第3話 きゃわわ!推しに出会いました!
心臓がバクバクしています。
やって来ました、四月十五日です。
緊張する……。
授業が終わり、ドキドキしながらTSK部の部室に向かうと、そこにはまだ誰もいませんでした。私が一番乗りです。ちょっと嬉しいのです。
「ふぅー」
いつもの下座の席について、みんなが来るのを待ちます。
わくわく、どきどき。
数分後、まずやって来たのは竹田サオリちゃんでした。
主人公と同じクラスのはずですが、先に一人で来たようです。金髪のポニーテールが今日も輝いています。制服の着崩し方が、とても彼女らしくて素敵です。
……わわわっ。かわいい女の子が、今、私の目の前にいる!
生の美少女に思わず興奮してしまいましたが、今の私はゲームのプレイヤーではなく、彼女の先輩、藤井レナです。
先輩らしく、落ち着いた振る舞いをしないと怪しまれてしまうでしょう。
「ごきげんよう、サオリちゃん」
平静を装ってそう挨拶すると、彼女は軽く目を見開いて会釈しました。
「ちっす」
あれ、少し元気がないようです。
彼女が私の向かいの席に座りました。机の上に乱暴にカバンを置いて、盛大なため息をついています。どうしたのでしょう?
「サオリちゃん、何かあったのですか?」
「……別に」
不機嫌そうな声。
何もないわけがないのです。話したくない……という雰囲気でもなかったので、もう少し会話を続けてみることにしました。
「いつもより元気がないですよ」
「そうすか?」
「はい。表情が暗いですし、しょんぼりしているように見えます。何か落ち込むようなことがあったのですか?」
「……別に」
同じセリフですが、吐き捨てるような言い方に変わりました。
何か落ち込むようなことがあったのは、間違いないようです。負の感情を一人で抱え込むのは、いいことではありません。……よーし!
ここは先輩として、後輩の心のケアを試みるべきでしょう。
「サオリちゃん、嫌なことがあったなら私に話してください。人に話せば、少しは楽になりますよ。それに私の口は、ダイヤモンドより硬いですから」
えっへん。
安心して話してくれていいのですよ、という意味を込めてサオリちゃんにほほ笑みかけると、彼女は突然、プッと小さく吹き出しました。
笑っている……? どうして……?
「本当に何でもないんですよ」
彼女が急に笑い出した理由について考えていると、少しだけすっきりした顔になったサオリちゃんが、ちょっと困ったように口を開きました。
「元カレからウザイ連絡が来て、うげぇってサイアクな気分になっていただけです。大したことじゃないですし、落ち込んでいたわけじゃないですよ」
「元カレ⁉」
ちょっちょっちょ、ちょっと待ってください!
初耳です。それ、初めて知った情報なのですよ⁉
サオリちゃんに彼氏がいたなんて……衝撃の事実に、開いた口がふさがりません。
先輩である私より先に、大人の階段を上っていたなんて……びっくりしすぎて、お口あんぐりです。
「先輩、顔がやばいですよ」
「……はっ」
い、いけません。
乳幼児でもないのに、ヨダレを垂らすところでした。そんなところを見られたら、先輩としての面目が、丸つぶれになるところでした。気をつけないと。
「もっ元カレさんから連絡がきっ来て、いいつもと様子ががちっ違ってていたのですね」
「先輩、どもりすぎ」
サオリちゃんがクスクス笑っています。
「マジおもろい」
だって、サオリちゃんに元カレがいるとは思っていなくて……ゲームでもそんな情報なかったのに……まさかのまさかすぎて……うぅっ。
「ああのっ、ちなみにその、元カレさんというのは……」
話したくないのであれば、別に構わないのですけれどね⁉
年齢=彼氏いない歴の私としては、後学のために、彼氏というものがどのような存在であるか知っておきたいといいますか、ほんの少々興味があるといいますか……。
「あぁ。人間のクズですよ」
「クズ⁉」
「クズ男です。典型的なダメ人間。つーか、中学の時に半年間、だるく付き合っていただけのダチみたいな奴ですけど」
「中学の時……」
ほえぇ。
中学生で彼氏がいたなんて……恐ろしい子……!
