第5話 つかの間の幸せ
「いったいどうなっているのっ!」
聖女アメリア・シュヴァルツコップは苛立ち混じりに手にしていた金杯を壁に投げつけた。
「ひぃっ……!」
室内にいた下級の女性神官達が悲鳴を上げて、うずくまる。彼らは神殿でアメリアの側仕えをしている神官達だ。
「気に食わないわ……どうして王宮に滞在できないのよ!」
アメリアは親指をぐっと噛みしめた。
「アメリア様、そんなに噛むと御身に傷がついてしまいます……!」
心配してそう声をかけてきた筆頭神官の腹部をアメリアは蹴りつけた。
「うっさいわねッ!」
攻撃をまともに受けた筆頭神官はうずくまり、地面にへたりこむ。「アメリア様……」と弱弱しくつぶやく声も聖女には届かない。他の神官達はオドオドと周囲で見守っていた。
アメリアはそれを気にする様子もなく、ギリリと奥歯を噛みしめる。
(原作では確かにそうなっていたはずなのに……っ!)
アメリアには前世の記憶があった。そして自分が大好きだった『星降る夜の恋人たち』の小説の主人公だと気付いた時は歓喜した。
しかし、アメリアは貧民街の生まれだったために『いくら作者がシンデレラストーリーをやりたいからって、どうして私を貧乏人にしたのよ!』と憤慨した。ラルフと出会ってから前世の記憶を取り戻せたら幼少期の苦労もせず楽だったのに……と、不満タラタラである。
貧民街から遠い豪華な王宮を見上げては『いずれ、あの場所は私のものになるのよ。私は国母になる女だわ』と野心を燃やしていた。
そして幼少期から発現した神聖力を十八歳になるまで磨き、貧民街で慈善活動をしていたシュバルツコップ侯爵に猛アピールして養女にしてもらったのだ。貧乏な両親とは縁を切り、最初から貴族で生まれたかのように豪華な生活を満喫した。
シュバルツコップ侯爵は強欲な男で、アメリアが役に立ちそうだと思ったらしく、すぐに利害が一致した。
そしてアメリアの思惑通り、間もなく神託がくだって神殿から正式な聖女として認められたのである。
(これで、後はラルフ様に出会うだけ……!)
後は薔薇色のストーリーが広がっているはずだった。
毒婦アシェリーから国王ラルフを救い出し、彼と結ばれる。ラルフの弱みに付け込んで妃となったアシェリーを廃妃させ、残酷に処刑してやるのだ。
そして大勢の人に感謝されながら、迎える結婚式。愛するラルフを救えるのは私だけ……最高のラブストーリーとなるはずだった。
「それなのに、どうしてラルフ様は私を歓迎しないのよっ!」
再び金杯を花瓶に打ち付けると、ガシャーンと激しい音を立てて瓶が砕ける。
荒い息を吐きながら怒りをあらわにしているアメリアに、筆頭神官は床に両手をついたまま恐る恐るといった風に発言する。
「お、おそらくは……アシェリー前王妃の影響かと」
「アシェリーが?」
アメリアは元王妃を横柄に呼び捨てにして顔をしかめた。それに表情を強張らせた神官達にも気付かない様子で。
「ええ。お二人は離縁なさってからも、週に一度は王宮で逢瀬を重ねられているようです。むしろ以前よりも仲が深まっており、再婚するのでは……と噂されておりますので……」
「なんですって……!? それはどういうこと!?」
それはアメリアにとっては寝耳に水の話だった。
「どういうこと!? 教えなさいよ!」
「は、はいっ!」
筆頭神官の話を聞いて、アメリアは小説とは違った流れになっていることに気付いた。
(そういえば……悪女は原作だとラルフ陛下のいとこのエルシーを毒殺しようとして投獄されていたはずなのに……)
アシェリーは貴人用の監獄に幽閉されたが、ラルフの弱みを握っているせいで、すぐに王妃の座に舞い戻るのだ。しかし隣国との関係も悪くなったせいで国内外からも反発があり、アシェリーの王妃排斥の流れができる。ラルフは臣下達との間で板挟みになり困り果てていた時に聖女アメリアと出会い、救われるのだ。悪女に頼らなくても済むようになったラルフは精神的にも解放される。最終的に苦し紛れにアメリアを殺そうしたアシェリーを、アメリアとラルフは力を合わせて倒すのだ。ときめく愛のストーリーである。
(だからアシェリーは本来なら今は王宮内で監禁されていたはずなのよね……なのに、エルシーの毒殺をせずに自分から陛下と離婚して出て行った。そのせいで展開が変わってしまっているんだわ!)
