第8話 世界がリセットされています!
四月十四日木曜日。
そう、今日は四月十四日木曜日らしいのです。
何度スマホを見ても、そう表示されています。
気づくと私は、教室の自分の席で、校庭の隅に咲く八重桜を見下ろしていました。
転生したらしい、と気づいた時と、まったく同じ状況です。
どうやら時間が巻き戻ったようなのです。
いったい、なぜ?
まぁここはゲームの世界なので、プレイヤーがゲームをリセットすれば、物語が始まる前の状態に戻る。それが普通のことなのかもしれませんが……。
「はーい、出席とるぞー」
卯月美波先生が教室に入ってきました。
この前とまったく同じ流れです。
私、どうすればいいの……?
* * *
それから特に何事もなく、一斉部会の日がやって来ました。
部室に行くとまだ誰もいなくて、これも同じなのだなぁと思いながら待っていると、しばらくして、少し不機嫌な顔をした竹田サオリちゃんが部室に入ってきました。
「ごきげんよう、サオリちゃん」
「どうも」
あれ、この前とは挨拶が違うような?
世界がリセットされて、何もかもが前回と同じように進行するというわけではないようです。ところで、サオリちゃんが前回のことを覚えているのであれば、助けてくれたことへの感謝を伝えたいのですが……。
彼女は、ここがゲームの世界だと知っているのでしょうか?
知っている場合は問題ないのですが、知らなかった場合、それを言ったらきっと、頭がおかしくなったのかと心配されてしまいますよね……私は正常なのに……。
「先輩、難しい顔してどうしたんですか?」
考えていると、サオリちゃんに心配そうな顔をされました。
「何でもありません。少し考え事をしていただけです」
「先輩が、考え事を?」
すごく意外そうに聞き返されました。
私、考え事するイメージないのですか? 脳内お花畑だと思われているのですか? ごくごく普通の人間の一人として、私だって考え事くらいするのですが……。
「はい。サオリちゃんがいつもより、少しご機嫌斜めな気がしたので、どうしたのかなぁと考えていました」
「あー……別に、何でもないですよ」
「眉間にシワが寄っています。何か悩んでいるのでしたら、ダイヤモンドよりも口が堅い私に、何なりと相談してください。誰かに話せば、少しは気が楽になるものですから」
「……ダイヤモンドねぇ」
サオリちゃんが、おかしそうにニヤッと笑いました。
あれっ、てっきり元カレの話をすると思ったのですが……。
前回とは全然違う反応です。
そういうものなのでしょうか?
「知っています? ダイヤモンドはモース硬度10の、世界で一番硬い石、なんて言われていますが、その『硬い』というのは『傷がつきにくい』って意味なんですよ」
「ほへ?」
急に難しい話が始まりました。モース硬度?
サオリちゃん、頭がいいのでしたっけ?
「ダイヤモンドには劈開面があって、衝撃に対する強度はそれほど高くないんですよ。ハンマーで叩けば、意外と簡単に砕け散る。……知りませんでした?」
「知りませんでした……」
そうなのですか⁉
てっきり、ダイヤモンドはどんな衝撃を受けても割れないのかと……はっ。
つまり私は今まで、『ハンマーで簡単に砕ける石よりも口が堅いです!』と自信満々に言っていたのですね⁉ なんと説得力のない……恥ずかしいことを……。
「それに、先輩は少し口がゆるくてもいいと思いますよ」
へ?
藪から棒に……。
「どうしてですか?」
「先輩って、嫌なことをされても、自分が我慢すればいいやって、黙ってため込みがちでしょう? そういうの、よくないですから。もっと話さないと」
「サオリちゃん……」
もしかして……リセットされる前の世界のことを、覚えている?