「ふはっ。先輩の百面相、マジおもろすぎますって。大丈夫ですか?」
「だっ大丈夫です……」
気づくと、サオリちゃんがケラケラ笑っていました。心に詰まっていたことをしゃべってすっきりしたのか、いつもの彼女の雰囲気に戻っています。よかったぁ。
やはり、悪い気持ちになっている時は人に話してみるものですね。
先輩として、微力ながら彼女の力になれたようで嬉しいです。
「こんにちはー」
あ、主人公の桜庭ハルヒロくんが、部室に入ってきました。
「こんにちは。レナ先輩、早いですね」
続いて、松岡アイちゃんもやって来ました。
ピンクの髪にピンクの瞳。二次元っぽさ満開の見た目ですが、対面しても違和感はありません。アイちゃんは顔も声もかわいいのです。きゅるんきゅるん。
私の推しが、目の前で動いている……!
「レナ先輩、あの……目が異様に輝いていますけど、大丈夫ですか?」
……はっ。
アイちゃんに心配されてしまいました。
後輩への挨拶を忘れるなんて、これじゃ先輩失格です。
「ごきげんよう。アイちゃん、ハルヒロくん」
ですが私、ごまかすのは得意なのです。
必殺、聖母のほほ笑み。にこっ。
「……」
アイちゃんが無言で、私の隣の席に座りました。
部長のハルヒロくんも、無言でいわゆるお誕生日席に座りました。
効果は抜群だったようです。
私のおめめキラキラ事件は、なかったことにしてくれたようです。
「レナ先輩」
「はい⁉」
と、突然アイちゃんが、横を向いて私の手を握りました。
きゃわわっ!
予想していなかった推しとの接触に、私の心臓はもう破裂寸前です。
何ですか! これは、どういうことですか!
推しの手が、体温が、私の手に触れているなんて……もしや、ここが天国? アイちゃんの手、すべすべしていて気持ちいいです。幸せ……ってわわっ、私の手、汗をかいているのでは⁉ 汗びっしょりで、気持ち悪いのでは⁉
「レナ先輩のことは、私が守りますから!」
「はい⁉ え、えっと……?」
アイちゃん、急に何を……?
思考が飛びました。ごめんなさい、アイちゃん。いきなり守ると言われても、嬉しいような気はしますが、意味が分からないのです。
それにこんな展開、ゲームではなかったはず……いえ、ゲームはハルヒロくんを中心に物語が展開していくので、描写されていなかっただけで、アイちゃんと藤井レナの間では、元からこのような会話が交わされていたのかもしれませんが……私を守る?
どういうことでしょう?
「失礼します……」
考えていると、部室のドアを軽くノックする音が聞こえました。
梅原モモちゃんが来たようです。
小さな体躯につぶらな瞳、キャラメルブロンドのツインテール……少し緊張しているのか、警戒するような表情でこちらを見ています。そこも含めてかわいいっ。
「松岡先輩に、暇な部活だと聞いたのですが……」
「その通りだよ」
ハルヒロくんが苦笑いして答えました。
二言目でそれを言うとは……さすがモモちゃん、正直な子です。
そうです。彼女がTSK部へ入部したのは、この部の活動時間が短いからなのです。彼女は生活費を稼ぐため、毎日のようにバイトをしていますから……。
学校のルールで、学生はみな、何かしらの部活動に参加することになっています。学校のルールを無視するわけにはいかず、彼女は仕方なく、基本的に週に一時間しか活動しないTSK部へ入部することにしたのです。
「一年の梅原モモです。よろしくお願いします」
部室にいるメンバーを見回して、モモちゃんがぺこりと頭を下げました。
「多重世界考察部へようこそ、梅原さん」
ハルヒロくんが笑顔で挨拶しました。
「部長の二年生、桜庭ハルヒロです」
「同じく二年、副部長の松岡アイです」
「竹田サオリ」
「三年の藤井レナです」
順に自己紹介をしました。
モモちゃんは緊張した顔で「はい」「はい」と頷き、「よろしくお願いします」と何度も頭を下げていました。礼儀正しい子なのです。私の順番になると、頷きながら驚いた顔で私の胸元を見つめていましたが……それは仕方のないことでしょう。
自分でも分かっていますから。すごいボリュームの胸だと。
男女問わず、驚いたような顔で視線を注がれるのは、よくあることです。
モモちゃんも小柄な割にEカップはありそうですが……あれ?