アメリアは歯噛みした。
(悪女が王宮からいなくなったことは、むしろ面倒ごとがなくなって良かったと思っていたけれど、こんな弊害が起こるなんて……)
「悪女め……さっさと正体を現せばいいものを……っ」
アメリアは豪奢に飾り立てられた室内をぐるぐると歩きまわる。
「何か……ラルフ陛下とお近づきになれる方法はないかしら……? きっと私ともっと会話してくだされば、ラルフ様も私の魅力に気付いて原作の流れに戻るはず……」
アメリアのぶつぶつとしたつぶやきに、筆頭神官がおずおずと進言した。
「げ、原作が何か分かりかねますが……陛下にお近づきになりたいならば、魔物討伐に同行なさるのはいかがでしょう?」
「魔物討伐?」
「ええ。毎年この秋の時期に森で魔物狩りをするのです。魔物を減らして、冬眠から覚めた時に森の食料が足りず人間の村を襲わせないようにするために」
「なるほど……確かにそういうイベントもあったわね」
魔物狩りは貴族達の一大イベントだ。王宮からはラルフが軍を率いて出撃する。アメリアは彼を癒やすために随行することになっていたはず。
(でも、このままだと悪女がいるから私は呼ばれないかもしれないわね……)
それを想像してアメリアは渋い顔をした。厳しい声で神官達に命令する。
「それでは、ラルフ陛下に遣いを出してちょうだい。私も魔物狩りに同行すると知らせて」
(あんな悪女の好きにさせるものですか。きっと猫をかぶってラルフ様に取り入っているんだわ。絶対に化けの皮を剥がしてやる……!)
言動が聖女にふさわしくないことに疑念を感じ始めている神官達にも気付かず、アメリアはそう意気込んでいた。
「は、はい……! 承知いたしました!」
神官達が一斉に額づいた。
◇◆◇
その日、アシェリーは乗馬服をまとって、王宮の敷地内にある馬屋にやってきていた。そばには同じく乗馬姿のラルフがいる。
(ど、どうしてこんなことに……!?)
ラルフから魔物狩りへ随行する医療班の指揮を頼まれ快諾したまでは良かったのだが、アシェリーは馬に乗ったことがなかった。
しかし魔物討伐に行くなら馬に乗れなければ話にならない。アシェリー一人のために馬車を使わせてもらうのも気が引けた。
どうしたものかと悩んでいたら、ラルフが『ならば王宮の馬で練習したら良い。俺が乗り方を教えてやるから』と提案してくれたのだ。
『乗馬を教えてくださるのはありがたいですが……陛下はお忙しい身ですのに』
そう恐縮するアシェリーにラルフは『いや、魔物狩りに付いてきてもらうのは、こちらの都合だからな』と照れたように笑った。
そして仕事が非番の日に王宮にやってきて、乗馬訓練をする運びになったのである。
(ラルフと乗馬訓練なんて、しても良いのかしら……?)