「あの、サオリちゃ……」
「レナ先輩、逃げてください!」
突然、松岡アイちゃんが部室に飛び込んできました。
すごく慌てているようで、息を切らしています。全力疾走していたのでしょうか。髪が乱れていて、汗もかいているようです。ただ事ではない雰囲気を感じます。
「アイちゃん、どうしたのですか?」
「逃げてください!」
いきなりそのようなことを言われましても……ここは三階。
部屋の出入り口は一つ、アイちゃんが立っているところだけです。
それに、何からどうやって逃げろというのでしょう?
私の最推しであるアイちゃんの言うことですから、その通りにしたいのはやまやまなのですが……5W1Hが不足しすぎです……。
「アイちゃん、まずは落ち着いてください」
「のんびりしている暇はありません! 先輩は、ここにいちゃいけないんです!」
「えっと……?」
どういうことでしょう?
ここにいちゃいけない? 一斉部会の日なのに?
それはつまり、私はTSK部にいてはいけないと……?
頭の中にクエスチョンマークがいっぱいです。
アイちゃんが私の手をつかんで引っ張るので、とりあえず立ち上がりましたが……。
「なんで逃げるんだよ、アイちゃん」
あ、ハルヒロくんが来ました。
でも……なんでしょう。すごく嫌な感じがします。
部室の入り口に立っているのは、私がよく知っているハルヒロくんで間違いないはずなのですが……アイちゃんの呼び方が違っていて……雰囲気も異様で……。
「え、いるじゃん! レナちゃんはっけーん」
やっぱり、今日のハルヒロくんは変です!
私を見るなり、彼が手をわきわきと動かしながら近づいてきました。
荒い鼻息、血走った目、だらしなくゆるんだ頬……これまで彼に、嫌悪感を抱いたことはなかったのですが、今の彼は、はっきり言って気持ち悪いです。
なぜか身の危険を感じます。
「ハルヒロくん、どうしたのですか……?」
「先輩には手出しさせない!」
アイちゃんが、まるで私を守るように両手を広げました。
何事ですか? まさか、先ほどの『逃げてください』というのは、ハルヒロくんから逃げてくださいということなのですか? 確かに彼、今日は様子がおかしくて、私の頭の中で警鐘がガンガン鳴り響いていますけど……でも、ハルヒロくんなのですよ?
「アイちゃん、邪魔しないでよ」
「うっ」
え……。
なっ、何を、何をしているのですか⁉
ハルヒロくんがいきなり、アイちゃんの胸をわしづかみにしました。
揉むというより握るような感じで、見ているだけで痛そうです。
アイちゃんの顔がゆがんでいます。あり得ないです。ハルヒロくん、こんなことをする人ではないと思っていたのに……。
どうしよう、どうしよう……。
「てめぇ、何しやがる!」
サオリちゃんが、カバンを振り回してハルヒロくんに近づきました。
おろおろするばかりの私と違って、すごく勇敢です。
重たい教科書の束が、ガンっと彼の腹部に直撃しました。痛そう……。
「いってぇ……」
彼の手がアイちゃんから離れました。解放されたアイちゃんがふらついたので、私は彼女が倒れないように支えました。アイちゃん、顔色が悪いです。どうしよう……。
「っざけんじゃねぇ!」
ひぃぃっ。
ハルヒロくんが、急に叫びました。
彼は怒りの形相でサオリちゃんをにらみつけると、こぶしを振り上げ、彼女に殴りかかりました。サオリちゃんは腕で彼のこぶしを受け止めましたが……すかさず足払いをされて、床に倒れてしまいました。床に体がぶつかる痛そうな音が響いて、とても聞いていられません。なんで……なんでこんなことに……。
「くそっ」
「女を殴る趣味はないんだけど、おとなしくしていてくれない?」
「はっ。殴ってきた後で、よくそんなことが言えるな」
「先に手を出してきたのはお前だろ?」
起き上がりかけたサオリちゃんを、ハルヒロくんが容赦なく蹴り飛ばしました。
痛いっ!
