第12話 天の星の晩 1
夕暮れの中、広場では音楽会の準備が進んでいた。
願いの木のもとには箱が置かれ、たくさんの人形が並んでいた。広場にやってきた市民が、今もその箱に人形を入れ、座席に向かっていく。その人形たちに光を透かす鞄を持たせ、灯りの石を入れ、木にかけていく作業が行なわれていた。
紺地に銀の星の刺繍がされた指揮者の衣装で静湖が現れると、広場の人々はわっとわいた。作業をしていた子どもや職人風の者たちも手をとめる。静湖は木のもとへ歩いていき、人形に石を持たせる作業を手伝った。
色も形も素材もさまざまの人形たちが、鞄に石を納め、木にかけられていく。その石は、静湖とともに練習を重ねてきた仲間たちだ。獅子の勇者に、魚や人魚や海獣に、冠をいただいた大勢の天使たちに、静湖は、よろしくね、と石を持たせていく。
日がすっかり暮れなずみ、すべての人形が木の枝にさがると、司会者によって静湖の名が呼ばれた。
「〈天の星の晩〉、願いの木の音楽会にお越しいただいた皆様、ありがとう。本日の指揮は今代の〈流の祭司〉を務めることが決まった、我らが波空王家の静湖さん!」
わぁ、と歓声があがり拍手がわく。「王子様だ!」「流の祭司だって!」という声の中を、静湖ははにかみながら、願いの木の前の指揮台まで歩いていった。
台に登り、指揮をする手をあげると、あたりはしんとした。
張りつめた静けさに耳を澄まし、静湖は一旦手をおろす。
それから取りだしたのは、指揮棒ではなく細長い土笛だった。
土笛を構え、ほう……と吹き鳴らす。
独奏が、静かな夜を揺らしていく。ほうほうと月を追う夜鳥の優美な羽ばたきの旋律。なんの魔法の詠でもない、この場に沿ったそのとき限りの歌。それが願いの木に届き、ぽつぽつと人形のあちこちが点灯しはじめた。
土笛の一重の旋律がやがて、周りにほのかな合唱が寄りそうように和音になって広がり、太く暖かな音色になっていった。誰かが、なにかが、笛に合わせ歌っている。
静湖の脳裏に、最後の授業のときに聴いた石たちの言葉が蘇った。
〝僕たちは人形になって歌うんだ〟
〝託された願いたちを〟
石の声を心に描いた途端、土笛の周りの歌がわっと広がって大きな響きになり、壮大な流れになった。
広場も、願いの木も、集った皆の心も、すべてを呑みこむ夜空の銀河のような流れ──静湖はその中心の旋律を奏でていた土笛をしまい、指揮棒に持ちかえる。
皆が夢中で、音の波に呑まれ、木を見あげていた。
木の枝の上で、光の劇がはじまった。人形たちは光をまとい、動きだした。獅子が飛びだし、うさぎが跳ねて、天使の楽士たちは竪琴を奏で、木管楽器を吹き鳴らす。光のセロの上に弓がうなり、幻のピアノは鍵盤を踊らせた。
願いを託された演奏家たちが、木の上に立ちあがって光の音楽を放っていた。
そのうちに蛹から蝶が生まれるごとく、光の演奏から輝くものが飛び立って、観客席へと流れていった。光のしゃぼんだった。それが目の前を流れていくとき、静湖は目を見張る。しゃぼんの中には、幻想の景色が封じられて踊っていた。
笑顔の家族、楽しげな催し、音楽会にパレードの景色……静湖はその正体にはっと気づく。
それは人形に託された人々の願いが、叶った光景なのだろう。
夢のしゃぼんたちは、願いの主のもとへ浮遊していく。たゆたってきた光の玉に人々は目をあげ、ぼんやりと夢見る表情になる。
彼らはきっと今、夢に見ている。願いが叶った世界を。
たとえそれが〈天の星の晩〉の交響が見せる幻だとしても……。
その中で、声が聞こえた。
〝もっと、もっと〟
「え?」
静湖は指揮を続けながら、声の主を探す。
願いの木の人形からではなく、すぐそばでかけられた声に思えた。