アシェリーは少々悩んだが、魔物討伐にラルフが行かなければいけないのが心配で、なんとか付いて行ってサポートしてあげたい気持ちがあった。
(これは変な意味じゃなくて、彼も仕事のために言ってくれたことなのよ)
そう思うことで、ざわざわ騒ぐ自分の気持ちを落ち着けた。
厩舎の中に案内されて入ると、そこは何頭もの馬達が並んでいた。数人の馬番が毛並みを整えたりと藁を敷いたりと世話をしている。
近くにいた青年がラルフに気付いて頭を下げた。
「陛下、おはようございます! 今日は早いですね」
「おはよう。今日はアシェリーと乗馬訓練をする。お前達は気にせず仕事を続けてくれ」
「はい、何か御用があればおっしゃってください」
「そうか? じゃあ午後に早駆けに付き合ってもらおうかな」
「いえいえ、陛下には敵いませんって。勘弁してくださいよ」
軽い応酬と笑いが広がる。どこか親しさをにじませたやり取りに、アシェリーは目を丸くした。
ラルフは趣味の乗馬のために毎日のように馬屋にやってきているから、馬番の青年達とも親しいのだろう。
ラルフは近くにいた美しい毛並みの黒馬の頬を撫でながら、アシェリーに向かって言う、
「こいつは俺の愛馬のゲルルフという。国内でも有数の駿馬だ」
「そうなんですね。こんにちは、ゲルルフ」
アシェリーはそう笑顔を向けたが、ゲルルフはぷいっと顔を背けてしまう。
「あら……」
ラルフは申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまない。ゲルルフはプライドが高いんだ。気性が荒くて俺以外は乗せたがらない。話しかけられても無視してしまうんだ。気を許しているのは俺と専属の馬番くらいで」
アシェリーは苦笑して首を振る。
「いえ、気にしていません」
「そう言ってもらえるとありがたい。……それで、こっちがお前の馬だ」
ラルフは向かいにいた白馬を示した。その馬は静かにアシェリー達を見つめていた。まつげが長く、四肢も均整が取れていて美しい。馬に詳しくないアシェリーでもつい見惚れてため息をこぼしてしまう。
「綺麗な馬ですね」
「こいつはザーラという名で、とても人懐っこい性格だ。きっとアシェリーも気に入るだろう」
そう言ってラルフはザーラの鼻を撫でると、馬は嬉しそうに小さく鳴いた。
(人懐っこい馬なら私でも大丈夫かしら……?)
「よし、それじゃあまず挨拶してみよう。優しく声をかけて馬の警戒心を解くんだ。そしてザーラを撫でてみると良い」
「はい」
アシェリーはラルフに教えてもらった通りに、優しくザーラに声をかけながら馬を撫でながら優しく声をかけようとした。
「ザーラ、今日はよろしくお願いしますね」
しかし、ザーラの口から漏れたのは不穏な鳴き声だった。
「ブルルッ……」
(え……? き、気のせいかしら?)
アシェリーが触るとまるで親の仇を見るような不快そうな表情をするのに、ラルフと視線が合うとザーラは機嫌が良さそうに尻尾を振っている。
近くにいた馬番の青年が近付いてきてザーラを慈しむように触れた。
「ザーラはどんな初心者でも乗れますからね。アシェリー様も安心ですよ」
(ほ、本当に……?)
ザーラは馬番の青年にはうっとりとした視線を向けている。
(まさか、馬も私が悪女なことを感じ取って……?)
アシェリーは血の気が引いた。動物は人間より敏感だ。ならば人では分からないものを察してもおかしくはない。
「こ、怖くないですよ。大丈夫ですからね?」
(私は反省したんです。どうかお願いします……! ひどいことはしませんから……)
なぜか内心頼み込む羽目になりつつ、アシェリーは涙目になる。
「ブヒヒン!」
「きゃあっ!」
馬のいななきと共に頭を大きく振られ、アシェリーは慌てて身を引く。先ほどまでアシェリーが立っていた場所にはザーラのよだれがびっしょりかかっていた。
(あ、悪意……!)
