第7話 いきなりクライマックスです!?
それから二日後、四月二十一日木曜日のことです。
昇降口で、私はハルヒロくんとばったり鉢合わせました。
「……あっ」
そういえば、そんなこともありましたね。
これも分岐点です。この日、すべての授業が終わった主人公は、教室に残ってアイちゃんと話すか、話さずに教室を出て、藤井レナと遭遇するかを選択するのです。
……って、え、ええっ?
ちょっと待ってください。
本当に?
本当にその二択でしたか?
それが本当なら、彼が今ここにいるということは、彼が狙っているのはアイちゃんではなく、私だということになるのですが……嘘でしょう?
主人公が、人気最下位のチョロイン、藤井レナを攻略しようとしている?
「藤井先輩、今帰りですか?」
「はい、そうですよ。ハルヒロくん、今日はアイちゃんと一緒ではないのですね」
「ははっ。別にいつも、あいつと一緒ってわけじゃないですよ」
和やかに会話が始まりましたが……アイちゃんを『あいつ』呼ばわり⁉
信じがたい所業です。ハルヒロくんはこれまで、アイちゃんを『松岡さん』と呼んでいたはずです。いきなり何様のつもりですか⁉
教室で私の推しをスルーした挙句、『あいつ』呼ばわりするなんて……。
私、怒っちゃいますよ⁉ すでに心の中ではぷんぷんです!
「そうなのですか。二人は仲がいいので、いつも一緒だと思っていました」
「まさか。俺はアイより、先輩に興味があるんですよ」
今度はアイって呼び捨てにしている……本当に何様のつもりなのでしょう⁉
……って、え、え、ええぇぇぇっ⁉
「私に興味……?」
「はい。俺は先輩みたいに、包容力のある人が好きなんです」
はわっ、はわわわわっ⁉
「そっそそそれは、どどういう意味なななのでしょう………?」
「あれ?」
ハルヒロくんが、急に首をかしげました。
……あ、まずいのです!
驚きのあまり、私はゲームと違う反応をしてしまっていたのです!
「あっ、ごごめんなさい! 男の人から『好き』と言われるのに慣れていなくて……過剰に反応してしまいました。ごめんなさい。ハルヒロくんの言う『好き』が、深い意味での『好き』ではないと分かっていますが……そう言っていただけるのは、嬉しいです」
ふぅ。これでなんとかごまかして、軌道修正できたでしょうか?
藤井レナの本来のセリフは、『ハルヒロくん、『好き』だなんて軽々しく言っちゃいけませんよ。女の子は勘違いしてしまうんですから』という感じだったと思います。
ですが私は、本物の藤井レナのように堂々と振る舞えないので……お願いします。
神様仏様、これでどうにかなってください!
「俺の『好き』は、深い意味での『好き』ですよ」
ハ、ハルヒロくぅん⁉
軌道修正、できていなかったようです。
ゲームにはなかったセリフが、彼の口から発せられました。
シナリオが変わっています。
この場面で、そんな告白まがいのことを言うなんて……早すぎます!
「ふっふざけないでくださいよ……」
「ふざけていません。俺は本気です。俺、本当に先輩のことが好きなんです」
きゃあぁぁぁっ⁉
ストップ、ストップです!
それ以上はいけません! 私の心臓が過労死します!
私、まだ心の準備ができていないのです!
こんなところで告白イベントだなんて……なんですかこの展開は⁉
キャパオーバーです。頭がパンクしそうです。無理無理むりぃっ!
「先輩」
と、真剣な顔つきで、ハルヒロくんが迫ってきました。
え、え、えぇっ⁉
近いです。近いです近いです近いですぅっ!
思わず後ろに下がろうとしましたが、背後には靴箱がありました。
逃げられません。
ど、どどど、どうしよう……!
「先輩」
「きゃっ」
彼の腕が伸びて、ドンッと靴箱を押すような音がしました。
私の顔のすぐ左横に、紺色のブレザーコートの袖で覆われた彼の腕があります。
これっていわゆる壁ドンじゃ……?
って、近いです。怖いです。
私たち、こんな至近距離見つめ合うような関係ではなかったはずです。
鼻が触れそうなほどの距離に、彼の顔があります。
彼のことが嫌いというわけではないのですが……ちょっとこれは無理です。さすがに無理です。急展開すぎて、頭も心もこの状況を受け入れられていません。
キスされる……?
やっやめてください!