ふと、もう一つの視線を感じました。見ると、ハルヒロくんが鼻の下を伸ばして私の胸を凝視しています。なんとも間抜けな表情ですが……えぇ?
記憶違いでしょうか。
純朴なハルヒロくんは、最初こそ私の胸に目を奪われていましたが、『ごめん。じろじろ見るのは失礼だよね』と謝ってきて、以降はつい視線が向いても、すぐ逸らしてくれていたのですが……凝視しています……ちょっと嫌な感じです……。
「あいたっ!」
不意に痛がるような声がして、嫌な視線がぱっと消えました。
前かがみになってハルヒロくんが、いつの間にか仰け反っています。
どこからか急に何かが飛んできて、彼の額にぶつかったようです。ハルヒロくんは額を押さえて、痛みをこらえるように俯きました。
「お前、先輩の胸見すぎだろ」
犯人はサオリちゃんのようです。
飛ばしたのは……キーホルダー?
じろじろ見られなくなったのは嬉しいことですが、物はもっと大事にしましょう?
これってゲームにはない展開ですし……ハルヒロくん痛そう……。
「大丈夫ですか?」
「先輩、そんな奴のこと気にする必要ないっすよ」
サオリちゃん、なんだかとっても辛辣です。
元から、ハルヒロくんとすごく仲がいいというわけではありませんでしたが、こんなとげとげしい態度を取るのは、初めてのことのように思います。
「サオリちゃん、どうしたのですか?」
「あたしはどうもしていませんよ」
肩をすくめ、サオリちゃんが立ち上がりました。
「じゃ、あたしはこれで」
一斉部会が始まってまだ三十分と経っていませんが、もう帰るようです。
これはゲーム通りの流れです。ここが分岐点の一つ。
主人公がさっさと部室を出ていったサオリちゃんを追いかければ、彼女の好感度が少し上昇します。追いかけなければ、部室で他のヒロインとの会話になります。
ハルヒロくんがどうしたかというと……。
「あいつ……」
追いかけませんでした。
そして、普段の彼らしくないことを口走っています。ちょっと怖いです。
そんな人じゃないはずなのに……。
「あの、帰っていいのであれば、私も帰りたいですが」
顔色をうかがうような素振りをしながら、モモちゃんが言い出しました。
「これからバイトの面接があって……行ってもいいですか?」
「部長、どうする?」
アイちゃんがハルヒロくんに尋ねました。
「いいよ」
大きなため息をついて、ハルヒロくんは参ったように頭を掻きました。
「今日はこれで解散にします! 今年も毎週火曜日の放課後に部活動をするので、忘れずに来てください! 場所はこの部室です!」
「分かりました!」
モモちゃんが、打てば響くいい返事をしました。そうして、「お先に失礼します!」と待ちきれないように部室を飛び出していきます。行動早い……。
「多重世界に興味のある入部希望者はいないのか……」
彼女の後ろ姿を見送って、ハルヒロくんが残念そうに呟きました。
まぁまぁと、アイちゃんが慰めるように声をかけます。
「ガチ勢は他の部に行くからね」
「……俺もガチで多重世界を考察したい!」
「TSKは身内の集まりって認識されているんだよ」
「そんなことないのに……」
「えぇ? そうなりかけているじゃん」
「誤解だ……そんなつもりはなかった……」
「一度根づいたイメージは、なかなか払拭できないからなぁ」
ハルヒロくん、アイちゃんとの会話に入ったようです。
お邪魔虫の私は、このあたりでそろりそろりと退散するべきでしょう……。