1.プリンとマヨネーズ
なんとこの度、異世界転移を果たしました。
私の名前は林侑李
現実世界で調理師をしていたんだけど、グリストラップの掃除中、汚ねぇなぁ臭いなぁ先週の当番のやつ掃除下手すぎだろ、と思わず目を瞑って顔をぎゅーと顰めて、次に目を開けたら異世界にいた。
ご都合主義の異世界転生だったらしく、現実世界で32歳だった私は、なんと転生した先では18歳になっていた(なんかよくわからないけど、転移した瞬間、私18歳だ!?となったのだ。外見もそれぐらい若くなってたし、腰痛も膝痛もなくなってて、体力も増えてたから18歳だということに納得してしまった)
髪は現実世界と同じ黒髪のまんまだったけど、目は牛肉みたいに赤くなっていて、アニメのキャラクターみたいだぁ〜、と感心したものだ。
腑に落ちないのは、それだけ綺麗な姿になれたというのに、手だけは現実世界のままだった、ってこと。
包丁を握り、洗い物に精を出し、鍋を磨き、200度の油跳ねを受け止め、あつあつの天板に間違って触れ、生野菜を消毒する次亜塩素酸に晒され続けた手は、同年代の人たちよりずっと老けていた。
皮膚も硬くて黒ずんでいて、関節あたりは特に硬い。しわしわで固くて、老人の手とも違う自分の手だけは、なぜかそのままだった。
なんでぇ、と思いはしたが、固くなった手は結構便利なのだ。少々熱いものだったら難なく触れるし。
だから、なんでぇ、と思いながらも、長年相棒としてやってきた手は大切にしようと思ったものだ。
で、まぁなんやかんやあって私は今は王宮の厨房で下っ端として働いている。
現実世界での名前、侑李、を、ユーリ、と異世界っぽい響きに変えて自分の名前として名乗った。
朝昼晩、絶え間なく食事を出さねばならない職務上、料理人は住み込みで働くことができた。前世でも調理師やってたし、頼る人のない私にしてみれば天職と言う他ならなかった。
たま〜に現実世界が恋しくなるが、それもあくまでたま〜に、だ。
『女なんかが水商売しやがって!』と、それいつの時代の話なん?みたいな毒親の両親とは絶縁気味だったし、仕事が楽しすぎて特に友達とかもいなかった。
だから現実世界への未練はないに等しかった。
それにここはどうやら一ー、
「おい聞いたか!?今度はマリアがプリンというものを作ったらしい!」
「プリン!?なんだそれは!?」
「わからん!だがマリアの作るものなら絶品に違いない!早く食べに行くぞ!」
明日使う玉ねぎを運んでいると、何人かの騎士達が、喋りながら走っていく。
一ーどうやらここは、『異世界転生しましたが、現実世界で培った料理スキルで無双します!』みたいな世界観の異世界らしかった。
いや、私は異世界転移だけどね。
*
厨房に戻ると、騎士団員達が所狭しと並んでいた。
彼らの視線の先にいるのは、ふわふわの長い桃色の髪に、これまた桃色の目をした絶世の美女。
騎士達を尻目に、「ちょっと待ってねぇと、あくせく作業している。
彼女の名前はマリア。
私が入職するのとほぼ同時に入ってきたらしい子。
自分の食い扶持を探すのに必死だった私は、当時のことをあまり覚えていない。
だから入職して、やっと仕事も覚えてきたなぁ、というところで、
『おい聞いたか!?マリアがまよねーずというものを作ったらしい!』
『まよねーず!?なんだそれは!?』
『食べてみろ!めちゃくちゃ美味しかったぞ!』
マヨネーズ。
その言葉に思わず振り向くと、厨房の入り口で騎士団の皆さんが騒いでいるではないか。
衛生観念のガバガバなこの世界でマヨネーズ……?と疑問に思っていると、
『みなさまぁ〜お待たせいたしましたぁ〜』
と、ふわふわの髪を靡かせなが、マリアが小瓶に入ったマヨネーズを持ってきたのだ。
『おお!これがマヨネーズ!』
『こんな黄色の物体が美味しいのか?』
『傷口が膿んだ色をしているが……』
