2話 未確認飛行物体研究室
5月の中旬、澤田研の学生が集められた。新任の教授との顔合わせみたいな理由だった。4階の会議室に集められた俺たちは、まだ感情の整理がつかないまま、教授が来るのを待っていた。
「澤田先生がいるからこの大学に入ったし、澤田先生がいるから澤田研に入ったのに、どうなってんだよホントに」
俺は隣に座る川端に愚痴を溢していた。俺たちの他にも修士1年生はあと2人いるが、俺以外は全員去年から澤田研にいた人たちだ。
「まあまあ。次の教授だってきっとすごい人だよ、な」
川端は俺にそう言った。彼の言うことも理解はできるし、次の人がどんな人か少し楽しみではあったが、澤田先生が良かったな、という気持ちが完全になくなることは恐らくないのだろう。
「すいません森田さん、なんか聞いてないすかね、新しい教授のこと」
「いや、何も。俺も何も聞いてないわ」
一つ前の席に座っている森田さんは、澤田研の修士2年生で俺や川端の先輩だ。先輩なら何か聞いているのかもしれないと思ったが、どうやら森田さんも何も知らないらしい。
「それより聞いた?今年は4年生取らないんだって、うちの研究室」
「え、そうなんですか?」
「うん。俺の同期が言ってた。急に澤田先生が辞めることになって、色々ゴタついてるし。B4まで巻き込んじゃ悪いからだってさ」
森田さんの言うことが正しければ、今年新しく研究室に配属されるのは、修士からこの研究室に移ってきた俺だけということになる。あ、あと新しい教授も一応そうなのか。
ちょうどそんな話をしていた時だった、会議室の扉が勢いよく開いたのは。
「え……?」
モジャモジャでボサボサの天然パーマで、薄らと髭を生やし、丸メガネと小汚い茶色のジャケットを着た中年男性だ。その男は頭をポリポリとかきながら、部屋の真ん中まで歩いていって立ち止まった。一周ぐるっと部屋を見回して、学生の顔を一人ひとりじっくりと見ていた。
「え、あれが新しい教授……?」
「たぶん、そうなのかな」
見た目も清潔感があった澤田先生とは違って、かなりみすぼらしく見える。この独特な怪しい雰囲気を醸し出す男を前に、澤田研の学生たちは少しざわついた。
「えー、どうも。ここの研究室の新しい教授になる、斉藤翔一です」
「……!」
斉藤と名乗ったその男は、やはりここの新しい教授だった。明らかにクセが強そうな人だから、上手くやっていけるのか突然不安になる俺だった。隣の席の川端も、苦い表情で斉藤先生を見つめている。
「えー、まあ突然前の教授が辞められて、まだ君たちも戸惑ってるだろうけど、うん、これから一緒に頑張っていきましょう」
軽く拍手が巻き起こる。俺もそれに釣られて一緒に手を叩いていた。とりあえず歓迎ムードを作っておこう、という学生の意思をすごく感じた。
「はは、やっぱみんな頭良さそうだな。さすが東京帝国大学の学生だ」
斉藤先生はそう言いながら、持っていたパソコンを操作して、会議室のプロジェクターに接続した。
「で、まあとりあえず俺の自己紹介だけ。そんでその後、澤田研改め斉藤研の運営方法について軽く喋っていくから。なんか質問とかあったらいつでもどうぞ」
彼は黒板にスクリーンを下ろし、そこにスライドショーを映し出した。先生の名前や年齢、顔写真などが記載されていたが、パッと目についたのは画面端っこの可愛い宇宙人のキャラクターだった。
「はい、ということで、改めまして斉藤翔一です。今年48です。どうぞよろしく」
何人かがパチパチと手を叩いたのをきっかけに、再び拍手が起こった。彼を完全に受け入れられているわけではなかったが、ムード作りにために俺も軽く手を叩いた。
「でね、経歴はこんな感じで……」
斉藤先生がカタッとパソコンのボタンを押すと、次のスライドがスクリーンに映し出された。どこの大学を出てどこの研究所にいたのか、詳しく書かれてある一方で、このページにもやはり可愛い宇宙人のイラストが載っていた。
「宇宙人?なんで?」
「さあ、わかんない。あのキャラクターが好きなんじゃない?可愛いし」
