第15話 聖女の資質
「どうしてこんなこと……!」
アメリアは玉座の間から外の景色を見渡せるテラスでそう呻いた。
王宮の周りを囲む兵士達。それは前とは変わらないが、少し離れたところでは宴会がいたるところで開かれているのだ。肉の焼ける良い匂いと酒気がアメリアの鼻腔をくすぐり、お腹がぐうと鳴る。
「お腹が減ったわ。何か食べ物はないの!?」
アメリアがそうわめくと、広間にいた兵士が青い顔で首を振る。
「いいえ。食糧庫は空っぽです……! 攻め込んだ時に使用人達に持ち逃げされたのかと」
「それを止めるのがあなた達の仕事でしょう! 使えないわね!」
アメリアの罵声に被さるように、シュバルツコップ侯爵のため息が落とされた。
「兵士を責めても仕方がない。我々は嵌められたのだ」
「嵌められたですって!? それはどういう……」
シュバルツコップ侯爵は重いため息を落とす。
「まだ分からないのか? あっさりと王宮を占拠できたことにのぼせてしまっていたが、時間が経ってみればおかしいことに気付く。食糧庫も武器庫も空っぽだ。そして外にはクラウスの率いる兵士達に周囲を囲まれ逃げられなくなっている」
アメリアが目を白黒させて周囲を見れば、広間にいた者達の雰囲気は沈んでいる。ほとんどがシュバルツコップ侯爵の私兵で、アメリアを崇拝する信者はわずかしかいない。
本来なら王宮を占拠した後に王都を封鎖し、何も知らずに少人数で戻ってきたラルフと王妃アシェリーを捕縛するつもりだった。クラウスを味方につけてしまえば、もはや不安はないという状況だったはずなのに──。
シュバルツコップ侯爵は苛立ったように金杯を床に叩きつけた。
「クラウスに裏切られた! まさか血の繋がった父親より兄への忠誠を取るとはな! なんという愚か者め……! 幼い頃からあんなに良くしてやっていたのに。私を慕う振りをして裏切るとは……っ!」
「そんな……っ! こんなはずじゃなかったのに……」
アメリアは指を噛みながら表情を歪める。
色仕掛けでクラウスを篭絡したつもりでいた。まんまと彼に騙されていたのだ。
シュバルツコップ侯爵は吐き捨てるように言う。
「クラウスは周到に準備していたんだろう。でなければあんな短時間で武器や食料を全部運べるはずがない。最低限の食料だけ残して荷物をほとんど外に運び出しておいたのだ」
──全てはアメリア達を孤立させるために。
アメリアはゾッとした。
「このまま王宮にこもっていても我々は疲弊していくばかりだ。かといって、この戦力差では出て行っても勝ち目はない。クラウスが率いる兵士達がいる想定だったからな」
「そんな! じゃあどうすれば……っ!?」
アメリアの受け身な態度に苛立ったのか、シュバルツコップ侯爵は声を荒げる。
「お前が考えろ! もっとお前の信者が多ければこんなことにはなっていなかったんだ! 仮にも聖女なら、もう少し人心掌握くらいしたらどうだ!? お前は信者を五十人ほどしか連れてこられていないじゃないか! 聖女というなら数千人くらいヴィザル教徒を引き連れてこい!」
「む、無茶言わないでよ……!」
アメリアは腰が引けた姿勢になる。
ヴィザル教徒は多いのだから、確かにアメリアに求心力がもっとあればその人数でも可能だったかもしれない。だがアメリアの悪評は広く流布されていて、ついてきてくれる者がいなかったのだ。数少ない盲目的な信者達も、今は広間の隅で肩を寄せ合って青い顔をして震えている。
その時、おずおずとした様子で信者の一人に声をかけられた。
「あ、あの聖女様……どうか私達にお恵みを」
そう這いつくばいながら拝むのは信者の男だ。どうやら腕に怪我をしているらしく血を流していた。
「聖女様は傷を治す力があると伺いました。どうか私達を癒してくださいませんか?」
アメリアは顔を歪めて、己の右手の甲をもう一方の手で覆い隠す。神の庇護をなくしたアメリアには聖女の紋章はない。自ら描いた偽物の模様だけだ。
(癒しの能力なんてもう使えないのよ……! 力が使えないことがバレたら……っ)
アメリアの顔から血の気が引いた。
ここにいる者達は手のひらを返し、アメリアを罵倒するだろう。もしかしたら騙されたことに腹を立てて殴りかかってくるかもしれない。
(クラウス様さえ攻略できれば巻き返せると思っていたのに……!)
