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第6話 原作と違う

 そして、とうとうラルフが率いる軍の魔物討伐に同行する日となった。アシェリーは治療院代表として共に行くことになったサミュエルと共に、並んで馬に乗っている。


「アシェリー、疲れていないか?」


 そう隣でサミュエルが声をかけてくれる。アシェリーは微笑みながら「ええ」と、うなずいた。

 こういう大規模遠征の時には町の治療師達も駆り出されるのだ。


「それにしても、アシェリーは随分乗馬が上手いな。前に馬には乗ったことがないと言っていたから心配していたんだが……」


 そう感心したように言うサミュエルに。アシェリーはフフフと笑みをこぼす。


「こっそり練習したの」


 ラルフに習っていたことは秘密にしている。サミュエルに知られたら、また顔をしかめるに決まっているから。

 二か月前からラルフと乗馬訓練を始めて、週に二、三回ほど、ラルフの治療で王宮に行く日以外も練習していた。おかげでかなり馬に乗るのはうまくなったと思う。

 ラルフに会っていた日々を思い出して、アシェリーはこそばゆくなる。前より会う頻度が増えたせいか、以前より二人の距離は近付いていた。離縁してからの方が仲良くなるなんて皮肉だ。


(原作では、私が魔物討伐に同行することはなかったけれど……)


 そう思いながらアシェリーは前方に視線を送ると、たまたまこちらを振り返ったらしいラルフが見えた。なぜか、むっつりと不機嫌そうな表情をしていたが、アシェリーと目が合うとニッコリと微笑んで軽く手を振ってくれた。

 その様子に周りにいたサミュエルや一部の兵士達がぎょっとしたような顔をする。ラルフの側近などはいつも通りだ。国王と元王妃が交流していることはラルフの身近な人々にとっては既に知っていることだからだろう。

 アシェリーは嬉しくなって、恥ずかしかったが小さく手を振った。


「お前ら……」


 サミュエルが硬い声を漏らす。

 ──その時、刺すような視線を感じてアシェリーは後方の馬車にちらりと視線を送る。

 馭者の後ろのガラス窓からは、聖女アメリアの姿が見えた。アシェリーを苦々しく睨みつけている。


(な、なんだか視線が痛いわ……)


 向こうからしたら悪女がラルフの近くにいることが不愉快なのだろう。

 しかし、アシェリーとしても本当は遠慮して後ろの方にいるつもりだったのだ。しかし、なぜかラルフの近くに導かれてしまったのである。


「おお、ずいぶん睨まれてるな。アシェリー」


 そう苦笑いしながらサミュエルが言った。


「そ、そうね……」


「アシェリー、大丈夫か?」


 サミュエルに問われて、アシェリーは「平気よ」と笑う。

 野営地に到着すると、アシェリー達は馬から降りた。

 ラルフは部下にいくつか指示を飛ばした後、アシェリーの方に近づいてくる。


「アシェリー、休憩するから一緒にお茶でも……」


 ラルフがそう誘ってくれたが、アシェリーは遠慮して首を振ろうとした。


「陛下、ありがたいお言葉ですが、私はもう妃ではないので…」


「関係ない。俺が誘いたいから誘っているんだ。嫌ならそう言ってくれ」


 思いきりストレートに請われて、アシェリーは「うっ……」と言葉に詰まった。


(本当はダメなのに、そんな目で見られると断れない……!)


 ラルフのキラキラした目を見ると抵抗が失せてしまう。


「じ、じゃあ、少しだけ……?」


 アシェリーの答えに、ラルフは朗らかな笑みを浮かべた。


「じゃあこちらへ」


 国王の天幕に導かれている最中に寒気を感じて振り返ると、聖女アメリアが憎々しげな眼差しを浮かべてアシェリーを見つめていた。


(こ、怖い……! 完全に恨まれているわ……)


「アシェリー、どうした?」


 ラルフに尋ねられて、アシェリーはブンブンと首を振る。


「いいえ、何でもありません!」


「本当か? 何か気がかりなことがあるなら何でも言ってくれ」


 ラルフはそう言ってくれた。


「ありがとうございます……」


(って、顔がまた近い……!)


