ブルーさん
しなやかに、きらめくような青い体躯が駆け抜けていった。
身長20メートルはあるだろうか。その長い身体を横にして、鉄のレールの上をがん、ごとん、と歯切れのいい足音を立てて、駆け抜けていく時にそのひとは、チラリと大山昇太のほうを、見た。
『おおっ……!』
昇太は興奮に鼻からふしゅーっ!と息を吐き、震える手が一眼レフカメラを落としそうになった。
『ブルーさんが……、こっちを見てくれたダスー!』
写真には収めた。帰ったらゆっくりと観賞して、マシュマロをぱくぱく食べながらムフムフ言おう。そう決めて、昇太はくるりと後ろを向く。
原付バイクで通りかかった警官が、何をする気だ? というように、不審そうに昇太をじっと見ていたが、気づかないようにその横を通り過ぎる。
彼の頭の中は幻想世界へ飛んでいた。
彼のアイドルであるブルーさんが、彼を中に乗せて、空を飛んでいた。やがて宇宙を駆け巡り、昇太だけにかけてくれる優しい声でブルーさんが言う。
(いつまでも僕たち、一緒だよ。アイシテルよ、昇太)
なぜ、いつから電車を溺愛するようになったのか、昇太は覚えていない。
ただ気づいた時にはこうなっていただけだ。
彼は女性には興味がなかった。自分自身にさえ興味がなかった。
彼の世界の99%は電車が占めている。残り1%が食欲と睡眠欲である。
5年も前から、彼はただひとりの電車に特別な感情を抱いていた。
今日、昼にその姿を拝みにいった、ロイヤル・ブルー・エクスプレスさんである。彼はその電車を『ブルーさん』と呼んでいた。
今日のブルーさんは雪を冠した薄青い山を背景に、冷たい空気を切り裂くように、その鮮やかな色をきらめかせていた。
一見自由に、どこまでも飛んでいくように見えて、しかし足元は強固に縛られ、けっして飛ぶことはありえないのだった。
昇太は今まで電車に空を飛ばせたいと思ったことはなかった。
しっかりと地に足についている安定感こそが電車の魅力だと思ってもいた。
しかし、ブルーさんは、初めて昇太にそんな妄想をさせた。
飛ばせたい──
飛んでほしい──
そう思ってしまうのは、あのきらめくようなロイヤルブルーの深い色が、宇宙にこそ似合うと思ったからなのかもしれなかった。
『ブルーさんは、あんなにかっこいいのに……』
暗いワンルームの部屋で、パソコン画面に映し出された青い光を顔に浴びながら、思った。
『かわいそうだなぁ……。自由に空を飛ばせてもらえなくて』
マシュマロを口に入れながら、なぜか涙がこぼれてしまった。
『ぼくがブルーさんを自由に飛ばせてあげたい!』
昇太は倉庫のアルバイトを頑張って、お金を貯めた。
そして遂にその日がやってきた。
彼は大きな駅にいた。
忙しそうに行き交う人たちを挟んで、ホームに停車したブルーさんと、初めて対面したのだった。
朝日がキラキラとロイヤルブルーの車体を輝かせていた。
彼は並んだ。ブルーさんの中に入るために。
他の乗客は一人残らずカップルや家族だった。
ブルーさんは高級旅客列車なので、ぼっちで利用する客は滅多にいないのだ。
赤いチェックのシャツにリュックを背負い、昇太は興奮に鼻息を荒くしながらブルーさんの中に乗り込んだ。
車内はまるで貴族の部屋のようだった。
ネットで見て知ってはいたが、初めて生で見るブルーさんの身体の中に、昇太は興奮が止まらなくなった。
レトロな模様の入った豪華な客席にお尻を乗せると、それを気持ちよさそうに何度も擦りつける。
冷たかったブルーさんがみるみる温かくなり、微笑むその声が聞こえてきた。
(昇太くん、よく来てくれたね。初めまして。僕はロイ・ブルーです)
『おおっ……!』
昇太のメガネを涙が濡らした。
『ブルーさん! 初めまして! 会えてとっても嬉しいダス!』
(宇宙までは飛べないけど、ゆっくりと豪華な窓から見える海の景色を楽しんでね)
『おおおっ……!』
昇太は号泣が止まらなくなった。
『出来るものならこの拙者が、あなたを宇宙に飛ばしてあげたいでゴザル!』
電車が走り出すと、昇太は黙りこくった。心の中まで黙りこくっていた。
ブルーさんの振動が足からお尻から、全身にまで伝わってくる。彼はそれをただ、感じていた。
たまにすれ違う電車があると、ブルーさんの声がとても大きくなり、むこうの電車の窓に自分が映った。
窓に映る自分はブルーさんの体内にいて、ブルーさんに守られて、しかしブルーさんには何もしてあげられずに途方に暮れていた。
どうしたらブルーさんを自由に飛ばせてあげられるのだろう。その方法を、頭の中で考えはじめた。それを考えているうちに、終着駅についてしまった。
名残惜しさを背中に強いゴムのように感じながら、ブルーさんを降りた。
十数歩ほどとぼとぼと歩いた後、振り返って、ブルーさんを見た。
ブルーさんは美少女にも見えるその顔で、笑いながら昇太をまっすぐ見ていてくれた。
ウィンクをし、サムアップをして、昇太に言葉をくれた。
(僕の中は気持ちよかったかい? また、乗りにきてくれ。約束だよ)
周囲にたくさん人のいる中で、昇太は思わず満面の笑みを浮かべ、泣きながらサムアップを返した。
「ブルーさん……。あなたは宇宙を飛べないそのままの姿でも、じゅうぶん美しいダスよ」
(ありがとう。僕は、僕に出来ることをやるだけさ)
「美しいダスよ! でも……、拙者は……!」
大声でそう言うと、昇太は急いで前を向き、駆け出した。
もう一度振り返ったら家に帰れなくなるのをまるで恐れるように。
小説投稿サイト『小説家になったる』に、一遍の小説が投稿された。
翼を持たない青い列車に翼が生えて、宇宙まで飛んでいく話だった。
列車は自由に、楽しそうに宇宙を飛び回ると、太陽に向かってその身を焦がしていった。
作者はその作品のあとがきに、こう記している。
『お読みいただきありがとうございます。これはあるひとに対する私の愛を物語にこめたものです。
そのひとはついこの前、わずか15年の命を終えました。私はそのひとを飛ばせてあげたかったのですが、叶いませんでした。
私にはどうすることもできませんでした。せめてフィクションの中で飛ばせてあげることができただけ……
もし私の愛をわかってくださるなら、どうか下にある☆☆☆☆☆を★★★★★にしてください。お願いします!』
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七海糸さま、お題をありがとうございましたm(_ _)m