第19話 宙の庭 3
息を詰めて成り行きをうかがっていた静湖は、そろそろと御影のもとへ寄っていった。
「大丈夫なの……? 御影と白流は、敵同士なの?」
御影は口元だけでにこりと笑んでみせた。
「平気だといいのですが。なかなか厄介な〈流〉と出会ってしまいましたね、静湖様。ところでお声のほうは──」
静湖は顔を赤らめ、うなずいた。今は自分の声どころではない。
「あの〈流〉、白流は、願いの木のときから僕を狙ってた。今日は奥の宮様のもとから僕を連れて逃げだして……奥の宮様は僕を捜していると思う」
「……お会いになられたのですね」
「ねぇ、御影はこの家を知っているんだね? ここは結良さんの家? 奥の宮様も御影も、結良さんの弟子なの?」
静湖の問いに、結良と御影が顔を見合わせた。白流がなにをしたか、どこへ消えたかというときに場違いなことを訊いてしまったか、とあわてて取りなそうとすれば、結良が御影の肩をこづいた。
「おまえが答えたらどうだ」
「え、ええ……ここはもともと、私が魔術の修行をした家です。それが今は〈宙〉という〈流〉たちの次元に再現されているようですが。そして奥の宮様のことは……、まぁ、そうとも言えます。奥の宮は結良師匠の直弟子です」
「そうなんだ」
奥の宮のことは今は話題にすべきではなかったのだ、と静湖は悟り、話を転じた。
「白流は、どこへ?」
「おそらく外だ」
結良は苦々しく答えた。
「人の姿をとっているのは、白流という音楽のたった一部。この家以外の外の景色そのものが、白流という交響だ」
三人は改めて窓の外を見た。
そこには雪の都市の遺跡が広がっている。
二階の窓の向かいには、五角形の建造物の平たい屋上が続いていた。左右隣には、六角形や八角形の建造物。それらは鉄筋の骨組みだけで、何世紀も前に打ちすてられた様子だ。建造物同士は飛び移れそうな距離にひしめきあい、深い雪に埋もれている。
はるかな時の中、洗いざらしになった多角形の街が、白銀の深雪に沈んでいる──それらは皆、幻影かもしれない。つい先刻まで、そこは虹色の草原だったのだ。
と、雪景色の上でごぉぉと風音がした。
見れば、一騎の飛龍が空を舞っていた。
「あれは」
「白流という交響の流れの本体、旋律が可視化したものだ」
御影と結良が窓を開け放ち、天をあおぐ。静湖も二人の横から身を乗りだした。
雪間の幻かのような華奢で流麗な細い体。大小二対の翼。ふさふさとした毛が流れ、長い尾の先は刃物のように尖っていた。顔は、太古の幻獣といわれる龍そのもの。精悍だが幼さも残り、白流だといわれればうなずけた。
龍は上空で何度もひるがえる。翼は風を興し、軌跡にはきらきらと光の粉が舞った。
「ああ、美しいな……非常に困った事態だとはいえ。白流の主体が人の姿をとっているときは他愛ない歌、あのような飛龍の姿をとるときは吠え猛る交響曲だよ。今まさにこの世界は、新たなる交響曲を奏でている」
結良は夢見るように目を細める。
三人はしばらく、飛龍と銀世界に見入っていた。
「外に出てみよう」
「はい。静湖様は、ここでお待ちください」
諭すように言われ、静湖はとっさに御影の服の袖をつかんだ。のぞいた腕の紋様がまがまがしい。今離れてしまったら、御影がどうにかなってしまうのではないか、と不安だった。
「お願い、僕も連れていって」
「……わかりました」
御影が口笛で旋律を吹く。
体がふっと軽くなったかと思うと、静湖は御影の両腕の中に抱えあげられていた。
「あっ、あ──!」
「行きますよ」
御影はそのまま窓枠を蹴り、軽々と外の世界へ翔んだ。
冷たい空気が頬をかすめる。雪の街が視界で踊った。御影の顔がすぐそばにある、心臓は跳ねあがり意識は飛びそうだ……。が、気づけば御影は五角形の建物の深雪の上に着地し、静湖を隣に降ろして立たせていた。結良も続いてやってくる。
