衝撃だったのかい」


 寄せられた白流の顔を腕ではねのけ、静湖は大声で叫んだ。


「ちがう! 御影は奥の宮様じゃない!」


 奥の院の寝屋でのことを、静湖は白流に手を引かれ、幻を見るごとく目にしていた。大好きな御影が、奥の宮として天海の腕に抱かれ、いつもの姿に魔法で戻っていくまでを。


「痛ててて……でも伴侶だって言ってたんだろ」


 静湖はびくりとして白流を見あげた。夕刻の御影の言葉が蘇る。


〝いつかはお伝えすることになると思っていました。私は天海陛下の伴侶です〟


 それは静湖だけに向けられた御影の告白であったはずなのに。


「なんでそれを──」

「御影も苦労したろうね。奥の宮と宮廷魔術師の二役で、国中をだましてたんだから」

「だましてなんか──」


 白流はゆがめた顔で面白そうに笑った。


「ふぅん? まぁそろそろ立ちなよ。とっておきの舞台がはじまるから。ほら、雪だ」


 静湖ははっと空をあおいだ。


 頭の上に落ちてきたもので、髪の一部が氷結した。

 曇った夜空から舞い落ちる雪は、塔のあちらこちらをうっすらと凍らせていく。


 気づけば白流はいなくなっていた。


 と、静湖は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 かすかな悲恋めいた音楽とともに、その声が聞こえてきた。


〝ここから落ちて死んだら、すべてが終わる。すべて解放される。この胸の壊れてしまった音楽も、ずっと猛り続ける音楽も〟


 あっと思う間もなかった。痛切に叫びあげる曲にのって、自分はふらりと塔の向こうへ落下した。塔から落ちる瞬間、暗い曇り空の向こうから、すべてを呑むような交響とともにせまりくるものが見えた──白い飛龍だった。交響が吹雪き、飛龍は空を渦巻かせた。旋律が、伴奏が、通奏低音が、雪や(あられ)に姿を変えて荒れくるった。


 塔から落下したのは夢か幻か、静湖は交響の渦に呑まれたのち、塔の上で誰かに抱きとめられていた。


「御影……」


 泣きだしそうな顔をした御影が、そこにいた。魔法でやってきたのだろうか。僕は塔から落ちたの? 御影が引きあげてくれたの? 僕が危ないとき、いつも助けてくれる御影……静湖の思考はまどろみに呑まれていく。


「静湖様、これはとても悲しい魔法です」


 静湖の周りに、紫と緑の光が円陣となって広がる。


「さよなら静湖様、どうかご無事で」


 最後に目を開けて見た御影の顔が、舞い散る雪で凍りついていく。

 御影の姿は、あたりに響く音楽とともに、刹那、かき消えた。



 その晩、波空国王都は白き交響に呑まれ、大雪の中に沈んだ。

 山の上に孤立する王都の人々の安否は、他の街に伝わることはなかった。


〈第二番おわり〉

〈幕間につづく〉

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