川端に小声で聞いてみたが、彼はそう答えるだけだった。しかし俺は何か、何かもっと本質的な違和感をあのキャラクターに感じていた。そして俺のその悪い予感は、残念ながら当たってしまうことになる。
「でね、俺の専門分野なんだけど……」
斉藤先生は次のスライドをスクリーンに映し出した。そしてそのスライドを見て、俺たち学生は絶句した。学生たちが精一杯作ってきた歓迎ムードが壊れたのは、まさにこの瞬間だった。
「え……!?」
スライドに映されていたのは、空中に浮かぶ大きな円盤型の物体であった。円盤には無数の窓のようなものがついていて、そこから光が漏れている。円盤の中央部分には大きなハッチのようなものがついていて、そこから人型の生物が地上に降りてきている、そんな写真だった。これまでに見たことがない飛行物体、つまりそれは紛れもないUFOだった。
「驚いた?そう、俺の専門分野は、未確認飛行物体、つまりUFO!!」
自慢げにそう語る先生だったが、学生は皆驚き呆れて静まり返っていた。それもそのはずだ。これまで澤田先生のもとで真剣に航空機システムについて学んできた学生たちにとって、UFOなんてただの非科学的なオカルトに過ぎないのだ。
大学がなぜこの男を澤田先生の後任にしたのかはわからない。澤田先生の退任があまりに急で焦っていたのかもしれない。だが少なくともこの研究室の学生たちは、澤田先生のもとで学ぶことを望んでいた人たちで、もちろん俺もそうだ。だからこそ俺たちは、澤田先生の後任がこんな先生でいいと思えるはずがなかったのだ。
「あれ?どうした?ん?」
学生たちが絶望し頭を抱えていることにようやく気づいた斉藤先生は、頭をポリポリとかきながらそう尋ねる。その独特な見た目も相まって、ただのインチキオカルト科学者にしか見えない。
「あ、あのすいません。ちょっといいですか」
流石に聞きたいことが多すぎた。俺は勇気を振り絞って立ち上がって、手を挙げた。
「君は?」
「修士1年の増田です」
「うん、それで?」
「UFOが専門分野って、それってどういうことですか?」
混乱のあまり質問が雑になってしまったのは、UFOという強烈な単語が頭から離れなかったからだった。
「どういうことって言われてもな……。まあだから、地球にはよくUFOが飛来している。それに乗ってるのは宇宙人か、はたまた未来人なのか。彼らは地球を偵察したり、侵略したりしようとしてる可能性があるから、我々は地球の安全を守るためにUFOにまつわる色んなことを研究しているんだよ」
「な、なるほど……」
全然なるほどじゃなかった。なるほど、なんて相槌を打ったが、なるほどと思えることは何もなかった。ただひとつあるとすれば、この男は超常現象を真に受ける本物のオカルト科学者だったということだけだ。
「あの、澤田先生がやっていたことと全く違う気がするんですけど」
「違う?そうかな?」
「違います。澤田先生は航空機の飛行システムが専門でした」
「じゃあほとんど一緒だよ。UFOも飛行機も空を飛ぶじゃないか」
会話をすればするほど、この人の考えが俺たちと全く異なっていることがわかった。だがそれが俺を余計に苛立たせた。
「全然、全然違います。あなたと澤田先生は全然違いますよ」
「何が?同じ研究者だよ」
「違います!!」
俺の声が部屋にこだまする。俺はこの男を前に冷静でいられなかった。自分が作った飛行機を飛ばしたい、そんな子供の頃からの夢を追って、ようやくそれが叶う直前だった。でも結局辿り着いた先がUFOだなんて、俺は信じたくなかった。
「UFOなんて非科学的で非論理的な超常現象を、そんなものを学ぶために今まで頑張ってきたんじゃないんです。俺たちはみんな、航空工学を学びたくてここに入ったんです。UFOはそれとはまるで違います」
「待て。UFOが非科学的?お前は今そう言ったか?」
斉藤先生は俺の言葉を遮り、俺にそう聞いた。
「はい、言いました。UFOは非科学的です。オカルトです」
俺の紛れもない本音だった。UFOがもし現実で、あの円盤型の物体が宇宙人の乗り物なのなら、その飛行原理は一体何なのか。もしUFOが現実と認めるなら、俺たちが大学時代に学んできた知識は一体なんだったのか。あれは全部嘘だったのか?
