第5話 妹との再会
伯爵夫妻に見送られて馬車に乗り込む。
アシェリーの実家は、レーマー伯爵領から少し離れた場所にある。道中の景色を眺めながら、ラルフが口を開いた。
「久しぶりに会ってどうだった? ローレンツの様子は」
アシェリーは少し考えてから答える。
「まだ治っていませんが……意識を取り戻して、ちゃんと受け答えできていたので安心しました」
そう伝えると、ラルフも優しく微笑む。それから彼は少し表情を曇らせて言う。
「ただ……気になることがあってな……」
「何ですか?」
アシェリーが首を傾げると、ラルフは言いにくそうに口を開く。
「ローレンツがお前のことを熱い目で見つめていたことだ。アシェリーが美しいのは仕方ないことだが……その、彼がお前に惹かれているのではないかと心配になった」
ラルフの言葉に耐え切れず、アシェリーは噴き出してしまう。
「真面目な顔で何をおっしゃるかと思えば……ローレンツが? そんなこと、ありえませんよ!」
「なぜ、そう言い切れる?」
ラルフの疑わしげな視線に、アシェリーは困り顔で言う。
「う~ん、そうですね……昔の彼を知っていますが、異性として見られたことはないと思います。むしろ妹のレベッカの方がローレンツと仲が良かったですし……」
ラルフは肩をすくめる。
「だが、昔と今では違うだろう。治療している間に患者との愛が芽生えるのは、あるある話ではないのか? 俺達もそうだった」
「フフフッ、一緒にしないでください! もう! 冗談が面白すぎますよ!」
ひとしきり笑った後、アシェリーは目尻に浮かんだ涙をぬぐった。
(緊張していたけれど、ラルフのおかげで肩の力が抜けたわ)
「私が気になっているのは、ローレンツの症状です。あれは普通の病ではありません」
アシェリーは馬車の窓から外を眺める。
馴染みのある光景が近付いているのを感じた。幼少期の大部分の時間を過ごした子爵領にもうすぐ入るだろう。
(ラルフには言えないけれど、おそらくローレンツの病気は彼の出自に関わっている……)
原作ではローレンツは実は複雑な生い立ちだ。伯爵の妾腹の子で呪術師の末裔である。
呪術師とはこの世界にひっそりと住む、魔女のような存在のことだ。
彼らは薬師であり不思議な呪術を使うと言われている。
その力が異端視された結果、数十年前に王家から大粛清されてしまい、今は生き残りも多くはない。
彼らは自分達を迫害した王家を恨んでおり、多くの者が国家転覆を企んでいると聞く。
しかしローレンツは呪術師の末裔であるにも関わらず原作ではラルフを憎んでおらず、アメリアに助けられたことでラルフ達に協力していく流れだ。
(ローレンツがラルフを憎んでいないとしても、彼が呪術師であることは言わない方が良いわよね)
アシェリーはそう結論付けた。不必要な波風は立てない方が良いだろう。
ラルフは眉根を寄せる。
「それなら、ローレンツの病とはいったい……」
(おそらく呪いのようなもの……かしら?)
