第9話 主人公が変です!おかしいです!
四月十四日です。三度目です。
こんにちは。
教室から校庭の八重桜を眺めているエロゲのヒロイン、藤井レナです。
このゲーム、泣きゲーと名高いエロゲームだったはずなのですが……。
何が、どうなっているのでしょう?
エロゲではありますが、『涙の向こう』は、暴力で女の子を屈服させ、脅して全裸にさせるようなゲームではなかったはずです。泣けるストーリーのついでに本番行為の描写がある、そういうゲームだったはずです。それなのに……。
ハルヒロくん、どうしてしまったの?
もしや……。
私という異分子がこの世界にいるせいで、彼がおかしくなってしまったとか?
* * *
翌日、また同じことが起こったらどうしようと不安になりつつ、私はTSK部の部室に向かいました。この一斉部会が、『涙の向こう』のストーリー開始地点なので、避けて通ることはできないのです。
そわそわしながら待っていると、少し暗い表情のサオリちゃんがやって来て、いつも仲良しなアイちゃんとハルヒロくんが現れて、緊張した様子のモモちゃんが部室を訪れて……。不安と裏腹に、変なことは何も起こりませんでした。
今度のハルヒロくんは、いつものハルヒロくんのようでした。
ゲーム通りにモモちゃんが入部し、それでその日の部活は終わりました。
「解散!」
前回が異常だっただけなのですね……ホッとしながら帰り支度をしていると、ハルヒロくんが私を呼びました。
「藤井先輩、少しいいですか?」
「何でしょう?」
今回は、アイちゃんではなく私と会話するようです。
ゲームではどのような話をしていたでしょう……思い出せません。深い意味のない、単なる雑談だったような気がします。考えながら私は、彼のそばへ向かいました。
しかし、彼はもじもじするばかりで、なかなか話し出そうとしません。
どうしたのでしょう?
やがてアイちゃんが、挨拶をして部室を出ていきました。
二人きりになると、急にハルヒロくんの顔が、人畜無害そうな青年の顔から、ネズミを遊び殺して楽しむ猫のような顔に変わって……。
「レナ」
「はっはいぃっ⁉」
いきなり、呼び捨てにされました。
先輩を呼び捨て⁉ 物腰のやわらかい、彼らしくないことです。
まぁこの部の部長はハルヒロくんですし、私は彼より一年先に生まれただけで、先輩らしい貫禄もありませんから……敬う相手と思われていなくても、それは仕方のないことでしょう。自分でもそう思います。だからこれは、許容範囲内です。
命令口調のような感じがして、ちょっと怖いですが……。
「レナ。パンツ脱いで、俺にちょうだい」
「……はいっ?」
突然、ハルヒロくんが変なことを言い出しました。
聞き間違いでしょうか? パンツ? 私のパンツ?
唐突すぎる発言に、頭が混乱しています。
私のパンツを脱いで、ハルヒロくんに? えっ? どうして?
「レナの脱ぎたてパンツ、欲しいな。ダメ?」
ダメ? って、え……ハルヒロくん、キャラ変ですか?
そんなハレンチなことを、笑顔でお願いする人ではなかったはずですが、急にどうしたのです? みんなで集まっていた時は、いつものハルヒロくんだったのに……。
「ねぇ、ちょうだい?」
上目遣いでお願いされても、かわいくはないのです。
おねだりされても……これはちょっと……。
「むっ無理です!」
「どうして?」
「どうしてって……」
そんなの……。
「恥ずかしいからです!」
「どうして? パンツを脱ぐのは普通のことでしょ?」
ハルヒロくんが、とぼけた顔で首をかしげました。
それはそうですけど……。
「誰だって毎日、パンツを脱いでいるはずだよ。レナはそれが恥ずかしいの?」
「ひっ人前で脱ぐのは恥ずかしいことです!」
「そんなことないよ」
涼しい顔で否定してきますが……恥ずかしいことで、ないはずがないのです。
私の脱いだパンツが欲しいなんて、変態ですか⁉
それに……ないですけど、あり得ないですけ、万が一、ハルヒロくんに私のパンツを差し上げたとして……そしたら私、ノーパンで家に帰ることになるじゃないですか!