その直後、飛龍が音を立てて、三人の真上を低くかすめていった。
翼ではたかれたり、尖った尾に当たったりすれば、ただではすまない。上空を舞う姿を見るのとは比べものにならない身の危険を感じ、静湖は息が止まりそうになる。
同時に結良の家の二階から、交響曲が響きだした。先ほどの交響曲第七番の続きの第二楽章だった。奇しくもそれは、第一楽章で歌われた遺跡が雪崩に呑まれて沈んでしまうという、劇的で悲愴な雪の楽曲だった。
「曲を力として取りこむつもりでしょうか」
家を振り向く御影に、結良はため息をついて答える。
「それもあるだろうが……。この場のすべてが白流という交響であり、あの楽曲は白流の手の中の玩具のようなもの。慣れ親しんだ曲かと思っていたら足をすくわれるぞ」
ゆっくりと語り合う暇はなかった。白流は再び低空に降下してせまってくる。あたりには深い悲哀を叫ぶごとくに木管楽器の音が響いていた。静湖もよく知る旋律を気流として、響きに翼を乗せ、白流はこちらを一直線に目指してくる。と思ったとき、旋律の一部がもとの曲にはない形で跳ねあがり、白流もともに上空へ舞いあがった。
「挑発しているな」
結良は片手を水平にかざし口笛を吹いた。光の帯が弧を描いて、三人の上を駆けていく。半球状の魔法の盾が出来あがり、皆を守るように輝いた。
「隣へ移ります、狙いは私だけでしょうから」
御影が斜め向こうの六角形の屋上へと跳びうつる。結良の魔法の盾は、きらりと球の形に御影を守りながら写しとられていく。
「戦うつもりか、気をつけろよ!」
静湖はびっくりとして、うしろに残った結良を振り返った。
「戦うって? 御影が、あの龍と?」
「白流の音楽はふくれあがり、感情的に暴走状態だ。御影の紋様を解くよう説得するにも、まずは曲調をなだめなくては」
「戦ってなだめるの?」
「──君は〈流の祭司〉だとか」
名乗ってもいないことを結良に言い当てられ、静湖ははっと身を引く。
その間にも隣の建物の上で御影が、何度もせまり尾を振りまわす白流とやりあっていた。どこかから出現させた魔法の杖をかざした御影の周りでは、星が弾け、色とりどりの隕石が軌道を描いて飛び交う。両者の力がかちあうとき、場の音楽は跳ねたりゆがんだりと響きを変えた。
結良は片手を伸ばし、防壁の魔法を強めるかのように光の波を送って援助をしながら、静湖に語りかけた。
「君も〈流の祭司〉なら知っておくがいい。白流は〈流〉の王のひとつだ」
「〈流〉の王?」
「〈流〉の中でも、あんな飛龍や人の姿をとるほどの力を持った存在は稀だ。〈流〉の中の〈流〉、〈流〉の王と呼ばれている。いくつかそういった〈流〉の王が確認されてきた。生まれては消える通常の〈流〉には名などないが、〈流〉の王には特別に、彼らのまとう音楽にちなんだ色の名が送られてきた──白の交響〈白流〉というように」
静湖は御影の様子に気が気でない一方で、話に引きこまれていく。
「〈白流〉の正体は、あの飛龍を含むこの銀世界のすべてだ。それはこの〈宙〉においては景色や姿として表れているが、外の世界では音楽に聴こえる。今頃、未知の交響曲を聴きとっている作曲家がいるかもしれない。交響曲『雪』あるいは『白の世界』と……外の世界の楽曲の多くは、そうやって生まれてきた」
静湖はすっかり話に捕らえられていた。
今、目の前で起こっている戦いが、外の世界に音楽として伝わっているという。それは響いている交響曲第七番とはまったく違う曲でありながら、この場そのものを表した音楽なのだろう。
〈宙〉において〈流〉が舞うとき、そのように音楽が誰かのもとに届くのであれば。〈流〉は音楽に宿る力であるといわれながら、〈流〉と音楽の関係は謎に包まれていたが、ここにひとつの答えがあるのかもしれない、と静湖の心と体に震えが走った。