 見目麗しい面立ちがそばにあって、アシェリーは息ができなくなった。


(しかも皆が見ているのに……)


 まだ天幕の入口で、中に入っていないのだ。近くにいる兵士や従者達が興味津々といった様子で見つめている。なぜかラルフの従者達はニコニコとして機嫌が良さそうだ。


(この遠征、波乱がありそうだわ……)


 アシェリーはそう不安に駆られるのだった。






 アシェリーはラルフから昼食にも誘われたが、さすがにそこまで特別扱いをしてもらう訳にはいかない。

 ラルフは渋っていたが、なんとか許してもらえた。


「はい」


 サミュエルにチタン製のシェラカップを渡される。中には温かい野菜スープと、固パンが浸されていた。


「ありがとう」


 アシェリーが受け取ると、サミュエルはアシェリーの隣に腰を下ろした。

 二人がいるのは部隊がテントを張っているところから少し離れた木のそばだ。炊き出しの匂いが漂ってきている。


「陛下は聖女様と食事をされているみたいだな」


 サミュエルの言葉に、アシェリーは「そうね……」とうなずき、ズゥンと落ち込む。国王の動向は人の目があるため嫌でも耳に入ってくるのだ。


(自分から断ったくせに……)


 それでラルフが誰と食事しようが彼の自由だ。そもそも最初から聖女と約束していてアシェリーを同席させるつもりだったのか、アシェリーが断った後でラルフから誘ったのか、それとも聖女から誘われたのかも分からない。そんな小さなことで悩んでいる自分自身が嫌になってくる。


(……もし原作の矯正力があるなら、ラルフも今この瞬間に恋に落ちているのかもしれないわ)


 想像するだけで胸が痛くなるが、アシェリーは何もできない。


(普通の恋だったなら、絶対に彼を他の女に近付けさせないのに……)


 しかしアシェリーには十年間もラルフを苦しめたという負い目がある。もう二度と彼を愛さないという約束もしたのだ。それなのに、ラルフの自由を縛る恥知らずな真似はできなかった。


(彼は……聖女様と仲を深めている頃かしら……)


 原作のイベントを思い出して、アシェリーは胸がチクリと痛んだ。小説を読んだ時はアメリアに感情移入して、二人の会話に胸をときめかせていたのに。


「もしかしてだけど……陛下って、アシェリーのこと好きなんじゃね?」


 唐突なサミュエルの言葉に、アシェリーは飲みかけていたスープに噎せた。せき込んでいるとサミュエルが「わり。大丈夫か?」と言って優しく背中をさすってくれる。


「サ、サミュエル!? そんなわけないじゃない」


「そうかなぁ? あれは別れた女房に送る視線じゃないぞ。ものすごい未練がましさが漂っていた」


 真面目な表情でサミュエルが腕を組んで言う。

 アシェリーはラルフの態度を思い返して、自嘲の笑みを浮かべて首を振った。


「まさか。陛下は誰に対しても親切なのよ」


 これまでは悪女のアシェリーに対してだけ辛辣だった。だが、その関係が改善して、ようやく他の人と同じくらいの扱いになっただけだろう。アシェリーはそう考えていた。


(確かに少し距離は近いけれど……よく考えたら幼い頃からの知り合いなのだし……この距離感でもおかしくないわよね?)


 アシェリーとサミュエルだって気安い会話をするし、冗談を言えば軽く叩いたりもする。似たようなものだろう。


(少なくとも、今なら処刑される未来はないかもしれない……)


