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第3話 変化

 王宮にやってきたアシェリーを迎えたのは、王弟のクラウスだった。


「こちらへどうぞ。陛下の元までご案内いたします」


「あ、ありがとうございます。わざわざ殿下が迎えにきてくださるなんて……」


 戸惑うアシェリーに、クラウスは軽く笑う。


「丁重にお迎えせよ、と陛下のご命令ですので」


「そう……ですか。ありがとうございます」


 会うたびに恭しい態度に変化していく王弟に、アシェリーは困惑していた。今日もとても歓迎してくれているように見える。


(確か彼は私のことを毛嫌いしていたはずだけれど……)


 親切にもラルフがクラウスにアシェリーを案内するよう命じてくれたのだろう。アシェリーは政務室の場所は何度も行っているから知っているが、ラルフの心遣いをありがたく受けることにした。

 ふと、廊下の後ろでメイド達がヒソヒソと話している声が聞こえる。


「あの女……何しに来たのかしら? 陛下に捨てられたくせにね」


「陛下の優しさに付け込んで、まだ付きまとうなんて恥知らずだわ」


「エルシー様が次の王妃筆頭候補なんだから、邪魔しないでほしいわね」


 アシェリーが足を止めて振り返ると、焦ったようにメイド達がそそくさと去って行く。


(彼女達は確か……エルシー様付きのメイド達だったわね)


 エルシーはラルフのいとこだ。隣国に嫁いだ前国王の妹の娘で、今年十八歳になる。今はこの王国に長期遊学中で、ラルフとは昔から仲は良い。

 アシェリーは高慢な性格だったので王宮の人々から疎まれていたが、その中でもエルシー付きの侍女達には特に嫌われていた。エルシーがラルフに好意を抱いているから、侍女達も主に倣ってのことなのだろう。


(私はエルシー様を殺そうとしていたのよね……)


 毒でラルフのいとこを排除しようとしていたのだ。凶行を起こす前に記憶を取り戻せて心底良かったと思う。


「申し訳ありません。管理が行き届いておらず……」


 苦々しげな表情で、クラウスはそう口にした。

 アシェリーは苦笑を浮かべて首を振る。


「いいえ、気にしておりませんわ。むしろ、私はそう言われても仕方がないような振る舞いをしておりましたから……彼女達を咎めないであげてください」


 そう言うと、クラウスは驚いたように瞠目した。


(昔の私は本当にひどかったわ。エルシー様に嫉妬して、彼女を毒殺しようとしていたんだから……)


 いくらラルフを愛しているからといって、恋敵を殺していいはずがない。

 もっとも原作では毒殺は失敗して、アシェリーは悪事がバレて投獄されることになっていたのだけれど。


(……私はもう誰も害したりしないわ)


「……アシェリー様はお変わりになられましたね」


 ぽつりとつぶやいたクラウスの言葉に、アシェリーは微苦笑する。


「だったら、嬉しいですわ」


 同じ態度を繰り返していたら懺悔にならない。

 たとえ愛するラルフとエルシーが婚約したとしても、アシェリーは黙って見守るだろう。


(まぁ、陛下は聖女様と結ばれる運命だから、エルシー様も私も失恋してしまうのだけれど……)


 そう思うと不思議と仲間意識が湧いてきてしまうのだが、エルシーからしたら良い迷惑だろうな、とアシェリーは内心苦笑した。






 クラウスに導かれて政務室に入ると、アシェリーはスカートを持ち上げてラルフに礼を取る。


「国王陛下にご挨拶を申し上げます。ミレー子爵の娘アシェリーが参りました」


 離縁したので旧姓を名乗った。


「あ、ああ……お前か」


 ラルフは執務机から顔を上げると、戸惑いを含む眼差しでアシェリーを見つめた。


「そこに掛けてくれ。いまお茶を用意させる」


「ありがとうございます。ですが、お気遣いは不要ですわ。私はお客としてではなく、治療師の仕事としてやってきただけですので長居するつもりもありませんから」


 アシェリーは驚きつつも、そう言って微笑む。


(施術が終わったら、すぐ帰りましょう。陛下は私の顔なんて長い時間見たくないでしょうから……)


 社交辞令で誘ってくれたのだろうが、お茶など一緒にしては逆に迷惑だ。

 しかし、ラルフは焦ったように首を振る。


「いや、治療師としてやってきてくれたのだから俺がもてなすのは当然だ。施術が終わったら一杯くらいは付き合ってくれ」


 そう乞われてアシェリーは困惑しつつ「わかりました」と、うなずく。


(いったいどうしたのかしら……?)