ギリギリと歯を食いしばり、アメリアは信者の男の頬を手で叩いた。
「無礼者! 私の神聖力はお前のような下層民には使わないのよ! わきまえなさい!」
そう吐き捨てて──悪手だったことに気付いた。信者達は恨みがましい目でアメリアを見ていたのだ。
「こんなことなら周りの忠告を聞いておけば良かった……」
「アメリア様になど付いていかなければ、命だけは助かっていたかもしれないのに。このままでは飢え死にだ」
「暴動を起こしたんだ。俺達はもう駄目だ。陛下もお怒りだ」
「こんな女が聖女だなんて……アシェリー様だったら貴賤の区別なく救ってくださっただろうに」
そんなヒソヒソとした言葉まで飛び交う。アメリアはとても聞き捨てならなかった。
「何ですって!? どうしてあの性悪女を皆して……っ!!」
その時、外で騒ぎが起きていた。
「何事だ?」
憔悴した顔で問いかけるシュバルツコップ侯爵に、兵士は動揺した様子で口ごもる。
「そ、それが……外をご覧ください」
そう促されて侯爵とアメリアはテラスから顔を出した。
テラスから外を眺めると、そこにはアメリアがよく知る人物が立っていた。総主教だ。後ろにはラルフやクラウス、アシェリーの姿まである。
「総主教!? 生きていたのね……」
(てっきりもう亡くなっていると思っていたわ)
アメリアは目を白黒させる。シュバルツコップ侯爵は嫌な予感がするのか頬を引きつらせた。
「殺すつもりだったが、始末はクラウスに任せていた。それが仇となったか……」
呆然とつぶやく侯爵。
総主教は威厳のこもった声音で信者達に向かって語り掛けてくる。
「我が愛する同胞達よ。同じ主を崇めるヴィザル教徒よ。私は神の忠実なる僕──総主教ワイヴァンである。私の声にどうか耳を傾けておくれ」
不思議と響く声に釣られて広間で蹲っていた信者達もテラスまで移動してくる。総主教様、と彼らが歓喜の声を漏らした。
「おお、我らの同胞達よ。ああ、顔をもっと見せておくれ。私が分かるだろうか。神の忠実なる僕だ」
総主教が語りかけると、目があった信者達の目が輝く、先ほどまで広間の隅で死んだ目をしていた者と同じ人物とは思えない。雲の上の存在と目が合い涙を流す者もいた。
「総主教様……総主教様だ……」
「同胞達よ。私は一度死に、そして神の癒しの手により、よみがえった。その時に私は大きな過ちを犯していたことに神の言葉によって気付かされたのだ。目に見えるものが全てではないと。私は神の紋章に目がくらんで、ある女を聖女と決めつけた。道を見誤ったのだ。その女は周囲に無礼を働き、王妃を暗殺しようと企む女狐だったというのに──」
総主教はアメリアを指差して批判した。
「なっ!?」
アメリアは唖然とした。
(まさかこんな展開になるなんて……)
総主教はなおも語り続ける。
「神は女から聖女の資格を剥奪された。その女はもはや聖女ではない。同胞達よ、神はあなた達を許される。心の目で見ることの大切さを主は教えてくださったのだ。どうか、私と共に手を取り合い、真の聖女の元へ集っておくれ」
真の聖女、と総主教に示されたのは彼の隣に立っていたアシェリーだった。しかしアシェリーは初耳だ、と言わんばかりの驚愕の表情をしている。
総主教の話を清聴した信者が涙をながしながら、よろよろと扉から出て行く。それに続いてどんどん王宮の外に信者達が向かっていた。兵士達も命乞いをするために次々と出て行ってしまい、いつの間にか広間はガランとしていた。残されたのはアメリアと侯爵だけだ。
豪華な調度品や天井画に囲まれているのに、玉座に掛ける者もおらず、兵士一人もいない広々とした空間はどこか滑稽に映った。
残されたアメリアは床にヘナヘナと崩れ落ちる。
「どうして……? 隠していたのに」
右手の甲にある自分で描いた模様を手で押さえた。
人目に触れないよう細心の注意を払っていた。浴室で体を洗う時も着替えも、クラウスが派遣してくれた侍女には任せず一人でしていたのだ。そこでアメリアはハッとする。
(だからあの侍女に怪しまれたんだわ……!)
今までは神殿で何をするにも侍女に任せていたのに、突然自分で全ての身支度をするようになったから。もしかしたら寝ている間に侍女に右手の甲の紋章を確認されたのかもしれない。
テラスの手すりの柱から外を窺えば、目が合ったクラウスがニヤリと口の端を上げる。
「あの男……ッ!」
ぶるぶると震えるアメリアの右手首をつかみ上げ、シュヴァルツコップ侯爵がアメリアの手の甲を食い入るように見つめる。そしてワナワナと震えだした。
「あ……、お義父様。離して」
アメリアは空気に耐え切れず言ったが、シュヴァルツコップ侯爵はアメリアの髪を乱暴につかんで引き寄せた。
「この偽者め! お義父様などと呼ぶな! 貧民出身のくせに汚らわしい! お前のせいで……っ! お前が偽者と知っていれば、私はこんなことには……っ!」
「わ、私は本物よ! 本当に聖女だったの! いまは紋章は消えてしまったけど……! 気付かなかったのはそっちじゃない! 私の責任じゃないわ!」
カッとなってそう叫べば、シュバルツコップ侯爵は顔を真っ赤にさせた。
「小娘がッ! お前なんぞを引き取った私が馬鹿だった!」
そう叫んだシュヴァルツコップ侯爵がアメリアを殴りつけようとして──。
その手が阻まれた。突如、飛んできた短剣が侯爵の腕に突き刺さっていたのだ。
「うわぁぁぁ!!!!」
シュヴァルツコップ侯爵はアメリアから手を離し、床を転がりまわる。衣装の腕部分には血が広がっていた。
アメリアはそれを投げた相手──広間から入ってきたラルフを見て目を輝かせた。
「ラルフ様……私を助けてくれたのですか?」
(なんだ。やっぱり彼は私のこと好きなんじゃない……!)
