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第2話 魔術師の帰還 2

 階段をくだりきり吹きぬけの回廊に至ると、朝の祈りの歌が風の中に響いていた。象牙色の円柱が立ち並び、赤い煉瓦畳(れんがだたみ)が城外へと続く。


 回廊脇の講堂で歌うのは、宮廷魔術師たちだ。

 彼らは王宮に住みこんで、この波空国(なみそらこく)に仕えている。


 御影も、そこに戻るのだ。静湖(しずみ)と同じ城で、また昔のように暮らしてくれる──がらがらと荷車を押す手を止めて、静湖は服の山に目を落とす。


 あの頃着ていた服も、いくつかはここに……。


「静湖様」


 柱の向こう、庭園の木陰から呼びとめられ、静湖ははっと振り向いた。


 世話係の日和(ひより)だった。

 薬草園の世話のための如雨露(じょうろ)を手に、優美な茶と白の給仕服を隙なく着こんでいる。星のブローチが、誇らしげに女性らしい胸の上で光る。静湖は目をそらしうつむいた。


「見つかっちゃったね、日和」

「そのお洋服、どうなさるんです」

「捨てるんだ」


 えっと驚きながらも、日和はなにかを思いやるまなざしを静湖に向けた。


「いいんですか」


 うん、と静湖がうなずくと、日和は如雨露を柱の横の花壇に置き、荷車に手を添えた。


「お付き添いさせていただきます、風も強いですから」


 ありがとう、とは言えなかった。

 日和と並び、静湖は回廊の外の世界へと服を運んでいった。



 王城の門番は、この暁の刻の通行人が静湖とわかると、眠たげな立ち姿をはっと正した。が、会釈をした日和の笑みにおされ、なにも言わず二人を通した。


 堀にかかる橋の向こうに、夜明けの街が広がる。

 橋が、城と街の世界を隔てている。静湖の身近な世界と、よく知らない世界を。

 静湖は彼方へ目をこらす。御影はもっと遠くから来る。冷静に迎えないと。こちらも二年間、しっかり王城で暮らしてきたよ、と……。


「どちらへ?」


 日和に尋ねられ、静湖は王城側の橋のたもとを指し示した。

 そこへ続く坂道をおりながら、静湖はやっと口を開いた。


「燃やしちゃおうと思って」


 日和は目を見開いて、荷車の服の山と静湖を見比べる。


(ほのお)(うた)、憶えたんだ。数日かけて」

「いつのまに……、お歌いになれるなんて」


 橋のたもとは、土手のように草木が茂る中に、石畳の道が敷かれていた。

 静湖は荷台の服を石畳の上に積んでいった。


「本当にいいんですか、静湖様」

「うん。着ても、仕方がないから」

「あんなにお似合いになったのに……あ、私、ごめんなさい、その」


 それが失言であることは王宮の誰にも明らかだった。

 続く言葉が紡がれる前に、静湖は空を見あげ、はぁ、と息をつく。


 淡い青空。まだ陽は昇らない。

 静湖はそのまま思いきり息を吸い、低く朗々と歌いだした。


「ほむらのつかさ ほしがみよ ほむらのちから いまここに」


 歌うだけでは目の前のものは燃えはしない。

 しかしわずかな心の利かせ方で魔法は響く──心で歌うのだ。


「ほむらのつかさ ほしがみよ ゆめのまにまに もしたまえ」


 ふわり、と服たちが風に遊ばれて浮いた。


「ただ ただ このち このて ゆく ゆく けむり ほむら」


 詠の(いん)にあわせ、ぼっ、と服の山に火がともる。

 炎はみるみる踊りあがって服の間に廻った。


「あ、あ……」


 日和は両手で口元を覆って震えだした。

 煙と熱気は彼女のうめきもかき消してしまう。


 炎は二人の目に映って踊る、戦神(いくさがみ)のように。

 その色は赤から黄、橙からまた赤へ移ろっていく。


 燃えて、縮んでいく服たち。

 静湖は無言で眺めていた。


 初めて仕立ててもらったフレアのスカートは外に着ていくのが恥ずかしかった。水色のワンピースは波模様で、テラスで御影と夏の()の星を数えた時に着ていた。


 おかしいなんて言わずに、御影は、皆は、服を着た〝僕〟を受けとめてくれた……。


「やっぱり、やっぱりだめ!」


 静湖はわっと踊る炎に駆けよって、服をつかみだそうとした。

 とっさのことで、後先など考えていなかった。


「静湖様っ!」


 日和の悲鳴。炎に突っこんだ手の痛みと体にせまる熱さで、静湖の頭は真っ白になる。そのうちに焔の魔物が、目の前で口を開く。


 ──橋の上から光が差して、蒼い水精(すいせい)が舞った。


 陽光をきらめかせて水しぶきが降る。水精が、差してきた朝陽の柱を鎖編みの形にたどって炎を吹き飛ばし、残った炎の輪郭が青く凍てついて風の中に割れていくのが、()()()()


 それは水流とともに、場に響いた音楽が見せた幻だった。


「〈櫂覇(カイハ)〉」


 かすかに聞こえた男の声に、静湖ははっとした。

 日和がまぶしげに見あげる先、橋の上に、黒馬に乗った宮廷魔術師の姿があった。


「み、御影……!」

「静湖様!」


 ()()()()を呼んだ魔術師は、軽い旋律を口にしながら馬をおり、ひらりと橋桁(はしげた)を越えて翔んだ。

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