 離縁してから半年。週に一度は施術にきているから、もうこうして会うのは二十四回になるだろうか。その間、お茶に誘ってくれることはなかったというのに。それ以前の十年間でも皆無だ。


(まぁ、一杯くらいは良いかしら……。雑談しつつ、もっと詳しく体調について聞いてみましょう)


 じきに聖女が現れるはずだ。そうしたらアシェリーもお役御免になる。


(できれば、その前に治療の間隔を開けられるようにしておきたい……二人がくっついている姿を見るのは嫌だもの)


 今はラルフの魔力も安定しているから、一週間と言わず二週間ほど診察日を伸ばしても問題はなさそうに見える。その辺りもラルフの体調を見ながら相談していきたかった。


「では上着を脱いでください」


 アシェリーがそう言うと、ラルフはゆっくりと金銀の刺繍がほどこされたコートを脱いだ。


「……シャツも、です」


 できるだけ動揺を押し隠しつつ、アシェリーはそう言う。

 衣擦れの音と共にラルフがタイを外し、はだけたシャツから程よく筋肉がついた胸元が覗く。そのままスルリとシャツを脱いでラルフはソファに腰掛けた。

 アシェリーはできるだけラルフの方を見ないようにしながら、詰めていた息を吐く。

 毎回のことながら、彼に服を脱がせる行為に羞恥心が沸き起こってしまう。


(これは医療行為……医療行為……)


 煩悩を排除するようにアシェリーはこめかみを押さえながら脳裏で呪文を唱えた。

 他の患者達ならば目の前で下半身を剥き出しにされても冷静に対応できるのに、ラルフに関しては上半身だけでも無理だ。

 しかも、以前はこの状態の彼の体を心ゆくまでベタベタと嫌がられようが触っていたのである。


(死にたい……完全に痴女だわ)


 その時の虫けらでも見るようなラルフの表情を思い出して、すっと頭が冷える。男女逆にして考えてみれば、どれだけの迷惑行為か分かる。もはや関係は修復不可能だ。

 アシェリーは深く息を吐いて、できるだけ肌に手が触れないように心がけながら目を閉じる。


「……淀みはありませんね。体調も良いようです」 


 ラルフも少し緊張しているのか鼓動が速いようだ。そんなことまで魔力の流れで分かってしまうのである。


(本当は手が触れている方が効率良いんだけど……)


 実際、治療院にくる患者に対してはそうして施術しているのだ。

 けれど、ラルフに対してそれができない。これ以上嫌われたくないから。本当は服も着ていてもらいたいが、それはさすがのアシェリーにも難易度が高すぎる。


「……もうベタベタ触ってこないんだな」


 突然からかうように言われて、アシェリーの頬が熱を帯びる。


「そっ、そんなの、当たり前です……! 離縁したんですから」


 慌てて言ってしまったのは、先ほどの邪な感情を見透かされたようで怖かったからだ。


「もう赤の他人……いえ、国王と臣下なのですから。主君に無断で触ったりしません」


「だが、宮廷治療師達は遠慮なく触ってくるがな」


「そうしないと治療できないからでしょう。私は触れなくても問題ありません……私は二度と陛下を苦しめないと誓いましたから。そもそも陛下は他人にあまり触れられたくないのでしょう?」


 アシェリーの言葉に、ラルフはぴくりと眉を上げる。意外そうな表情をしていた。


「知っていたのか?」


 アシェリーにだけではない。他人に触れることも触れられることも抵抗感があるのか、着替えも侍女や従者に手伝ってもらうことなく一人で済ませてしまう。たまたま誰かと肌が触れることがあると顔が強張っていた。


(おそらく、十年前のお母様の死の影響なのでしょうけれど……)