「いいか?俺に言わせれば、科学こそ最も非科学的だ」
斉藤先生は唐突にそう言い出した。
「数学も物理も全部非科学的だ。勝手に数字なるものを作り上げて、勝手な解釈で好き勝手に法則とか定理とかを作って。それに従うものは科学として正当化されるが、従わないものは非科学とかオカルトとか言われて虐げられる」
「……」
「それならその人間が勝手に決めた数字とか定理とか法則は、本当に正しいのか?科学的だっていう言葉は、人間が勝手に決めた尺度で、それが正しいなんて誰が証明できる?」
斉藤先生はすごい剣幕でそう捲し立てた。彼の言っていることが正しいとは思えないが、彼が言わんとしていることが理解できないわけじゃなかった。
「俺が科学を非科学的だと言うのはそういうことだ。まだ何も証明できてやしないんだ、科学は」
俺は科学の全部を知っているわけではない。だが理系の学生として、科学に一歩足を踏み入れた人間として、斉藤先生の言葉を聞いて黙っているわけにはいかなかった。
「いやでも……!」
「おい、落ち着け増田。もういい」
川端は俺の腕を強く引っ張った。彼の制止で俺はなんとか踏み止まったが、言いたいことはまだまだあった。彼を後任に選んだのは大学側なのだから、結局彼に何を言っても変わらない。そんなことはわかっていながらも、俺のモヤモヤは全く晴れそうになかった。
「ホントに、威勢のいい男だな、君は。初めて会った教授にそこまで言えるんだから大したもんだよ」
斉藤先生はそう言ってニヤリと笑った。なんだか負けた気がして、それも余計に腹立たしかった。
「まあ、どうせ他の学生も増田と同じこと思ってるんだろう?別にあえて言わないだけで」
「……」
無言はつまり肯定を意味していた。この部屋にいる学生が、理系研究者の卵だ。そう簡単にUFOの研究を受け入れられる人はいなかった。
「別にな、UFOを信じられないなら信じられないで別にいい。急にこんなやつが来て、UFOやってるって言われて受け入れられないってのもわかる。無理強いはしないから、去年やってたテーマで好きに研究したらいい」
「……いいんですか?」
「もちろんいいとも。別に教えてあげられることは何もないがな」
「ああ、よかったぁ」
斉藤先生の言葉を聞いて、川端は安堵の声を漏らした。斉藤先生をどこまで信じていいかはわからないが、川端の中で先生の言葉は一つの安心材料になったのだろう。澤田先生はもういないし手放しに喜ぶことはできないが、好きなテーマを続けさせてくれるだけで川端は十分なのだろう。
「あれでも増田はどうすんの?去年は別の研究室いたし、研究テーマ今は何も持ってないよね?」
「あ、確かに……」
今年の研究室の学生の中で、新しく来たのは俺1人だけだ。他の学生は澤田研時代の研究テーマを持っているが、俺には何もない。川端の指摘で、俺はようやくそのことに気がついた。
「ていうことは増田。もしかしてお前UFOの研究やるしかないんじゃないの?」
「え!?いや、まさか……」
この日のミーティングは、わずか30分程度で終わった。斉藤先生は変わり者なだけでなくかなり雑なようで、研究は各々適当に進めてください、としか言わなかった。俺たちがこれからどんな研究生活を送ればいいのか、明確にイメージすることはできなかった。
「どうなるんだろうな、俺たち」
「さあな」
川端は少し諦めたような口調でそう呟いた。とりあえずあと2年の我慢だと、そう心を括っているようにも見えた。
後日、斉藤翔一教授率いる俺たちの研究室の正式名称は、未確認飛行物体研究室に決定された。UFOとかなんだいうのが夢ではなかったということを、強く実感させられた。