もう嫌です。やめてください。どうしてこんなバイオレンスな展開に……。
「先輩、逃げますよ」
目をつぶっていると、青ざめたアイちゃんが私の腕をつかんでささやきました。
「だっ、ダメですよ、サオリちゃんが……」
「先輩は自分のことだけ考えてください! あいつが狙っているのは先輩なんですよ⁉」
あいつ……アイちゃんが、ハルヒロくんのことを『あいつ』と呼んでいます。
そんなこと、今まで一度もありませんでした。
やはりあれは、ハルヒロくんであって、ハルヒロくんではないのでしょうか?
それにしても……。
「わっ私が狙い?」
どうして?
私、このリセットされた世界では、まだ一度もハルヒロくんに会っていません。それなのに狙われている? まったく意味が分からないのです。
「そうですよ! 早く逃げましょう!」
アイちゃんが私を急かします。
ですが、私が狙われているのであれば……
「私が代わりに殴られれば、サオリちゃんを助けられるのでは……?」
「それじゃ意味がないんです!」
意味がない?
予想外の返答に、私は思わずアイちゃんの顔をまじまじと見つめてしまいました。
彼女は何を言っているのでしょう?
サオリちゃんを助けることに意味がないなんて、そんな……。
「逃げるつもり?」
ハルヒロくんの冷ややかな声がしました。
見ると、サオリちゃんに馬乗りになった彼が、じっとこちらを見ていました。
冷たい目……狂気の目……ぞっとします。
「先輩が逃げるなら、俺、今からサオリちゃんの顔をボコボコに殴ります」
にこっと笑って、ハルヒロくんがそんなことを言い出しました。
え……?
頭の中が真っ白になりました。
正気ですか? 笑顔でそんなことを宣言するなんて……。
「先輩は、かわいい後輩を助けたいですよね?」
「あたしのことは構うな!」
ねじ伏せられたサオリちゃんが、苦しそうに叫びました。
「松岡! 先輩のことを連れて、早く逃げろ!」
「……うるせぇ奴だな」
冷たい顔をして、ハルヒロくんがサオリちゃんの口をぐっと押さえつけました。
すごく苦しそうです。痛そうです。サオリちゃん……。
「優しい先輩は、後輩のこと見捨てられませんよね?」
ハルヒロくんがこちらを見て、またにこっと笑いました。
「服を脱いでください」
なっ……。
「そこで服を脱いで、全裸になってください。そうしたら、サオリちゃんのきれいな顔はそのままです。先輩が脱がないなら、顔の形が変わるまで殴ります。どうします?」
なっ……なっ……。
「ハ、ハルヒロくん、どうしてそんなことを……」
「俺、無駄話は好きじゃないんです。十秒以内に決めてください。十、九……」
「そんな……」
会話を拒否され、冷酷なカウントダウンが始まりました。
口をふさがれたサオリちゃんがうめいています。
私は、サオリちゃんが殴られるのを見ていたくありません。
他にどうしようもないなら……やるしかありません。
この世界がリセットされる前、私はサオリちゃんに助けられたのです。今度は私が助ける番です。服を脱ぐくらい……これくらい……。
「レナ先輩! あいつの言うことを、真に受けないでください!」
制服のリボンに手をかけると、アイちゃんが私を止めました。
心配してくれているようです。ですが、私はサオリちゃんのほうが心配なのです。
殴られるより、全裸になるほうがずっとマシですから……。
「レナ先輩、やめてください!」
「あの……」
その時、誰かのうかがうような声がしました。
「TSK部の部室って、ここで合っていますか……?」
モモちゃんです。
そうです、今日は一斉部会の日。
梅原モモちゃんが、TSK部に入部する日なのです。
それがこんな、こんないかがわしい状況になっているなんて……私たち、いったい何をやっているのでしょう⁉
……と、急に視界がふさがれました。
アイちゃんが、私の目を手で覆ったのです。
「モモちゃん、お願い!」
「任せてください!」
そんな声がして、また、目の前が真っ白になりました。