 それで他人に接近することを恐れているのだ。そばにいたら魔力暴走に巻き込まれてしまう可能性があるから。距離が近ければ近いほど命に関わる。


「……知っていました。それなのに何度も触ってしまって、申し訳ありません……」


 ラルフの心の傷をえぐって、なおも気にせず自分の思うままに振舞ってきたのだ。あまりにも心苦しくて頭が自然と垂れてしまう。

 ふと視線を感じて見上げると、ラルフがアシェリーをじっと見つめていた。まるで初めて何かを見たというように。


「いや……俺の責任もある。トラウマは克服すべきだと分かっているんだ。俺は国王なのに、このままじゃ妃にも触れられないから」


 妃、という言葉に胸がズキリと痛む。それはアシェリーのことではなく後の聖女のことだ。

 だが、アシェリーはとびきりの作り笑いを浮かべた。


「大丈夫です。陛下が恐れているようなことは起こりません。──いえ、起こさせません。私が陛下の治療師である限りは」


 なぜかラルフはまぶしそうに目を細めて、ぎこちなく目を逸らす。落ち着かないように少し赤くなった首を掻いた。


「……信じて良いのか?」


「もちろんです」


 アシェリーはそう言うと、そっと手を離した。


「幼い頃に魔力暴走を起こしてしまったのも陛下のせいではありません。……魔力が多い人ならば誰だって暴走してしまう危険性はあります。むしろ責任を問われるべきなのは治療師の方でしょう。もしもこれから先、陛下が暴走してしまうことがあったとしても、それは私の咎です。陛下のせいではありませんから、それをお忘れにならないでください」


 アシェリーはそう穏やかな口調で言う。

 魔力の暴走をふせぐためには精神の安定が重要だ。十年前はラルフも幼く己の心の制御ができなかったのだろう。アシェリーはずっと苦しみ続けている彼を解放してあげたくて、そう言った。心のつかえがなくなれば、ラルフも楽になるはずだ。

 ラルフは一瞬口を引き結び、じんわりと目が潤む。何かに耐えているようだった。


「……優れた治療師は患者の心も救う、か……聞いていた通りだな」


「陛下?」


「俺も考えを改めよう。本人が努力すれば変化するものはあると」


 全て施術が終わると、ようやく落ち着いたようにラルフは深く息を吐く。


「……ありがとう」


「いいえ」


(今は週に一度の往診だけど……陛下のお体もどんどん安定しているようだから、二週間に一度にしても良いわよね)


 ラルフもアシェリーの顔を見なくて済むならその方が気楽だろう。お互いのためにもそちらの方が良い気がした。


「前より魔力が安定してますし、施術の間隔を空けても大丈夫だと思いますよ。次から二週間後にしましょうか?」


「それはダメだ……っ!」


 アシェリーの言葉に間髪入れずラルフが声を上げる。

 突然大声を出されてアシェリーはビックリしてしまった。凍り付いているアシェリーを見て、ラルフは慌てたように言いつくろう。


「い、いや……大声を出してすまない。まだ、そんなに期間を空けるのは不安だから」


 そうゴニョゴニョと言い訳されて、アシェリーは首を傾げつつも受け入れた。


「もちろん、陛下がお望みならそういたします。ご安心ください」


「ああ、そうしてくれ」


 その時、メイドがワゴンにティーセットを載せてやってきた。


「紅茶をお持ちしました」


 彼女はなぜかラルフに目配せした後、アシェリーに向かって深く頭を下げる。


「こ、こんにちは。私を覚えていらっしゃいますか?」


「あら……? あなたは……」


 どこかビクビクしている彼女は、かつてのアシェリーの侍女だ。

 そして先週、ラルフの元へ施術にきた帰りに魔力の暴走で倒れていたのをアシェリーが介抱した記憶がある。


「あの時は助けてくださり、ありがとうございました!」


 再び深々と頭を下げる彼女に、アシェリーは笑みを向ける。


「いえ、私は当然のことをしたまで。お元気になられて良かったわ」


 メイドはアシェリーの優しい態度に、驚いたように目を丸くしている。

 これまではメイド達にさんざん偉そうに接していたから当然だろう。


(なるほど。陛下は私に彼女を会わせるつもりでお茶に誘ってくれたのね)


 そう納得する。

 その時、ふと脳裏に原作のシーンが浮かんだ。


(ああ、そういえば……メイドの彼女も原作に出ていたわね)


 それをようやく思い出した。

 確か、彼女は魔力暴走を起こして王宮で亡くなったのだ。

 ラルフに『お前ならどうにかできるだろう。助けてやってくれ』と頼まれてもアシェリーは見殺しにした。それが、ますますラルフの態度が硬化していく原因になったのだが……。


(……助けることができて本当に良かったわ)


 未来の自分の愚かな行動を清算できたことに安堵する。

 アシェリーは紅茶を飲み終えると、立ち上がりスカートを少し持ち上げてラルフに礼をした。


「美味しいお茶をありがとうございました。それでは私はこれで失礼いたします」


「……もう帰るのか」


 少し残念そうなラルフの言葉に当惑する。


「え……っ」


(もう他に用事はないはずよね……?)