 それだけ関係を持ち直せただけで満足すべきなのだ。

 なおも何か言おうとサミュエルが口を開きかけたが、その時にタイミング悪く、アシェリーの元に人がやってきた。

 治療師らしき白衣をまとった中年の男と、まだ年若い青年がアシェリーに頭を下げる。


「お話し中に申し訳ありません。私は軍医長をしております。アシェリー様の医療衛生の論文を拝読しました。ぜひ、お話をお伺いしたく……」


 興奮した様子で話し始めた軍医長を見て、サミュエルは気を遣ったらしく「じゃ、俺は別のところで食べるわ。後でな」と食事を持って去ってしまった。



 ◇◆◇



 野営地の聖女の天幕にて、アメリアは人心地ついた頃に側仕えの者に言った。


「陛下はお昼はお一人かしら? 食事をご一緒したいわ。あなた、陛下のご予定を確認してきてちょうだい」


 アメリアがそう命じると、女性神官はしばらくして戻ってきてオドオドと言う。


「お、お待たせしました。陛下はお昼は誰かとお約束はしていないようですが……」


 なぜか女性神官は奥歯に何か挟まったかのようにモゴモゴとしていたが、彼女の返答にアメリアは機嫌を良くする。


「あら、そうなの。朗報だわ。──それじゃあ、我が神殿のワインでも持っていって、ラルフ様と一緒に食事をしましょう」


 アメリアは神殿から従者達に運ばせてきたワインを手に意気揚々と国王の天幕へ向かった。

 彼が己を邪険にするはずがない、と信じていた。


(原作だったらお互い一目で恋に落ちていたし王宮に滞在していたはずだけれど……まあ、良いわ。今まで話す機会が巡ってこなかったから、上手くいかなかっただけよね。ラルフ様も私とじっくり会話すればすぐに運命の相手だと気付くはずだわ)


 国王の天幕の入り口の両脇には兵士が警備をしていた。


「ラルフ様にご面会したいわ」


 アメリアがそう言うと、兵士は少し渋る様子を見せた。


「今は騎士団長が中にいらっしゃって会議中なので……」


「もうお昼よ? 何か食べないと陛下だってお腹が空くわ。あなたは黙って私を中に入れたら良いのよ、愚図な男ね」


 たかが兵士の分際で聖女の己を押し留めようとしたことに腹が立ち、アメリアの口調はきつくなった。

 騒ぎを聞きつけたのか、中から恰幅の良い男が姿を現す。


「おやぁ、お前さんは聖女様か」


「そうよ。陛下に会いたいのだけれど」


 アメリアの言葉に納得したように男はうなずく。


「そうかそうか。俺は騎士団長のジョンだ。どうぞ、よろしくな」


 そう言って男はニカッと笑う。

 騎士団長というよりも田舎の農家のおじさんといった様子の温和そうな男に、アメリアは少し眉根を寄せた。


(垢ぬけない男だわ……むさくるしい。やっぱり男はアイドルみたいな爽やかさがないとね。ラルフ様みたいに)


 騎士団長に促されてアメリアは天幕の中に入った。そこにはラルフが立ったまま簡易机に視線を向けたまま難しい表情をしている。机の上にある紙には森の地形と部隊の滞在地が描かれているようだ。

(ああ~……やっぱり! 何度見ても素敵……ラルフ様って、ドラマの俳優さんにそっくりなのよね)

『星降る夜の恋人たち』は元は小説だが、人気があってドラマ化もされている。アメリアはヒーロー役の俳優のファンだった。


「こんにちは、陛下」


 声をかけると、ようやくラルフは顔を上げた。


「ああ、アメリア様か。いったいどうしました? 何か問題でも?」


 どこかよそよそしいラルフの態度に、アメリアはむっとしたが、すぐに笑みを浮かべた。


「じつは、こちらのワインを差し上げようと思いまして……神殿で作ったワインです。とても美味しいんですよ」


「ありがとう。わざわざすみません。後でいただきます」


 ラルフは笑顔で受け取ってくれたが、そのまま従者に流れるように渡してしまった。


「えっ……」


 予想外の対応に、アメリアは肩透かしを食らう。

 てっきり『それじゃあワインを飲みながら一緒に昼食でもどうかな』と誘われるだろうと思っていたのに。


「え? 他に何かご用がありましたか?」


 不思議そうにラルフに尋ねられて、アメリアはグッと言葉に詰まり、渋々自分から誘うことにした。本当は相手から口説いて欲しかったのだが。


(仕方ないわ。顔が好みだから最初だけ譲ってあげましょう。じきに彼の方から誘ってくるようになるはずだし……)


「ラルフ様、もしお昼がまだでしたらご一緒してもよろしいですか?」


 アメリアの言葉に、ラルフは一瞬悩む様子を見せた。


「う~ん……それは……」


「良いじゃないですか。聖女様とのご縁は大事にしませんと」


 迷っている様子のラルフの背を押したのは、アメリアが存在を既に忘れていた騎士団長だった。


「……そうですね。では、アメリア様。一緒に食べましょう」


 ラルフもそう言って、なんとか二人きりの食事にこぎつけた。


(もしかして彼ってシャイなのかしら……)


 しかし小説でもドラマでもそんな設定はなかったはずだ。

 アメリアは違和感に首を傾げながら、椅子に腰掛けたラルフの顔を見つめる。簡易机と椅子ではあったが、遠征中であることを忘れそうなほど天幕内は豪奢だった。運ばれてくる食事も一品一品丁寧に調理された宮廷料理人自慢のフルコースだ。