誰から受けたものかは分からないが、高名な治療師も手をつけられないほどの病。アシェリーでさえ一人では手に負えないほどの症状だ。十年生きながらえたのが不思議なほどの。
ローレンツの実の母親は身分のない呪術師の娘だった。その親戚筋から、伯爵と結ばれることをよく思われず、幼いローレンツが呪いのようなものをかけられた――というのが原作の話だ。
しかし、それは十年も寝たきりになるほど重い症状ではなく、アメリアも一度の治療で治せたはずだ。そもそも病気の質自体が原作とは違うように感じる。あれほど禍々しい描写はなかった。
(いったいどういうことかしら……)
考え込むアシェリーに、ラルフは「アシェリー?」と、訝しげに声をかける。
「あっ……すみません! 少し考え事を……」
アシェリーが慌てて答えると、ラルフはそれ以上追及せず馬車の外を眺める。
「……ローレンツの病を治すには時間がかかるかもしれないが、焦らずゆっくり治療していけば良い」
そう優しく言うラルフに、アシェリーは静かに頷いた。
◆
アシェリーの生家であるミレー子爵家に着くと、玄関口には既に子爵夫妻が待ち構えていた。
「よく帰って来たわね、アシェリー! 待っていたわ!」
そう言って出迎えた子爵夫人は嬉しそうにアシェリーを抱きしめた。
「お久しぶりです、お母様」
夫人の後ろではアシェリーの父であるミレー子爵が微笑んでいる。
「おかえり。元気そうで何よりだ」
彼はラルフに向き直ると、丁寧に頭を下げる。
「陛下、ようこそお越しくださいました。こうして会うのは結婚式ぶりですね」
「ああ、子爵殿も息災なようで何よりだ。こちらに滞在する間は、よろしく頼む」
ラルフの返答に、子爵は恐縮したように微笑む。それから夫人と顔を見合わせると、夫人は嬉しそうに口を開いた。
「陛下にご挨拶できましたし……さぁ、中に入りましょう! 王都の宮廷料理には敵わないかもしれませんが、地元の食材をふんだんに使った夕食をご用意しておりますよ! 料理長が腕を振るいました」
そう夫人が促すので、三人は屋敷の中に入って行く。ラルフの護衛やアシェリーの侍女達も後についてくる。
──その時に視線を感じて上を見上げると、そこには燃えるように目をギラギラさせたレベッカが窓からこちらを見おろしていた。
アシェリーは身をすくませて足を止める。
それに気付いたらしい伯爵夫人が、笑顔でアシェリーの手を引く。
「早くいらっしゃい! 皆待ってるから」
常になく上機嫌の母親に、アシェリーは何も言えなくなる。
(今さら泊まるのを止めるなんて言えないわ。お父様もお母様も、とても嬉しそうだし……)
「子爵達はお前に再会できて嬉しそうだな」
ラルフがそう耳打ちしてきて、アシェリーはぎこちなく微笑んだ。
「……ええ、私も久しぶりに会えて嬉しいです」
アシェリーがそう答えると、ラルフは目を細める。その優しい眼差しに胸が高鳴った。
(こんなに私達の関係だって変わったんだから、ローレンツや妹とも関係を修復できたら良いのに……)
そう期待してしまうのは欲張りだろうか。
邸に入ると執事とメイド達が出迎えてくれた。
「お嬢様、お帰りなさいませ。お元気そうで何よりです」
執事のダンが嬉しそうにアシェリーを迎えてくれる。それに笑顔で頷きながら、ぐるりと周りを見回し──ようやく見つけた。
玄関ホールの螺旋階段の上から、ゆっくりと一人の少女が降りてきている。レベッカだ。肩で切りそろえた癖のある赤い髪、紫の瞳が鋭くアシェリーを睨め付ける。
アシェリーと目が合うと、彼女はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。しかし国王のラルフの存在は無視できなかったようで、大人しくラルフに向かってスカートを持ち上げて挨拶する。
「ラルフ陛下、お初にお目にかかります。ミレー子爵が娘、レベッカと申します」
「ああ、君がアシェリーの妹か……よろしく頼む」
「はい。こちらこそ」
レベッカはそう微笑んで、ラルフの前から退く。
しかしアシェリーとすれ違う時、彼女は他の人に聞こえないほどの小声で呟いた。
「今さら何をしに戻ってきたの?」
その声の冷たさに、アシェリーは凍り付いた。
(何をしにって……)
もちろん、ローレンツを癒すためだ。けれど十年もの間そばで彼の苦しみを見続けてきたレベッカにとっては、アシェリーが来るのが遅すぎると感じたのだろう。それは事実で、だからこそアシェリーは何も言えなくなる。
「アシェリー、早くいらっしゃい。あなたの使っていた部屋を綺麗に整えておいたわ。陛下のお部屋は、その隣の客室に」
母親にそう声をかけられて、アシェリーはレベッカから視線を逸らす。
(前途多難だわ……)
滞在中に少しでも妹との仲を改善したいと思っているけれど、こんな調子で果たして上手くいくのだろうか?
アシェリーは不安に思いながらも、母親に案内されてラルフと共に自室に向かった。