「ザーラ、暴れるな」
ラルフに鋭い目で諭されて、ザーラはしゅんと頭を下げる。
「す、すみません……ありがとうございます、ラルフ」
アシェリーは青くなったり赤くなったりしながらも、再び馬をなだめにかかる。
「お、落ち着いてください。大丈夫ですよ……怖くないですよ?」
「ヒヒーン……」
ザーラはむすっとした雰囲気ではあったが、アシェリーに撫でられて大人しくなった。
「そうだ、上手じゃないか。さっきはザーラが機嫌が悪かっただけだろうな」
ラルフに褒められてアシェリーは安堵する。
「は、はい。ありがとうございます」
「それじゃあ、馬にまたがってみろ」
馬番の青年が持ってきてくれた踏み台を使い、ラルフの手を借りて、アシェリーは何とかゆっくりとザーラの上に乗った。
「そう、そのまま両足を馬の腹に軽く打ち付けてみろ。そうしたら歩きだす。止めたい時は手綱を引くんだ」
「は、はい……!」
アシェリーは言われた通り慎重に歩かせていく。
(うぅ、怖い……。馬の上って高すぎる……っ)
前世から高所恐怖症のアシェリーは、馬上で身を硬くして必死に手綱を握っていた。
しかしそんな彼女の努力を嘲笑うかのように、馬が突然走り出した。
「ひゃああぁっ!?」
「おい、落ち着け! 止まれ!!」
ラルフが慌てたように叫ぶが、ザーラは全く言うことを聞かずに暴走していく。厩舎内の柵を飛び越え、入口から飛び出した。
ラルフが舌打ちして自馬にまたがり、アシェリーの後を追う。
「アシェリー! そこから飛び降りるんだ!」
「む、無理ですッ!!」
アシェリーは涙目になりながら首を振った。馬の背中にしがみつくので精一杯だ。
「クッ!」
ラルフが暴走するアシェリーの馬を追いかけて並走する。
「アシェリー、手を伸ばせ!」
隣接する馬上から、ラルフがアシェリーに向かって片手を伸ばした。少し距離はあるが、互いに手を伸ばせば届くかもしれない微妙な距離。
下を見ると震えが襲ってくる。恐怖で硬直してしまったアシェリーにラルフは励ますように叫んだ。
「アシェリー、必ず助けるから! 俺を信じろ!」
「ラ、ラルフ……」
「下を見るな! 俺だけを見るんだ!!」
アシェリーは潤んだ目をぎゅっと閉じた後、ラルフをじっと見つめる。
(そうよ。彼を信じて、下を見ずに手を伸ばせば……!)
覚悟を決めて、アシェリーはラルフの方に身を乗り出して手を伸ばした。
その時、さらにスピードを上げた馬がアシェリーを振り落とそうと激しく左右に揺れ始める。
(嘘でしょう!?)
「きゃあああぁっっ!!」
「アシェリーっ!!」
アシェリーは馬上から放り出されて、体は宙を舞う。
そのまま地面に身を打ち付けるかと思いきや、硬い腕の中に抱き込まれていた。
(え……?)
恐る恐る瞼を開けて見ると、心配そうな表情をしたラルフの顔が真下にあった。
「アシェリー、怪我はないか?」
「あ……は、はい。あ、あの! だ、大丈夫です」
思った以上に近い距離に、アシェリーの心臓は口から出そうなほど激しく脈打った。
「……そうか、良かった」
ラルフは安堵したように息を吐き、お互いの近すぎる距離にようやく気付いたのか赤い顔する。
アシェリーは慌てて身を離した。
「す、すみません」
「いや……」
離れたおかげでアシェリーもようやく周りを見る余裕ができた。
「あ! ラルフは大丈夫ですか!? すみません、下敷きにしてしまって……!」
アシェリーは蒼白になる。
ラルフは馬から飛び降りてアシェリーを助けてくれたのだ。国王を潰してしまった、と慌てた。
「大丈夫だ」
ラルフは優しく微笑んだ。その笑みにアシェリーはドキリとしてしまう。
その時、遠くからラルフの騎士達が馬で追ってくるのが見えた。
「陛下ー! アシェリー様! ご無事ですか!?」
ラルフは苦笑して「大丈夫だ」と従者達に伝える。
馬番の青年はしきりに首を傾げていた。
