3話 研究の意義
ミーティングの次の日には、研究室に顔を出していた。4階の405室が斉藤研の学生部屋である。
「おはようございますー」
「おお、増田くんか。おはよう」
修士2年の森田さんが長テーブルで昼ごはんを食べていた。他に学生はいないみたいだ。
「森田さん、今日は何してんすか?」
「修論の研究だよ。斉藤先生はいつも通り研究しろって言ってくれたからね。今日からまた研究再開だよ」
俺は森田さんの斜め前の席に座った。パソコンが入ったリュックを横の席に置いた。
「増田くんは?今日は何しに来たの?」
「とりあえず斉藤先生と喋ってみようかなって。ほら、この研究室に新しく来た学生って僕だけで、去年の研究テーマもないんですよ。だから、そのことを斉藤先生に相談しよっかなって」
「え、じゃあもしかして、UFOの研究、するの?」
「したくないです、絶対。UFOがやりたくてこの研究室入ったんじゃないですから。だから、色々先生に相談を」
森田さんはうんうんと頷きながら白飯を勢いよく口にかき込んだ。
「じゃ、すいません。先生のところ行ってきます」
森田さんは食べるのに忙しそうだったが、俺に軽く手を振ってくれた。俺はリュックを再び背負って、隣の斉藤先生の居室に向かった。
斉藤先生の居室は406室である。部屋の名札プレートはまだ澤田先生の名前のままだ。
「すいません、修士1年の増田です」
「はいどうぞー」
ノックをしてから部屋に入った。そして入室したその瞬間、俺は部屋の中の様子に驚かされた。
「うわ、すごい……」
円盤型のUFOの模型が部屋の中央に飾られていて、壁には宇宙人の絵があしらわれたカレンダーがかかっている。引越し会社の段ボールがまだいくつかあるから、荷物を出せばこの部屋はもっとUFOに染まっていくのだろう。
「あ、えっと誰だっけ」
斉藤先生は部屋の片付けをしているようだ。段ボールから取り出した本を棚に並べている。
「増田です、修士1年の」
「そっかそっか増田くんか。とりあえずそこ座って」
俺は来客用のソファーに腰掛けた。目の前のテーブルにはトランシーバーのような機械が何台か並べられている。
「それはね、UFOに乗ってる宇宙人や未来人と通信するための通信機。俺の手作りなんだ」
「え……」
俺が不思議そうにその機械を見ていると、斉藤先生がそう言った。ひとつ手に取ってみるとやけに軽くて、なるほど、小学生の自由研究で作ったおもちゃみたいなものだろう。工学部の教授と言えるレベルでは到底なく、酷く呆れた。
「で、増田くん。今日はどうしたの?」
斉藤先生は片付けの作業を中断して、俺の前の席に座った。
「僕の修論の研究テーマについてなんですが」
「うんうん」
とにかくUFOの研究だけは論外だ。別の研究テーマを自分で見つけるか、難しいかもしれないが違う研究室に移らせてもらうか、手段はなんでもいい。とりあえず斉藤先生にその旨を伝えておきたかった。
「去年澤田研じゃなかったので、去年から引き継げる研究テーマがないんです。で、UFOの研究も……」
「あのね、増田くん。無理だからね」
「え?」
「去年から引き継げるテーマがあるならね、仕方ないよ、その研究をやってもらっても構わない。でも君はないんだから、UFOの研究をやってもらう。ここはそういう研究室なんだから」
斉藤先生は表情ひとつ変えずそう言った。俺が何を言おうとしていたのか、最初からある程度察しがついていたのだろう。
「いや待ってください先生。UFOの研究なんかできません。ここは工学部です。僕はUFOがやりたくてここに来たんじゃないんです」
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。俺は今まで何のために頑張ってきたのか、ここで引き下がってしまっては過去の自分に示しがつかない。
「そんなの知らないね。今は俺の研究室なんだ。テーマがないって言うんなら、君にはUFOをやってもらうしかないね」
「いや、でも……。ちょっと待ってください先生」
先生は俺の話を聞こうともせず、ソファーから立ち上がって自分のデスクに向かった。俺も彼についていく。
「先生!そもそもUFOなんてあり得ないんです!ただの幻想です!」
自分のデスクの椅子に深く腰掛けて足を組んだ斉藤先生は、俺の発言にわかりやすく不機嫌な顔をした。
「あり得ない?君は今そう言ったか?」
