第2話 魔術師の帰還 2
階段をくだりきり吹きぬけの回廊に至ると、朝の祈りの歌が風の中に響いていた。象牙色の円柱が立ち並び、赤い煉瓦畳が城外へと続く。
回廊脇の講堂で歌うのは、宮廷魔術師たちだ。
彼らは王宮に住みこんで、この波空国に仕えている。
御影も、そこに戻るのだ。静湖と同じ城で、また昔のように暮らしてくれる──がらがらと荷車を押す手を止めて、静湖は服の山に目を落とす。
あの頃着ていた服も、いくつかはここに……。
「静湖様」
柱の向こう、庭園の木陰から呼びとめられ、静湖ははっと振り向いた。
世話係の日和だった。
薬草園の世話のための如雨露を手に、優美な茶と白の給仕服を隙なく着こんでいる。星のブローチが、誇らしげに女性らしい胸の上で光る。静湖は目をそらしうつむいた。
「見つかっちゃったね、日和」
「そのお洋服、どうなさるんです」
「捨てるんだ」
えっと驚きながらも、日和はなにかを思いやるまなざしを静湖に向けた。
「いいんですか」
うん、と静湖がうなずくと、日和は如雨露を柱の横の花壇に置き、荷車に手を添えた。
「お付き添いさせていただきます、風も強いですから」
ありがとう、とは言えなかった。
日和と並び、静湖は回廊の外の世界へと服を運んでいった。
*
王城の門番は、この暁の刻の通行人が静湖とわかると、眠たげな立ち姿をはっと正した。が、会釈をした日和の笑みにおされ、なにも言わず二人を通した。
堀にかかる橋の向こうに、夜明けの街が広がる。
橋が、城と街の世界を隔てている。静湖の身近な世界と、よく知らない世界を。
静湖は彼方へ目をこらす。御影はもっと遠くから来る。冷静に迎えないと。こちらも二年間、しっかり王城で暮らしてきたよ、と……。
「どちらへ?」
日和に尋ねられ、静湖は王城側の橋のたもとを指し示した。
そこへ続く坂道をおりながら、静湖はやっと口を開いた。
「燃やしちゃおうと思って」
日和は目を見開いて、荷車の服の山と静湖を見比べる。
「焔の詠、憶えたんだ。数日かけて」
「いつのまに……、お歌いになれるなんて」
橋のたもとは、土手のように草木が茂る中に、石畳の道が敷かれていた。
静湖は荷台の服を石畳の上に積んでいった。
「本当にいいんですか、静湖様」
「うん。着ても、仕方がないから」
「あんなにお似合いになったのに……あ、私、ごめんなさい、その」
それが失言であることは王宮の誰にも明らかだった。
続く言葉が紡がれる前に、静湖は空を見あげ、はぁ、と息をつく。
淡い青空。まだ陽は昇らない。
静湖はそのまま思いきり息を吸い、低く朗々と歌いだした。
「ほむらのつかさ ほしがみよ ほむらのちから いまここに」
歌うだけでは目の前のものは燃えはしない。
しかしわずかな心の利かせ方で魔法は響く──心で歌うのだ。
「ほむらのつかさ ほしがみよ ゆめのまにまに もしたまえ」
ふわり、と服たちが風に遊ばれて浮いた。
「ただ ただ このち このて ゆく ゆく けむり ほむら」
詠の韻にあわせ、ぼっ、と服の山に火がともる。
炎はみるみる踊りあがって服の間に廻った。
「あ、あ……」
日和は両手で口元を覆って震えだした。
煙と熱気は彼女のうめきもかき消してしまう。
炎は二人の目に映って踊る、戦神のように。
その色は赤から黄、橙からまた赤へ移ろっていく。
燃えて、縮んでいく服たち。
静湖は無言で眺めていた。
初めて仕立ててもらったフレアのスカートは外に着ていくのが恥ずかしかった。水色のワンピースは波模様で、テラスで御影と夏の夜の星を数えた時に着ていた。
おかしいなんて言わずに、御影は、皆は、服を着た〝僕〟を受けとめてくれた……。
「やっぱり、やっぱりだめ!」
静湖はわっと踊る炎に駆けよって、服をつかみだそうとした。
とっさのことで、後先など考えていなかった。
「静湖様っ!」
日和の悲鳴。炎に突っこんだ手の痛みと体にせまる熱さで、静湖の頭は真っ白になる。そのうちに焔の魔物が、目の前で口を開く。
──橋の上から光が差して、蒼い水精が舞った。
陽光をきらめかせて水しぶきが降る。水精が、差してきた朝陽の柱を鎖編みの形にたどって炎を吹き飛ばし、残った炎の輪郭が青く凍てついて風の中に割れていくのが、聴こえた。
それは水流とともに、場に響いた音楽が見せた幻だった。
「〈櫂覇〉」
かすかに聞こえた男の声に、静湖ははっとした。
日和がまぶしげに見あげる先、橋の上に、黒馬に乗った宮廷魔術師の姿があった。
「み、御影……!」
「静湖様!」
王子の名を呼んだ魔術師は、軽い旋律を口にしながら馬をおり、ひらりと橋桁を越えて翔んだ。