〝もっともっと、願いを叶えようよ〟
ざざっと目の前の景色がゆらぎ、鏡写しになった静湖の姿が現れた。そこにあるはずのない指揮台に乗り、星々が刺繍された紺色の衣装に身を包み、ひとつ違うのは、その髪が雪のような純白であること──。
〝ほら、もっともっとこうやって〟
白い静湖は指揮棒を大きく回し、自身の内からなにかとてつもない力を導きだし、描いた軌道に乗せて放つようにした。
静湖は気づけば、動きを真似てくりかえしていた。
心の央から、青く透明な流れが、暴発するようにあたりの音楽に加わった。
海の戸が開き、うねるような大波が場に流れこむ幻がよぎった。
一気に音楽が変わり、客席で揺れていたすべてのしゃぼんが弾けた。「なんだなんだ」「どうなってる」とまどろみを破られた人々からどよめきがあがった。
その瞬間、願いの木が青く燃えあがった。
「わぁっ」
「きゃあ」
人々の悲鳴があがる。
人形たちが青い炎に包まれ、光の楽器の幻は消えていく。
炎は見る間に枝々を巡り、人形は炎にまかれて縮れていく。
静湖は息を呑む。
橋のたもとで宝物の服が燃えていった光景が重ねて思いだされた。
手が、止まった。
呆然と、青く燃える大樹を見あげる──。
「〈櫂覇〉、〈麗星〉より降れ」
風が声を乗せて、一直線に広場を駆けぬけた。
御影の声だ、と思ったときには、夜空から水竜が渦巻いてくだり、木の下の噴水口からは水が吹きあがり、木を包んだ炎を鎮火していくところだった。
そのすべては、怒涛の音楽の中で行なわれ、やがて曲は終わった。
音楽が見せた幻──と聴衆のひとり、またひとりが夢から覚めたようにあたりを見回す。
願いの木にかかった人形たちは、炎と水にさらされつつも、かろうじて形を保っていた。その中で石たちは淡く点滅している。
「皆の衆、人形に乗った願いは〈天の星〉に昇華された!」
唖然とする聴衆の中から、静湖のいる指揮台の前へ進みでた男がいた。
「心配なされるな。人形は王宮に祀られる。今宵は皆、〈天の星〉の夜空を存分に楽しまれるがよい」
その男が国王天海だとわかると、万雷の拍手と歓声がわきおこった。
どこで見ていたのか、日蔭をはじめとした王宮の者たちが席を立って、周りの観客を広場に散ずる誘導をはじめた。
静湖は指揮台をおり、天海に頭をさげた。
「父上、取りなしてくださって──」
「顔をあげていなさい。皆がおまえを祝福する晩だ」
その言葉は残酷だった。
静湖は魔法を暴発させて、願いの木を燃やしてしまった指揮者だというのに。
人々があふれるように歩いて、広場はにわかに活気づく。天海と静湖のもとには数人の護衛が走りよってきた。それに乗じて、気づけばひとりの人物が静湖の横に立っていた。
「よぅ!」
「わぁっ」
「そんなに驚くことないじゃないですか」
灯りの石を買いに出た折に出会った、古楽器弾きの青年であった。
「お兄さん……見ていたんですね」
静湖はおずおずと声をかける。
が、青年は輝く目を静湖に向けた。
「すごい星神を──〈流〉を持っているねぇ、君は!」
「え?」
静湖には理解しかねる陽気さで、青年はばんばんと静湖の肩を叩いた。
「落ちこみなさんな! 君はすごい、って見る者には伝わったさ」
「ど、どういうことですか」
「〈流の祭司〉の修行、がんばんなよ。先生のこと、大好きなんでしょう。教えがいのある子なんだろうなぁ、先生も」
「ちょ、ちょっと、なんでそんなことをっ」
なにごとか、と天海がこちらを向くと、じゃあねと手を振って青年は去っていった。
夜の中に溶けこんでしまわれては、二度と会えない人であったように感じられた。
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