第5話 かわいいのは私じゃありません!
四月十九日火曜日、今日は部活の日です。
授業が終わって、心配するユイちゃんから逃げるように教室を出て部室へ向かうと、今回は私が一番乗りではありませんでした。梅原モモちゃんがいます。
彼女は机の上に荷物を置いて、本棚をじっと眺めていましたが、私が部屋に入ると慌てたように背筋を伸ばして、
「藤井先輩、おはようございます」
おはようございます?
夕方のこの時間に、その挨拶は違和感があるのですが……。
「ごきげんよう、梅原さん」
すごく緊張しているせいでしょうか?
安心してください、私は怖い人間ではありませんよ、という意味を込めてほほ笑みかけると、モモちゃんは少しだけ肩の力を抜いてくれました。かわいい後輩です。
「何を見ていたのですか?」
「えっと、どんな本が置いてあるのか気になって……ほとんど活動しない部活と聞いていましたが、意外と本格的な書籍が揃っているんですね。驚きました」
「あぁ。それは部長の私物ですよ」
「部長の?」
モモちゃんが目を丸くしました。
そうなのです。実は、部室に置いてある宇宙関連の小難しそうな本はすべて、部長であるハルヒロくんの私物なのです。
「はい。ハルヒロくんは昔から宇宙のことに興味があって、いろいろな書籍を集めていたそうです。TSK部は学校公認の部活ですから、五月の総会の時にその年の部費を申請できるのですが、支給されるのは、文化祭で使う模造紙やサインペンを買えるだけの僅かな金額で……部室が寂しいからと、ハルヒロくんが私物を持ち込んでいるのです」
「……へぇ」
あっ、ペラペラと聞かれていないことまで話してしまいました。
迷惑だったでしょうか……?
そっとモモちゃんの顔色をうかがうと、私が話し始める前とさほど変わっていないようでした。迷惑にはなっていなかったようです。よかったぁ。
「梅原さんのこと、モモちゃんと呼んでもいいですか?」
ゲームをしながら、ずっと『モモちゃん』と呼んでいたので、『梅原さん』と改まって呼ぶのは、すごく違和感です。
彼女が嫌でなければ『モモちゃん』と呼びたいのですが……会って二回目でお願いするのは、早すぎたでしょうか?
距離の詰め方、間違えてしまったでしょうか?
尋ねて二秒で、急に不安になってきました。
モモちゃんに、かわいい後輩に嫌われてしまったら、私は……。
「いいですよ」
あ、思っていたよりあっさりと許可が下りました。
やった! 嬉しい……。
「ありがとうございます! モモちゃんって、とってもかわいらしい名前ですよね」
「そうですか?」
あれ?
名前で呼べるのが嬉しくて、本心で褒めたのですが、なぜか微妙な反応……。
「私はあんまり、自分の名前が好きではないです」
え!
わわっ私、まずいことを言ってしまったようです!
「そそそうなのですか⁉ 知らずにすみません、嫌でしたら名前では呼びません。ちゃんと苗字でお呼びしますので……」
「いえ、名前で呼んでくださっていいですよ。先輩に呼ばれるのは、嫌じゃないので」
「無理していませんか?」
「していません!」
モモちゃんがにこっと笑いました。かっかわいい……!
思わず抱きしめたい衝動にかられましたが……いけません。
私は『涙の向こう』をプレイしたので、彼女のことをよく知っていますが、彼女にとって私は、まだ二回会っただけの部活の先輩。
いきなり抱きつかれたら、さすがに引いてしまうでしょう。
後輩に嫌われることはしたくありません。我慢です、我慢。
「ふふっ。藤井先輩ってほんと、聞いていた通り面白いですね」
急にモモちゃんが笑い出しました。
えっ、どうしてですか?
聞いていた通り面白いとは……?