「そ、そうですよ。UFOなんて言われてるものは全部何かの見間違いとか、妄想とかそういうのなんですよ。そもそもあんな非科学的なもの、存在し得ないんです」
斉藤先生はボサボサの頭を右手で掻きながら、大きくため息をついた。
「そもそもUFOって何か知ってるか?」
「え?」
「UFOってのは未確認飛行物体のことだ。つまり、空に風船が浮いていたとしてもそれを風船だと君が認識できなければ、その風船は君にとってUFO、未確認飛行物体なわけだ。つまり、UFOという言葉は必ずしもこういう円盤型の宇宙人が乗ってるようなやつを指している訳ではないのだ」
身振り手振りを交えながら、斉藤先生はUFOについて熱く語り出した。
「もちろん君の言うとおり、UFOが何かの見間違いであった、というケースは非常に多い。だが同時に、現代科学をもってしても、その正体が解き明かされていない場合もある」
「……」
「そんな謎に包まれたUFOの正体が、人類にとって未知の技術を持った生命体である可能性、未来人のタイムマシーンである可能性などは否定できない。例えば、宇宙人のミイラが出土したりミステリーサークルができたり、宇宙人の存在を示す証拠も出てきているんだ」
そんなのは全部デタラメだ、と言いたかった。何らかの自然現象や誰かのイタズラが原因で、宇宙人の存在が囁かれる。そして偶然起こった自然現象やイタズラが、さもそれらしい証拠としてかき集められ、宇宙人だとかUFOだとか、そんな幻想を作り上げる。斉藤先生が言う「宇宙人の存在を示す証拠」も、きっとそういう流れで生み出されたものなのだろう。
「……」
だが、俺は何も言い返せなかった。そんな証拠は全部デタラメだ、なんて言えるはずがなかった。なぜなら、そう言えるだけの根拠が何もなかったからだ。結局、宇宙人が全部デタラメなんていうのも俺の推測でしかなく、根拠もなく自分の意見を主張することは、理系として科学に触れてきた1人の学生として許し難いことだった。
「いいか?UFOの研究はそういう意味で意義があるんだ。わかったか?」
「……まあ、一応は」
内心認めたくはないが、今は無理やり飲み込むしかなかった。恐らく、これ以上反論しても状況は何も変わらない。俺はもうUFOの研究から逃れることはできないのだろう、俺はそう悟った。
「ほら、これ」
「これは?」
斉藤先生は、引き出しの中からホッチキス留めされた書類を引っ張り出し、デスクの上に出した。
「先月、高尾山を登山してた人がUFOを目撃したという情報があった」
「え?高尾山でUFO?」
斉藤先生が出した書類は、UFOの目撃情報をまとめたものだった。書類の1枚目にはイメージ図も載せられていて、青白い物体が空を浮遊している様子が描かれている。あまりに嘘くさい。が、高尾山のUFOと聞いて興味が全くないわけでもない。
「その件、君が調査に行ってきなさい」
「え!?ちょ、ちょっと待ってください!僕がUFOの調査ですか?」
斉藤先生の話はあまりに急で、俺は驚きを隠せなかった。
「個人的にね、このUFOはかなり宇宙人の可能性が高いと思っているんだ。しっかり宇宙人の痕跡を掴んでくるように」
「いや待ってください。できませんし、やりたくないですよ」
「君、自分の立場がわかってるのか?論文が書けなかったら修了できないんだぞ?どうせ君はUFOの研究しかやることがないんだ、諦めてさっさと調査に行きなさい」
「くそ……」
俺は斉藤先生に完全に手綱を握られている状況だった。修了できないのは困るし、今は斉藤先生の言うことを聞く以外に選択肢はないようだ。
「ほら、あそこの通信機使っていいから」
「通信機?あの手作りのトランシーバーみたいなやつですか?」
来客用のテーブルに置かれた通信機を再び手に取った。先生曰く、この機械でUFOと通信するらしい。一体何がどうなってそんな技術を生み出したのか、もしくはただその気でいるだけか。この場合は明らかに後者だろう。
「これ、どうやって使うんですか?」
使わないし使いものにならないだろうが、とりあえず興味半分で聞いてみる。
「後ろが開くようになってるから、そこに単三電池入れて」
「あ、これ電池なんすか?電池で動くんすか?」
「うん。そうだけど、何?」
俺は呆れた。UFOと交信するとかいう機械が単三で動くという、そのシュールさがまるで滑稽に思えて仕方なかった。