「いや、じゃあ城の出口まで送って行こう」


「あ、いえ……! ここで結構ですので。お忙しい陛下のお時間をいただく訳には……」


「良いから」


 よく分からない押し問答に負けて、アシェリーは見送られることになってしまった。

 その時、壁際で控えていた従者がラルフの元まで寄り、何かを耳打ちする。ラルフの表情がゆがみ、その後に驚いたように目を剥いた。


「どうかなさいましたか?」


 そう尋ねると、ラルフは首を振って「いや……行こうか」とアシェリーを促した。

 廊下を歩きながら、ぽつりとラルフは口にする。


「──先ほど従者から聞いたのだが、エルシーのメイドに陰口を叩かれても、彼女達をかばったらしいな」


「それは……」


 言いよどむアシェリーに、ラルフは微笑む。


「こう言っては気を悪くするかもしれないが……、以前のお前は下働きの者の体調を気遣うことはなかった」


(……これまでは、陛下以外に興味がなかったから……)


 周りがどうなっても構わないから、誰かが魔力暴走を起こしても放っておいたのだ。

 同じ部屋で倒れたメイドがいたとしても、冷たい目で『邪魔よ。どこかに連れて行って』と言い放つような女。


(……私、本当に最低だったわ)


 かつての自分を考えると、頭を抱えてしまいたくなる。悪女にふさわしい振る舞いしかしてこなかったのだ。処刑されても仕方ない。


「……街でのお前の噂も聞いている。皆に好かれていて、とても評判が良いらしいな」


 ラルフの言葉に、アシェリーは目を瞬かせた。


「いっ、いえ、そんな……」


(まさか彼の耳にそんな話が届いているなんて……)


 困惑と喜びが襲ってきて、アシェリーは首を振る。


「皆さんに良くしていただいて、とてもやりがいがあります」


「そうか……」


 ラルフはアシェリーが向けられたことがない優しい眼差しをしていた。それにドキリとする。

 この半年、少しずつラルフの態度が変わってきているのを感じていた。


(良かった……少しは罪滅ぼしになっているかしら?)


 ラルフは聖女と結ばれて、アシェリーは処刑される。その未来を知っていても、やはり彼に憎まれ続けるのは嫌だ。好かれることは無理でも、せめて嫌われずにいたい。

 廊下の角を曲がろうとした時、前方からエルシーが侍女を引き連れて歩いてくる姿が見えた。


「あら、陛下。ご機嫌麗しゅうございます」


「ああ」


 エルシーが満面の笑みで挨拶するも、ラルフはむすっとした顔をしていた。

 その様子にアシェリーは首を傾げる。

 まるで、彼が大事な話を邪魔されている時のような表情をしていたからだ。


(以前は、その顔を向けられていたのは私だったけれど……今日はどうしたのかしら。陛下はご気分が良くないみたい)


 エルシーはラルフに歩み寄ると、アシェリーに見せつけるように彼の胸にしなだれかかる。


「陛下、新しい香水をつけてみましたの。どうかしら? 似合います?」


 あからさまに挑発するようにアシェリーを見てくる。

 アシェリーが冷遇されていることを知っていて、エルシーはこれみよがしにラルフとの仲を見せつけてくるのだ。滞在期間中ずっと。


(ああ……またか)


 これまでだったらアシェリーは発狂してエルシーに突っかかっていた。しかしラルフがエルシーをかばうので、さらに怒り狂ったアシェリーがラルフに意地悪なことをして彼に嫌われるという悪循環。

 それを思い出してアシェリーは顔をしかめる。


(……彼は触られるのが嫌なのに)


 しかし、ここでアシェリーがエルシーの行為を咎めると、後々面倒なことになりそうである。少なくとも『離縁した妃のくせに』と陰口を叩かれるだろう。


(でも、放っておけないわ)


「エルシー……」


 アシェリーが眉を寄せて彼女の行為をやめさせようとした時──。

 ラルフはエルシーの身を素早く引き剥がした。


「エルシー、私は忙しい。匂いを確かめてもらいたいなら他の人をあたってくれ」


 そっけなく言われて、エルシーがぽかんとしている。


(あ、あれ? これまでの彼なら『うん、悪くないな』くらいは笑顔で言ったと思うけれど……)


