第1話 エロゲの世界に転生したようです!
気づいた時、私は藤井レナとして、涙花学園の三年一組に在籍していました。
教室の窓際の席に座っていて、視界には校庭の隅で咲く八重桜が映っています。ピンクのぼた雪のような桜です。隣のソメイヨシノは散ってしまって、葉桜になっています。
四月中旬頃でしょうか。
そう予想してスマホを持ち上げると、ホーム画面には四月十四日木曜日と表示されていました。やっぱり……さっきまで秋だったのに……。
「はーい、出席とるぞー」
呆然としていると、教室に卯月美波先生がやって来ました。
経済学の授業を受け持つ、このクラスの担任の先生です。
四角くて細いフレームの眼鏡に、ピシッとした濃紺のスーツ。堅物そうな印象を受けますが、体型はボンキュッボンでグラマラス。カッコいい大人の女性です。
教壇に上がると、卯月先生は出席番号順に学生の名前を呼び始めました。
「安藤」
「はい」
「榎本」
「はい」
知っているような、知らないような……。
そんな名前が読み上げられ、見覚えがあるようでないような学生たちが、次々に歯切れのいい返事をしていきます。
「菊池」
「はい」
あ、ユイちゃんだ。
隣の席から声がして、そっとうかがい見ると、栗毛色のまっすぐな髪の、きりっとした顔つきの女の子がいました。藤井レナの親友、菊池ユイです。本物だ……。
「藤井」
「……はい!」
いけません。考え事をしていたら、返事をするのが遅くなってしまいました。
怪しまれては困ります。
とっさにごまかしの照れ笑いを浮かべて、私は卯月先生を見ました。すると先生は、ちょっと怪訝そうな顔をしましたが、何事もなかったようにすぐ点呼を再開しました。
どうにかごまかせたようです。よかったぁ。
それにしても……。
見覚えのある名前、学園、先生、友達。
まさかと思っていたのですが……。
どうやら私、エロゲの攻略キャラの一人に転生してしまったようです。
* * *
『涙の向こう』。
それが、私が今いる世界と非常に酷似した、エロゲームのタイトルです。
私が藤井レナではなかった時、私には年の離れたゲーム好きの兄がいました。
大学生になった途端、大学の授業はそっちのけで、バイトとゲーム三昧の日々を過ごすようになった兄です。中学生だった私は、そんなある意味大学生らしい生活をしている兄にも、兄がしているゲームにも、まったく関心がありませんでした。
ところがある日、兄がリビングに置き忘れた一本のゲームソフトを見て……私は、そのパッケージに描かれているかわいい女の子に、一目惚れしてしまったのです。
そして私は、それがエロゲとはつゆ知らず――今思えば、プレイする前に警告表示が出ていたような気もするのですが、読み飛ばしていたのだと思います――そのソフトを兄から無断で拝借し、遊んでみることにしたのです。
人生初の、エロゲーム。
それは、涙花学園という架空の学園を舞台に、主人公が四人のヒロインたちと仲を深めていくという、よくある恋愛シミュレーションゲームでした。男性の目線に立って、女性キャラを攻略していくというそのゲームは、女である私にとっては非常に新鮮なもの。
プレイしていく中で、いろいろと違和感はありましたが……主人公の異常なほどのラッキースケベ遭遇率、ヒロインたちの不可解な言動や急展開、ご都合主義すぎるシチュエーション……それでも私は、気づけばかわいい女の子たちを攻略していくこのゲームに、ハマっていました。
しかしこれは、男性向けのエロゲーム。
終盤には、健全な女子中学生にはきついハードコアな性的描写がありましたし、暴力的なシーンや、女の子がひどい目に遭うシーンもあって……うぅ。
ヒロインたちがかわいそうでした。
見ていたくないと、嫌悪を抱いてしまうような描写がいくつかありました。
私は、実のところ何度か、このゲームのクリアを挫折しかけました。
しかし、怖いもの見たさと言いますか、これからヒロインたちがどうなってしまうのだろうという興味、好奇心に突き動かされて、結局、私はこの『涙の向こう』というエロゲをクリアしたのです。
その週の休日が、すっかり潰れてしまいましたが……隠し攻略キャラの分まできっちりと、私は全エンドの回収を成し遂げたのです。私、えらい。よく頑張った。
やり切った!
万感の思いでゲーム機から手を離すと、達成感に満ちあふれていた私は、頑張ってこのゲームをクリアした自分にご褒美をあげるべく、近所のコンビニへと出かけました。
まだ十八時前でしたが、秋の終わりとあって外は薄暗く、吹きつける風はひんやりとしていました。
どら焼き、エクレア、シュークリーム……それとも、プリンにしようかな。
コンビニに向かって歩きながら、私は少し浮かれていました。コンビニスイーツを頭に思い浮かべて、何を食べるか迷いながら、のほほんとしていました。
と、突然、目を開けていられないほどの強い光が、前方から発せられたのです。
何⁉ 何の光⁉
あまりの眩しさに、私は目をつむると同時に、腕で顔を覆って、光源から顔を背けました。それから間もなく、ゴォーっと地鳴りのような轟音が響きました。
何⁉ 今度は何の音⁉
嫌な感じのする音でした。私のところに近づいているようです。気になった私は、眩しい光の中、うっすらと目を開けて、音と光がやって来るほうを見ました。
すると、猛スピードで突っ込んでくるトラックが、目前に迫っていて……。
そう、いわゆるトラ転なのです。
私はトラックに轢かれて、エロゲの世界に転生したらしいのです。
* * *
卯月先生が黒板の前で、中央銀行の役割について話をしています。
中央銀行の三つの機能と、二つの金融政策……?
ごめんなさい、私にはさっぱり分からない話です。
だって私、つい先ほどまで中学生だったのです。
これが現実だなんて……意味の分からない授業を受けている、エロゲの攻略キャラが私だなんて……はぁ。お先真っ暗な気分です。
これから私、どうなるのでしょう?
あ、そうそう。
ちなみにですが、このゲームの舞台である涙花学園は、高等学校ではなく大学校です。
大学校とは、高校の延長でリベラルアーツを教える、大学のようなところです。
制服があったり、クラス担任がいたり、共通の時間割があったり、ほとんどは一般の高校と同じですが、授業の内容は大学生向けの経済学や心理学、数学などで、在籍している学生も十八歳から二十一歳の男女。
まぁ要するに、ここは高校風の学園でありながら、主人公がヒロインたちとエッチなことをしても倫理的にはまったく問題がない、エロゲの製作者によって捏造された、ご都合主義な学園ということです。
そういうわけで、この学園の三年生である藤井レナは二十歳。
れっきとした成人です。
主人公の攻略対象となった彼女は、ナイスバディな聖母系お姉さんとして、主人公にあんなことやこんなことをされて……。
「レナ、学食行こう」
はひっ⁉
いっ、いつの間にか授業が終わっていたようです。
親友の菊池ユイに声をかけられ、私は内心で動揺しながらも、にこりとほほ笑んで立ち上がりました。
「はい、行きましょう」
びっくりした……。
まだドキドキしながら、私はユイちゃんと一緒に学生食堂へ向かいました。
どうしてトラ転したのか。
どうしてエロゲの世界だったのか。
どうして藤井レナになっているのか。
……疑問はたくさんありますが、まずは腹が減っては戦ができぬ、なのです。
ちなみにユイちゃんは、『涙の向こう』のサブキャラです。
藤井レナのルートで、主人公と彼女をくっつけるために暗躍する人物なのです。