『マリアの作るものだ!絶対美味しいにきまってる!』
と、わらわらマヨネーズを食べ出して、うおおおお、と騎士達が叫び声を上げた。
『うまい!』
『うますぎる!」』
『良かった。お口に合うか心配だったんです』
『やっぱりマリアは料理の天才っ……、いや、神かもしれん……!』
『大袈裟ですよぉ。今度はポテトを作りますからね』
『ぽてと!?』
『ぽてと!?!』
『ぽてとってなんだ!?!!』
厨房の人間も、騎士も、みんなマリアをきらっきらした目で見ていた。
そういや思い返せば、異世界とかいうのに、この世界は植物油も動物油もふんだんにあって、砂糖も使い放題だ。さすがに味噌と醤油はなかったが、和食で使う以外の調味料はだいたい揃ってる。
で、ぴんときたわけだ。
死ぬ前に、webサイトで読んでた、『異世界転生しましたが、現実世界で培った料理スキルで無双します!』と似た世界だってことに。
『異世界転生しましたが、現実世界で培った料理スキルで無双します!』は至ってシンプルな内容で、現実世界から異世界転生したヒロインが、プリンとかクッキーとか作って無双してコワモテ騎士団長と結婚する話だった。
あの話のヒロインはマリアって名前ではなかったから、同じ世界というわけではないのだろう。
だが、今の状況を見るに、ここが限りなく似た世界であることには間違いなかった。
*
玉ねぎを抱えて厨房に戻ると、マリアがプリンを振る舞っている最中だった。
「ユーリ!貴方も食べる?」
厨房に入るや否や、ずいずい!と瓶に入ったプリンをマリアが差し出してきた。私はと言えば
(めんどくせぇ〜〜〜)
と思いながら、顔には出さずに、
「ええっ!?マリアまたすごいの作ってるね!これってなあに?」
「これはねぇプリンっていうの!とっても美味しいのよ!食べてみてくれる?」
「もちろん!ありがとうマリア!」
あー面倒くさい。
どうもマリアは、現実世界の料理を振る舞い、「美味しい!」「すごい!」と言われるのに味を占めたらしく、なにかにつけて、騎士団だけではなく、厨房の人間にまで料理を食べさせるようになったのだ。
とりあえずプリンを一口。
……うわぁ、
「うわぁ!とっても美味しい!」
(あ〜〜〜……味は悪くないんだけど、これは火入れしすぎじゃないかね。すが入ってるし、舌触りも悪い。裏漉ししてねぇなこいつ。あー、あと蒸したんだろうけど、蒸し方も悪いな。表面に水滴ついてる。あ、卵のカラ入ってる)
こう、わかるだろうか。
マリアの作る料理は、決してメシマズとかではないのだ。
現実世界で、お母さんが子供に、とか、彼女が彼氏に、とか、そのレベルなら問題ないだろう料理の腕。
だけれど、不幸なことに私は一端の職業料理人だったのだ。
偉そうなことを言うつもりはなかったが、プロとして振る舞うにはお粗末なもの。それがマリアの作る料理だったのだ。
「マリアってば本当天才!」
「こんな甘くてぷるぷるのもの作るなんて!」
騎士たち、めっちゃ褒めてる。私の上司の調理長まで褒めてる。これはあれだよ、マリアが主役のマリアのための物語。お粗末な料理だろうと、マリアが作ればなんでも絶品なのだ。
(めんどくせぇ〜〜〜)
マリアがなにをしようたって私には関係ない。
私の野望は、ただ死なないよう暮らすことができて、調理師として生きていければそれで良いのだ。
だからこそ、素人紛いの雑な料理を、天才だ!神だ!と褒めるこの時間が苦痛でならなかった。
私はもっと美味しいものを知ってるし、もっとプライドを持って仕事に打ち込む調理師達をたくさん見てきた。
だからこそマリアの粗末な仕事は好きになれなかったのだが、これまでの経験上、鼻高々な若い子につっかかるのはやめておくべきだということは重々理解していた。
(めんどくせぇから巻き込まないでくれるかなぁ)
私の願いはただそれだけ。
素人のプリンをニコニコ笑顔で食べながら、内心ため息を吐いた。