「ラルフ様、これとっても美味しいですわ」


 アメリアは子羊のソテーを小さく切りながら、おしとやかに口に運ぶ。ラルフは社交的な笑みを浮かべながら「それは良かった」とフォークを進めた。

 しかし、どこか上の空の様子なのが気にかかる。

 デザートのフルーツを運んできた給仕が、「せっかく二人分用意していたのに、一人分に減らさなくて済みました」と苦笑しながら言った。

 それを聞いたアメリアはフンと鼻を鳴らす。


(なぁんだ、やっぱり彼も私を誘う気だったんじゃない。アプローチしてくれば良かったのに)


 ラルフは恋の駆け引きをしようとしたのだろう。そう納得しかけた直後、給仕が爆弾発言をした。


「アシェリー様がお断りなさいましたからね。聖女様がご一緒してくださって良かった」


「えっ……」


 思わずアメリアの口から声が漏れる。


(アシェリー? どうしてここにあの悪女の名前が出てくるのよ!)


 ラルフを見ると、彼は恥ずかしそうに首筋を掻いていた。それで、アメリアは気付いてしまった。ラルフはアシェリーを食事に誘ったが断られたのだ。それで余った食事がアメリアに回ってきたのだということを。

 あまりの屈辱と怒りで、目の前が真っ赤になった。


「……これで失礼しますわ」


 どうにかそれだけ言って、アメリアは天幕を出て行った。


(──私がヒロインのはずなのに、どうして……!)


 アメリアは苛立ち混じりに、大股で歩いて行く。天幕の外で待機していた神殿女官が「聖女様……!」と慌てた様子で追ってきた。

 視界の端に、アシェリーの姿が見えた。軍医らしき男達に囲まれ、談笑しているようだ。

 その時、兵士達が歩きながら会話している声がアメリアの耳に届く。


「アシェリー様は本当に素晴らしいお方だよな。誰が悪女なんて言い出したんだろう」


「本当だな。アシェリー様のおかげで軍でも死者が激減した」


「陛下と離縁なさってからは、王都の治療院で慈善活動なさっているらしいな。働かなくても生活できるだろうに。奉仕の精神が素晴らしいな」


「陛下に依頼されて医療部隊の指揮をしてくださっているらしい。軍医長が感涙してるよ」


 そんな他愛もない会話が交わされ、声が遠ざかっていく。

 アメリアはぐっと聖衣のスカートを握りしめた。


「どうして……ッ!?」


 本当なら、それらの賛辞を聞くのはアメリアだったはずだ。

 ここに聖女がいるのに、ラルフを癒す未来の王妃がいるのに、人々はアメリアのことは眼中にないような態度をしている。それがひどく癪に障った。

 それがアメリアの悪評による部分も大きいことに、彼女は気付いていない。


「あの女さえいなければ、きっと物語は元の流れに戻るはず……」


 そう暗い目でブツブツとつぶやくアメリアに、女性神官達は不安そうな眼差しを向けていた。



 ◇◆◇



 アシェリーは軍医達に野戦病院に案内された。

 後方部隊の中でも一際大きなそのテントには、たくさんの寝床が並べられている。

 アシェリーはラルフから医療部隊の指揮を任されているので、薬品の確認や、消毒や手洗い、患者の衣類の洗濯、排せつ物の処理の流れなどを責任者に伝えた。


「野営地から水場は近いのですよね? 崖の下から水を引っ張るんですか?」


 アシェリーが軍医長に尋ねる。

 出立前に確認した地図によると野営地の近くには崖があり、その下には流れの激しい川がある。


「いえいえ。一番近いのは確かに崖の下の川ですが、そちらは足元が危険なので使いません。それより少し距離はありますが、森の中には小川や湧水もあります。洗濯や手洗いにはそちらの水を使っています」


「なるほど……」


 いくつかのやり取りの末に、アシェリーはうなずいた。

 アシェリーの要望通りにラルフがしっかりと着替えやシーツ、人員なども配備してくれているので問題はなさそうだ。


(あとはできるだけ被害が出なければ良いのだけれど……)