「誰から、何を聞いたのですか?」
「大したことではありませんよ。とてもかわいい先輩がいると聞いて……あっ、先輩にかわいいと言うのは失礼ですよね、すみません」
「構いませんが……」
かわいいのはモモちゃんですよ。
私なんて胸が大きいだけで、人気のないキャラでしたから。……はぁ。
小動物のように愛くるしいモモちゃんが、うらやましいのです。
彼女が今、素でしゃべっていないことは知っていますが、それにしたってかわいいのです。かわいいは正義、ジャスティス。
「ちーっす」
あ、竹田サオリちゃんがやって来ました。
今日もやる気なさそうです。でもいつも、同じクラスのハルヒロくんやアイちゃんより早く部室に来ています。不良のように見えても、根は真面目なのです。
「おはようございます、竹田先輩」
「ごきげんよう、サオリちゃん」
会釈すると、サオリちゃんは乱暴に椅子を引いて、自分の席に座りました。そして後輩には目もくれず、スマホをいじり始めています。通常運転ですね。
彼女がTSK部に入部した理由は、モモちゃんと似ています。部活動になるべく時間を取られたくなくて、TSK部の一員になったのです。
似ているこの二人は、話してみればきっと仲良くなれると思うのですが……サオリちゃんの傍若無人な態度に、モモちゃんは少し怯えているようです。ドーベルマンの存在に気づいてしまった子犬のように、ぷるぷると震えています。ちょっとかわいそうです。
「サオリちゃん、モモちゃんが怖がっていますよ」
先輩として、この状況は看過できないのです。
机越しに顔を近づけて、こっそり耳打ちすると、サオリちゃんはスマホから目を離して面倒くさそうな顔をしました。
「別にいいでしょ。お互い、部活動が面倒くさくて、ここに来ているんですから。慣れ合う必要あります?」
「あります! 新しくできた後輩ですよ⁉」
慣れ合いたくないなんて……信じられません。
「かわいがらなくてどうするのですか⁉」
「かわいがるって……あたしがそれ言うと、別の意味になるって分かりません?」
「分かりません!」
「あ、そっすか」
面倒くさそうに軽く頷いて、それからサオリちゃんは、ニヤリと何かを企むような笑顔を浮かべました。な、何……?
思わず身構えていると、
「先輩よりかわいい人間は、この世界にいませんよ」
「ふわぁっ⁉」
なっ、いきなり何を言うのですか⁉
突然の発言に脳内がパニックです。
私よりかわいい人間がこの世界にいないだなんて……そんなことありません! サオリちゃんやモモちゃんのほうが、ずっとかわいいのです!
それに……というか、ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!
それは、ヒロインを攻略する主人公のセリフでは⁉
私、もしかして現在進行形で、サオリちゃんに攻略されている⁉
なぜ⁉
ここは『涙の向こう』というエロゲームの世界ではなく、設定が似通った、まったく別の世界だったのですか⁉
女の子が女の子を口説くゲームの世界⁉ ジャンルを間違えた⁉
「……かわいい」
不意にモモちゃんが、ぼそっと呟きました。
かわいい? 何がですか?
「だろ?」
サオリちゃんがモモちゃんに同意を求めています。
モモちゃんは、こくりと神妙に頷きました。
……なぜ二人で通じ合っているのです⁉
仲間はずれにするなんて、ひどい!
「先輩。私も先輩のこと、レナ先輩って名前で呼んでもいいですか?」
にこにこしながら、ふとモモちゃんが尋ねてきました。
……はっ。いじけたり、落ち込んだりしている場合ではありません。
これは、彼女と仲良くなる絶好のチャンスです!
「もちろんですよ」
「ありがとうございます!」
あぁ、モモちゃんの笑顔が眩しい……。
「それと、ちょっと気になっていたんですが……レナ先輩って、どうしてTSK部に入ったんですか?」
モモちゃんが不思議そうな顔をしています。私がTSK部にいるの、そんなに不思議ですか? 大した理由ではありませんが、気になるのであれば教えてあげましょう。
「アイちゃんに誘われたのです」
あれは去年の四月、始業式の翌々日くらいのことでした……。
その時の私は、ユイちゃんと一緒に奉仕部に所属しており、部活動として、放課後に校内の清掃活動をしていました。そんな時、アイちゃんに出会ったのです。
彼女は下校する学生たちを呼び止め、必死に勧誘をしていました。ですが勧誘の成果は芳しくないらしく、落ち込んだ顔をしていました。
「どうしたのですか?」
なんだかかわいそうで、声をかけてみると、彼女は友達と新しい部活を立ち上げたいけれど、人数が集まらなくて困っている、と私に話してくれました。
名前だけ貸してくれる人はいても、兼部の子ばかりでは申請が通らず、TSK部だけに所属してくれる人を探しているということでした。
私は、入学したばかりの一年生が、自分で部活を立ち上げようとしていることにとても驚きました。彼女はすごく真剣で、すごく困っているようでした。
そこで私が、転部してその部の部員になりますよと、申し出たのです。
奉仕部に、すごく大きな思い入れがあるわけではなかったので……。
まぁそういう成り行きで、私は今、TSK部に所属しているのです。