5.シフォンケーキとおにぎりと女騎士
「今日はふわっふわのシフォンケーキの予定なのっ!」
あくる日の朝。
いつものように下準備に取り掛かっていたとき、マリアのうきうきした声が聞こえてきた。
そろりそろりと声の方を見に行けば、やはりマリアが虚空に向かってなにかを話しているではないか。
「色々レシピはあるけど、まずはスタンダードなものを作ろうと思って」
マリアの視線の先には、やっぱりなにか画面っぽいのが映ってる。
じい、と見てみると分量の記載が。
なるほどあれは、多分チートとかそういうやつだ。マリアがこの世界で無双するために神様から与えられたチート。あれで分量とか調べて(知って?)作ってるんだ。
(まぁそりゃそうか)
お菓子なんて代物、『得意分野ですから!』で素人が適当に作れるもんじゃあない。お菓子は科学、分量をきっちり測らねば、膨らむものも膨らまないし、柔らかいものも柔らかくならない。
(には関係ないけどね)
マリアがチートを使おうがどうしようが私には関係ないのだ。今日も見なかったことにして、その場を後にした。
*
で、その日マリアはシフォンケーキをお披露目した。
ずいぶん得意げに作ってたから、現実世界でも得意料理だったのかもしれない。
今日も今日とてわらわらと騎士団員達が厨房にいる。
騎士団って暇なのかなぁ、と器具を洗いながら見ていると、
(……あれ?)
筋肉隆々の男達の中に、なんと女騎士がいるではないか。
金髪のポニーテール。きりりとした青い瞳。団服を身に包んだ、ザ女騎士!といった風貌の女性が、きりりとした顔で立っているではないか。
(おお、女騎士なんて本当にいるんだなぁ)
遠目でぼんやり見ていると、目が合ってしまった。ちょっと会釈すると、向こうもちょっと会釈してくれた。優しい人なのかもしれない。
「さっ!今日はシフォンケーキなの!食べてみて!」
その間にもマリアはいそいそと準備をし、ついにシフォンケーキをお披露目した。
いつものように騎士達から歓声が上がる。例の女騎士さんは、後ろの方で控えめにシフォンケーキを見ていた。
「貴方もどうぞっ!」
「あ、あぁ、ありがとうございます……」
例の女騎士さんにもシフォンケーキがやってきて、おずおずらといった具合にシフォンケーキを食べ出した。
もしかしたらヴォルフさんも来てるのかなぁとちょっと見渡すと、……お、いたいた。渋い顔でシフォンケーキを食べている。本当に甘いものが苦手なんだなぁ。
(……あ……)
と、ヴォルフさんがこちらに気づいた。
困ったように眉根を下げながら、小さく手を振ってきた。どう返したら良いかわからず、とりあえず頭だけ下げておいた。
*
シフォンケーキ、思ったよりたくさん作っていたらしく、未だにマリアはシフォンケーキを振る舞っている。
騎士がわらわらいては仕事もできないし、休憩がてら外に出ることにした。
「はぁ〜〜〜………」
本当はダメなんだけど(いやこの世界ではありなんだけど)、コックコートのまま、喫煙所に足を運んで、備え付けのベンチにずるずると座り込んでしまった。
(はよ終わらんかなぁ)
明日の仕込みもあるし、片付けもある。早くマリア達どっか行ってくれよぉ、こっちは朝から働いて疲れてんだよよぉ、とまたため息を吐いたところで、
「……あれ、貴方は」
鈴のような可愛らしい声がして顔を上げると、なんと先ほど会釈した女騎士さんが立っているではないか。
「あ、えっと……、……こんにちは?……お疲れ様です……?」
なんと声をかけるべきかわからずしどろもどろに挨拶すると、ふ、と女騎士さんが微笑んだ。
「そちらこそお疲れ様です。休憩中ですか?」
「はは、いや、ええと、そんなところです」
「もし良ければ隣に座っても?」
「えっ、あっ、はい、どうぞ……?」
大の男でも3人座れるベンチ。その隣に女騎士さんが腰を下ろした。
「改めましてこんにちは、ユーリさん」
「んっ、あれ、なんで私の名前……」
「実は団長からかねがねお話しは伺っていたんです。ユーリという名の、炒飯の名手がいる、と」
「ひぇっ……恐れ多いことで……」
名手?名手か?と首を傾げながらも、にこにこと笑う女騎士さんを前に無碍にすることもできない。
「マリアさんの話は他の騎士からも聞いていましたが……まさかあの男性だらけの厨房に、マリアさん以外の女性がいるとは思わず、気になって厨房まで来てしまったんです」
「あっ……なら、その、私に会いにきてくれたということで……?」
「はい」
「ひえっ……なんかすみません……」
「なぜ謝る必要があるのです?あぁ、それと、申し遅れましたが私の名前はレイン。ぜひユーリさんと仲良くしたいと思っています」
えっ、なんだこれ。突然どうしたんだ。
かなり戸惑いはしたが、キラキラと輝くレインさんを前に、そんなことはとてもじゃないが言えない。レインさんはキラキラした笑顔のまま、私の前に手を差し出した。
「握手しませんか」
「握手」
「仲良くしていこう、の握手です」
「はぁ……」
……天然?天然なのか???