 治療師であるアシェリー達の出番など、なければそれに越したことはない。

 アシェリーがサミュエルと共にテントを出た時、ふと部下と話しているラルフの姿を見かける。

 彼はアシェリーに気付くと、こちらに手を振って近付こうとしてきた。

 ──その時。


「陛下ぁ!」


 甘ったるい声を上げて、アメリアが駆けつけてきてラルフに抱きついた。まるでアシェリーに見せつけるようにしなだれる。


「ラルフ陛下とご一緒できて、アメリアとっても嬉しいですわ!」


 そう言いながら、アメリアは無遠慮にラルフの胸板を撫でている。彼の腕に両胸を押し付けるというあからさまなやり方に周囲の顔が引きつっていることにアメリアは気付いていないようだ。


(……聖女様)


 アシェリーの顔が強張った。


「すまないが、ちょっと放してくれないか」


 ラルフが硬い表情でそう言ったが、アメリアはむしろガッチリと彼の腕をつかんで離さない。さすがに彼も振り払うことまではできないようで、困ったような雰囲気が漂っている。


「陛下ぁ! ここでお会いできるなんて嬉しいですわ。ねえ、ぜひ、夕食もご一緒させてくださいませ! もちろん陛下の天幕で二人きりで……ね? 先程のようにアメリアにお酌させてください」


 上目遣いで甘えるアメリアの声を聞いて、アシェリーは顔を歪めた。

 そばにいた軍医達が聖女を見て顔をしかめていた。


「……あんなに露骨に媚びを売るなんて……。アシェリー様、あれを許してよろしいのですか?」


「……許すも何も」


 自分には何か口出しできる資格などない。


(……これが本来の小説の流れだわ。なんだか原作と聖女の態度が違うような気もするけれど……)


 奔放な聖女の性格に内心困惑しつつも、アシェリーは『これで良かったんだわ』と己に言い聞かせる。アシェリーは軍医達と挨拶をして、その場を離れようとした。


(二人の親しそうな姿なんて見ていられない……)


 込み上げてくる涙を堪えながら足早に立ち去ろうとした時、背後から「アシェリー」とラルフの呼ぶ声が聞こえた。

 アシェリーは聞こえなかった振りをする。


(……二人を見守ると決意したはずなのに、ダメね……)


 悪者は退散するべきなのに、思いきれない自分がいた。

 まだ残っている彼への気持ちが未練となって、アシェリーをさいなむ。

 野営地から少し離れた森の中まで向かうと、アシェリーは木に手をついて深く深呼吸した。涙が勝手にボロボロ流れてくる。


(目を腫らしたままでは戻れないから、少し時間をつぶしましょう……)


「……アシェリー」


 そう呼びかけられて振り向くと、そこに立っていたのはサミュエルだった。

 アシェリーは慌てて目元を手で隠す。


「……ちょっと埃が目に入ってしまったみたい」


「……そっか」


 サミュエルはそれ以上追及しなかった。

 居たたまれなくなって、アシェリーはその場を後にする。もっと一人きりになれる場所を探そうと思ったのだ。

 しかしラルフが遠くからこちらに向かってくるのが見えて、アシェリーは別方向に足を向ける。


(どうしてこっちに来るの? 聖女様は……?)


 戸惑いながらも、今は顔を合わせるわけにはいかなかった。泣いている理由を説明したくない。

 アシェリーがその場から遠ざかりながらそっと背後を窺うと、サミュエルがラルフを睨みつけている姿が目に入った。

 その不敬さにぎょっとしたが、ラルフは気まずそうに視線を逸らすだけだった。そして、サミュエルと会話することなく彼はテントに戻っていく。

 サミュエルは、もしかするとアシェリーの気持ちを慮って行動したのかもしれない。けれど、その命知らずなやり取りに肝が冷える。


(……でも、今の陛下は意味が分からない)


 アシェリーのことを追ってきたこともだが、サミュエルとの険悪な態度も。原作と違うことばかりだ。

 それに期待と不安をおぼえながら、アシェリーは胸を押さえて、そっと息を吐いた。



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2024年11月11日、書籍2巻が発売します! 読んでくださると嬉しいです!

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― 新着の感想 ―
[一言] 硬いパンを浸した野菜スープ=『ズッパ』ですね!! 魔法のある異世界であって、実際の中世ヨーロッパではないのでチタンがあってもまぁまぁ気にしないでいいのでは。『中世ヨーロッパ風』と言いながら1…
[一言] >サミュエルにチタン製のシェラカップを渡される。 流石にファンタジー世界で、チタンは無理があるのではないかと… リアルでもチタンの精錬法が実用化されたのは第二次世界大戦後の事で、まだ80年経…
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