「いったいどうしたんでしょう。ザーラは気が立っていたんでしょうかね?」
その後、ザーラは人間の男性好きの馬で、女性には態度を変貌させることが判明した。今まで男性しか乗せたことがないから知られていなかったのだ。
アシェリーが馬に乗れるようになるのはまだ当分先になりそうである。
それから一か月後、ゲルダという若い茶色の牝馬を草原で走らせるアシェリーの姿があった。後ろにはラルフもゲルルフに乗って駆けている。
「ずいぶん上手になったな。これなら安心して魔物討伐にも行けそうだ」
「はいっ! ラルフが教えてくださったおかげです」
アシェリーがそう言って微笑むと、ラルフはまぶしそうに目を細めた。
今日は軽食を用意して遠乗りにきていた。といっても後方にはラルフの警護も数人ついているのだが。しかし彼らも気を遣っているのか、あまり近付いてこないので、まるでラルフと二人きりのように錯覚するほどだった。
(もうこんなに乗れるようになったんだから、陛下に乗馬に付き合っていただかなくても大丈夫だわ。今日はそれをお伝えしないと……)
ラルフは聖女アメリアと結ばれる運命なのだから、これ以上その邪魔をしてはいけない。すでに細部の流れは変化していたが、大筋は変わらないだろうとアシェリーは疑っていなかった。
「あの、陛下。私、そろそろ一人で練習できると思うんです。だいぶ馬に乗るのも慣れましたし……」
アシェリーの言葉に、ラルフは意外そうにした。
「なんだ? 急に」
「いえ、ずっと陛下のお時間を取らせてしまって申し訳なくて……。私の馬術の練習に付き合うばかりではなく、他のこともなさった方がよろしいのではないかと思いまして」
アシェリーはぎゅっと手綱を握り締める。
ラルフはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「……何に時間を使うかは俺が決めることだ。俺がしたくてやっていたことだから気にしなくて良い」
「ですが……」
それでも食い下がるアシェリーに、ラルフは苦笑する。
「じゃあこうしよう。お前が俺に乗馬を教えた礼をしたいと言うのなら、今度、俺と一緒にどこかへ出かけてくれないか?」
「え……っ!?」
ラルフがそんなことを言い出すとは思わず、アシェリーは動揺する。
「ど、どこかとは……?」
声が裏返ってしまう。
するとラルフは悪戯っぽく笑って言った。
「どこでも良い。二人で街を歩くだけでも構わない。まぁ、その時も護衛をつけることになるがな」
(それって、まるでデートみたい……)
アシェリーは頬を染めた。そんなはずはないのに期待してしまう。ラルフが誘ってくれるなんて思ってもいなかったから。
「……嫌か?」
黙り込んだアシェリーに、少し不安そうな顔でラルフが尋ねる。
「い、いいえ! 行きます」
アシェリーは必死になって答えた。
(ハッ、了承しちゃった……)
直後に血の気が失せた。
(どうしよう……ラルフとお出かけなんて……)
もしこれ以上仲良くなったら、どうしても期待してしまう。彼は聖女アメリアと結ばれる運命なのに。
もし現作の通りにアメリアと恋に落ちてアシェリーが無惨に振られて処刑されてしまったら……そう思うと、不安で胸がざわつく。
「よし。決まりだな」
まるで少年のような照れた笑みに、アシェリーの心臓は撃ち抜かれたようにドキドキと激しく音を立てていた。
(ダメだわ。こんな笑顔を見せられてしまったら、今さら嫌だなんて言えない……)
自分はラルフの頼みにとことん弱いのだ、と自覚する。
ラルフは優しい眼差しでアシェリーを見つめて言った。
「じゃあ、あの木の下まで行こう。どちらが早くつけるか競争だ」
「え!? そんないきなり……!」
「早く来ないと遅れるぞ」
ラルフに急かされて、アシェリーは馬を駆けた。
(こんな時間がいつまでも続けば良いのに……)
そう願いながら──。