断る理由もないので、言われるがままレインさんと握手しようとしてはっとする。
(レインさんの手……)
……レインさんの手、すごくぼろぼろだ。
皮膚が硬くなってるし、とろどころ治りきってない切り傷もある。関節も硬くなってるし、あっ、これ、見覚えあるな、と思った。
「……団長に聞いた通りです。貴方の手は、私と同じですね」
レインさんが、私と同じように、まさに今レインさんの手を握ろうとしている私の手を見ていた。
「団長が仰っていたんです。ユーリさんの手はぼろぼろで、きっと沢山努力してきた人だ、と」
「……いや、……そんなことは……」
「男ばかりの厨房でやっていくには、男以上に努力が必要になる。男と女ではどうしたって筋力に差が出るし、越えられない性別の壁は必ずある。ユーリさんの手には、そんな辛酸と努力の跡がある、……そう団長が仰っていたんです」
私の手を、レインさんが握りしめた。
「それを聞いて私は、……職種こそ違えど、私と同じだ、とそう思ってしまいまして」
手からレインさんに視線を移せば、レインさんはまっすぐに私を見つめていた。
「ご存知の通り、騎士団も男所帯です。騎士団への所属は私が望んだことではありましたが、やはり男と女ではどうしてもできることに差がありまして……」
レインさんの言葉に、現実世界での苦労がぶわりと蘇った。
厨房を仕切るのは男性が殆どだ。
もちろんそうじゃないとこだってあるが、調理の仕事は肉体労働。食数にもよるけど、20kg近くするものを持つなんてザラだったし、そもそも立ち仕事、動きっぱなしの仕事で、体力勝負なのだ。
そうなると基礎的な体力も筋力も勝る男性の独壇場になってしまう。私なりに筋トレしたり体力を付ける努力はしていたが、どうしたって性別の壁を乗り越えられなかったのだ。
だからせめて、体力筋力だけは負けないようにと、誰よりも器具磨きには精を出したし、包丁の手入れも欠かさなかった。女だから、と舐められないように、自分のできることならどんな仕事も請け負った。
その結果がこのボロボロの手なわけだが、まさか異世界で褒められる日がくるなんて思ってもいなかったのだ。
「なんとなくですが、そんな男社会で働いているユーリさんとなら仲良くできる気がして、つい声をかけてしまったんです」
「……そうでしたか……」
きっとレインさんも、私では想像できないような努力を重ね、辛酸を舐めてきたのだろう。レインさん見た目は20歳前後だけれど、手は、とても、20代には見えなかった。
「……失礼ですが、レインさんもたくさん苦労されてきたんですね」
「ふふ、苦労、と言われると少し違う気もしますけれどね。私はただ、剣を振るうのが好きで、家族の反対を押し切って騎士団に入って……、……でも、いざ入団したら、越えられない壁があると悟ってしまった、それだけのことです」
「……私も、です。私も、調理師なんて男の仕事だと両親に反対されました。……でもどうしても厨房に立ちたかった。調理の仕事は好きだから、苦労、とかそういうことは考えたこともなかったけど……でもやっぱり、性別の壁はありますからね」
えぇ、と同意するようにレインさんも頷いてくれた。
「ね、私たち、きっと仲良くなれますよ。ユーリさんもそう思いませんか」