 触られるのが嫌でも、表面上取り繕えるくらいの社交力はあるのだ。

 困惑しているアシェリーの手を取ってラルフは進もうとする。


(ええ!? 手……手が……)


 つい触れられている手を凝視してしまう。


「あ、あの……」


 戸惑っているアシェリーにラルフは言う。


「行こう」


(良いのかしら? エルシー様を放っておいて……)


 ラルフに手を繋がれて歩きながら、アシェリーは気になって背後を振り返る。

 すると、うつむいて震えていたエルシーがキッと睨みつけてきた。


「……廃妃のくせに」


 ボソリとつぶやいたそのエルシーの声は、予想外に廊下に響いた。

 その場で凍りついた侍女達は一人や二人ではない。アシェリーもそうだった。そして、なぜかラルフも。


「まだ陛下に付きまとうなんて、どれだけ恥知らずなのかしら」


 まだ言い続けるエルシーを止めたのは、ラルフの氷のような声だった。


「エルシー」


 突然声色が変わったラルフに、エルシーはビクリと肩を揺らす。

 ラルフは大きくため息を落とした。


「叔母上に頼まれていたから多少のことは大目にみていたが……やりすぎだ。もう隣国に帰れ」


「えっ、そんな……陛下……」


 エルシーはショックを受けたのか、ひどく青ざめている。


「アシェリーは俺に付きまとっているわけじゃない。俺が頼んで王宮に来てもらっているんだ」


「え……?」


 ざわりと周囲に戸惑いが広がる。

 皆アシェリーが治療師としてやってきていることを知らない。ラルフの魔力暴走のことは周囲に知られては困るから伏せられているのだ。

 だから皆はアシェリーがラルフに付きまとっていると思いこんでいたのだろう。


「……行くぞ」


「あっ……、は、はい。陛下……」


 アシェリーは迷ったが、ラルフに手を引かれるまま後に続いた。

 今エルシーに声をかけても彼女の怒りに油をそそぐだけだろうと思ったから。

 王宮の正面扉の前で、ラルフは足を止める。


「後は護衛に治療院まで送らせよう」


「い、いえ、お気遣いなく」


「いや、そうはいかない。一人で帰るのは危険だ」


(……離縁した妃なんて放っておけば良いのに、義理堅い方だわ)


 そう思いながら、アシェリーは繋がれたままの手をじっと見つめた。


「あの……お手を」


 すると、ようやく気付いたようにラルフは手をパッと離す。急に彼の顔が紅潮した。


(気付いていなかったの……?)


 お互いどこか落ち着かないようなしぐさで辺りを不自然に見回した。変な空気になってしまっている。


(何これ……?)


 顔が熱くなっている。

 何だか意味不明にドギマギしながらも、アシェリーはラルフのことを心配してしまう。


「あの……差し出がましいようですが、あのような言い方をされると周囲から誤解されてしまいますわ」


「言い方?」


「その……『俺が頼んできてもらっている』とか……」


 思い出して顔が赤くなる。

 治療師としてやってきているわけだし、ラルフの言葉が完全に間違っているわけではない。

 しかし、アシェリーがラルフの施術にやってきていることは伏せられているのだから、周りからは男女の意味に捉えられてしまうだろう。


(もうすぐ聖女様が現れる時期なのに、彼女に誤解されたら困るわ……)


「その通りだろう。お前は俺を治療するためにきてくれているんだから。それを周囲にも知らせるべきだ」


 アシェリーは慌てて首を振った。


「それはいけません。陛下の体調のことを周りに知られては、その弱みに付け込まれてしまいます」


 一番彼の弱みに付け込んでいたのはアシェリーだ。説得力があるに違いない。

 しかしラルフは躊躇っている様子だ。


「だが……」


 しつこく言い寄る女だと馬鹿にされている現状をラルフはなんとかしたいと思ってくれたのだろう。

 その心遣いに胸の奥があたたかくなる。


「……私は陛下のお気持ちだけで十分ですから」


 そう言ってアシェリーが微笑むと、ラルフは目を見開いた。そして、ふいっと顔を背ける。なぜか頬が赤く染まっていた。

 その後、アシェリーは風の噂でエルシーが隣国に戻ったことを知った。




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2024年11月11日、書籍2巻が発売します! 読んでくださると嬉しいです!

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