警察に捕まってしまいます! そんなことできません!
「もしかしてレナ、自分で脱げないの?」
「脱げますけど……」
「じゃあ、脱いでみせてよ」
「いっ嫌です! お断りです!」
「どうして?」
「嫌なものは嫌だからです!」
何なのですか⁉
嫌と言っているのに、しつこいです。
「ハルヒロくん、おかしいですよ。急にエッチなお願いをしてきて……どうしちゃったのですか?」
「うん? だって俺、ハルヒロじゃないから」
「……え?」
ハルヒロくんじゃ……ない?
「レナだから話すけど、俺、この世界の人間じゃないんだ」
ゆっくり立ち上がりながら、ハルヒロくんが言いました。
「俺の元いた世界では、ここは『涙の向こう』っていうゲームの中の世界なんだ。俺はそのゲームをプレイしていて、ようやくクリアできたと思ったら、外出した先でトラックにはねられちゃって……そういうのをトラ転って言うんだけど、ま、気づいたらゲームの主人公としてこの世界にいたってこと」
私と似たような状況……。
「最初は戸惑ったけど、せっかくエロゲ転生したなら、この状況を楽しまないといけないよなって思ったんだ。ゲームしている時はサオリが一番好きだったけど、これが現実なら選ぶのはレナ一択。どんな無理なお願い事でも聞き入れてくれる、心優しい女神様……なのにお前は、なんで俺の言うこと聞いてくれないわけ?」
「そっそれは……」
私が、本物の藤井レナではないからです。
それにしたって、ここにいたのが本物の藤井レナだったとしても、いきなりパンツを脱げと言われて、その通りにすることはなかったと思いますけど……。
「あーあ。悠長にシナリオ進めなくても、レナなら強気で押せば、頷いてくれると思ったのになぁ……パンツも脱げないとか、すげぇ期待外れなんだけど」
落胆した声。ハルヒロくんが、わざとらしく大きなため息をつきました。
何ですかこの人……勝手に期待して、勝手に落胆して……。
なんだか怖いです。この人、すごく怖いです。
「まぁいいや。優しいレナなら、俺に何されたって黙っていてくれるよな?」
ハルヒロくんが、嘗め回すような視線を私に向けました。
「脱がないなら、今回だけは特別に、俺が脱がせてやるよ」
「や……っ」
嫌です嫌です、そんなの絶対に嫌です!
伸びてきた彼の手を振り払いましたが、彼は強引に私のスカートの中に手を突っ込みました。そして私のお尻や太ももを撫で回して……ぞわぞわします。気持ち悪いです。
足を閉じて、彼の手をどけようとしてもうまくいきません。
これが男女の力の差……うぅ……。
「嫌です! やっやめてください!」
「やーだよ」
顔を上げたハルヒロくんが、ベーッといたずらっ子のように舌を出しました。
そして。
「いやぁっ」
抵抗もむなしく、私はパンツをずりおろされてしまいました。
恐怖が全身を駆け巡って、震えが止まりません。
なんで……なんでこんなこと……。
あ……あっいや……誰か……。
バタンッ。
「あれ、ハルヒロくんまだい……」
不意にドアの開く音がして、アイちゃんの声が聞こえました。
続いて、カバンが床に落ちる、低い音。
アイちゃんが来てくれた……。
そうと分かると、それだけで無性に安心して、涙がこぼれてきました。
助けて……。
心の中で、アイちゃんに助けを求めながら振り返ると、そこには、恐ろしいほど無表情のアイちゃんが立っていました。すごく、怒っているようです。
私のパンツをつかんでいたハルヒロくんが、舌打ちして怒鳴りました。
「空気読めよ! タイミングブス!」
「はぁ⁉」
大声怖い……ですが、アイちゃんはまったく怯んでいないようです。
彼女は険しい顔をして、つかつかとこちらに歩み寄ってくると、彼の頬を思い切りビンタしました。乾いた音が響き、彼の頬には真っ赤な手形が。痛そう……。
「先輩を泣かせる奴は殺す」
……へ?
あっ、アイちゃん、アイちゃん。
助けてくれるのは嬉しいのですが、キャラ崩壊していませんか……?
バシッ。
そう思ったのと同時に、目の前が真っ白になりました。