「ハっ、ハルヒロく……っ」
と、彼の左手が私の胸に当たりました。
偶然ぶつかった、というわけではないようです。
ぶつかったその手が、もぞもぞ動いて、私の胸をまさぐっています。彼の指が曲がったり伸びたりして、ありていに言えば、私の右胸を揉んでいます。
なっななな……何をっ⁉
「……っ」
瞬時に、私は一つのことを理解しました。
これはダメです。許してはいけないパターンです。
かわいい後輩とはいえ、人の胸を勝手に揉むなんて、完全にセクハラです。
このままじゃいけない……。
そう思って、私は誰かに助けを呼ぼうと思いました。ですが、すぐ近くにある彼のギラギラした目が怖くて、うまく声を出せなくて……うぅ……。
真剣だった彼の顔が、いつの間にか、鼻の下を伸ばした変態の顔に変わっていました。
きっ気持ち悪いです。嫌です。離してくださいっ!
ふにふに、もみもみ。
……あっ。
祈りが通じたのか、私の胸を揉んでいた彼の手が、不意に離れていきました。
よかったぁ……。
き、きっとこれには何か、理由があったのですよね? 優しくて礼儀正しいハルヒロくんが、急にセクハラしてくるなんて、信じられませんから……。
ところが、それは束の間の安心でした。
私の胸から離れた彼の手は、制服の裾から内側に侵入して、今度は私の胸を直接触り始めたのです。嫌な体温が伝わってきます。やっやっやだぁ!
どうして昇降口なのに、誰も来てくれないのですか⁉
これがエロゲだから? そういうゲームだから?
ご都合主義……許すまじです!
「……やっ」
彼の手が私の下着を触り、胸の形を確かめるようにゆっくりとその輪郭をなぞり、果てには下着の中にまで手を突っ込んできて……やめてくださいっ。
それ以上は本当にダメです!
誰か、誰でもいいから助けてぇっ!
「おい! 何やってんだよ」
その時、サオリちゃんの声がしました。
きゅ、救世主!
いつもであれば、授業が終わるとすぐ帰宅する彼女ですが、今日は珍しく、まだ校内にいたようです。昇降口に現れた彼女は、眉を吊り上げてハルヒロくんをにらみつけていました。助かった……!
「サっ、サオリ……」
彼女が登場して気まずくなったのか、ハルヒロくんが私の胸から手を離しました。
そして身の潔白を示すかのように、ぱっと私から距離を取ると、ゆるんでいた顔を引き締めて、彼は何食わぬ様子でサオリちゃんに話しかけました。
「竹田さん、まだ学校にいたんだ。珍しいね」
ごまかせると思っているのでしょうか?
セクハラ現場をばっちり目撃されているというのに……ハルヒロくんは取り繕っているつもりのようですが、それじゃ、私でも騙されませんよ?
話しかけられたサオリちゃんは無言でした。
彼女は鬼のような形相でずんずん彼に近づくと、腕を振りかぶり――。
「ぐあっ」
痛そう!
彼女に思いっきり殴られて、ハルヒロくんがよろめきました。
見ていられなくて、私はぎゅっと目を閉じてその場にうずくまりました。
怖いのも痛いのも嫌いなのです。ハルヒロくんが悪いとはいえ、いきなり殴るなんて……サオリちゃん、ちょっと問題ありなのです。暴力はやめましょう……。
「レナ先輩」
と、サオリちゃんの声がすぐ近くで聞こえました。
おそるおそる目を開けると、心配そうな顔をしたサオリちゃんが目の前にいました。
「もう大丈夫ですよ」
「サオリちゃん……」
とても優しい声でした。その声を聞いた途端、なぜだか涙があふれてきて……。
うぅ……怖かったぁ……。
涙がぽろぽろと、次々に落ちてきて止まってくれません。
後輩の前で泣くなんて、みっともないのに……。
「遅くなってすみません」
その言葉と共に、サオリちゃんが私を抱きしめてくれました。
あったかい……。
更にまた、涙がこぼれ出しました。これ以上、泣きたくないのに……。
「先輩のことは、あたしが守りますから」
そう言ってサオリちゃんが、自分のブレザーコートを私の頭の上にかけました。視界が真っ黒になります。え、どうしてそのようなことを……?
戸惑いながら彼女のブレザーコートを持ち上げると、ハルヒロくんのほうへ近づいていくサオリちゃんの後ろ姿が見えて――次の瞬間、目の前が真っ白になりました。