アメリアの胸が躍ったが、ラルフの眼差しは冷たかった。
「勘違いするな。裁判にかける前に死なれては困るからだ。おい、お前達。あの二人を連れて行け」
ラルフが命じると、護衛の兵士達がアメリアを取り囲んだ。
「な、なんで! どうしてシナリオ通りにいかないの! 悪女さえ……あの女さえいなければ私はこんなことには……っ!」
アメリアはラルフの横に寄り添っているアシェリーを恨みがましく見つめた。アシェリーは困ったような目をしている。
ラルフはため息を落とした。
「……どうしてそんな勘違いをするのか分からないな。たとえアシェリーがいなかったとしても、俺がお前を愛することはない。絶対にだ。お前の行動は聖女としてふさわしくない。だから神は聖女の証を取り上げ、力を使えなくしたのだろう」
そう断定されて、アメリアは「そんな……」と崩れ落ちた。
(これは私のためのストーリーのはずなのに……どうしてこうなっちゃったの……?)
ラルフの後ろでニコニコとこちらを見ているクラウスが憎らしく思えた。
「大噓つき野郎! お前が裏切らなければ私は……っ!」
そう噛みつくように怒鳴りつければ、兵士達のアメリアを拘束する手に力がこもる。
「もう黙れ! この女を押さえつけろ!」
そしてそれ以上呪いの言葉を吐けないよう口枷と手枷をされて、アメリアはシュヴァルツコップ侯爵と共に退場させられてしまった。
◇◆◇
「終わった、の……?」
アシェリーはつぶやく。
先ほどの騒動が嘘のようだ。広間には自国の兵士達が行きかい、活気が戻っている。
アメリアはシュヴァルツコップ侯爵と共に兵士達に連れて行かれてしまった。きっと今頃は王宮の敷地内にある貴人用の牢獄に入れられているのだろう。
「ああ、終わった」
ラルフはそう言うとアシェリーをそっと抱きしめる。アシェリーは安堵の息を漏らした。
「まだ実感が湧きません」
小説のラストとは違うからだろう。ラルフは魔力暴走を起こさなかった。それが『精霊の涙』のおかげなのか、それともアシェリーと両想いになって精神が安定したからかは分からないが──。
「それにしても、いきなり総主教様が私を聖女呼ばわりするからビックリしてしまいましたよ。後で誤解は解けるんですよね?」
アシェリーはそのことが気になっていた。信者を説得させるために言ったのかもしれないが、突然聖女に担ぎ上げられて仰天した。その後に広間から出てきたヴィザル教の信者達に囲まれて涙混じりに崇められてしまったので、彼らをなだめるのに苦労したのだ。
ラルフはぷっと噴き出す。
「いや、でも誤解という訳じゃないんだ。実際、アシェリーの行動は聖女のようだと市民の間で噂が流れているからな」
アシェリーは困惑した。
「え? 私が聖女? どうして……」
「ほら、貧民街で魔力暴走を起こした市民を助けたことがあっただろう? あれが王妃の行動だと国民に知れ渡ってしまったんだ。そうでなくても、これまで『医療衛生』という概念を打ち立てて数えきれないほどの兵士達を救ってきたからな。町の治療院で庶民に化けて治療師として働いていたことも美談にされている。軍でも、貴族でも、庶民の間でも、お前の評判はすごくてな。『本当は王妃様が聖女なのでは?』という声が色んなところから聞こえていたんだ。最近、町ではアシェリーの英雄劇が人気でよく披露されているようだし、肖像画も売れまくっているらしい」
「し、知りませんでした……」
患者の治療をするにも町に出ておらず王宮まで来てもらっていたから、外からの情報が遮断されている状態だったのだ。
その時、まばゆい光がアシェリーの右手を包み込む。
「え?」
不思議と熱くないそれはすぐに消え、残されたのは聖なる証──聖女の紋章だった。アシェリーは信じられず己の右手の甲を凝視する。
「えっ? 嘘でしょう……?」
「ははっ、神も同意してくれたようだな」
ラルフは声を上げて笑っている。
アシェリーが手首を押さえて戸惑っていると、広間の端にいた総主教が歓喜の涙を流しながら近付いてきた。
「聖女様──ッ!!」
「え、ちょっと……」
まだ状況が受け入れられないアシェリーの両肩を背後から押さえて、ラルフはクスクスと肩を揺らす。
「これからはもっと忙しくなりそうだな」
王妃だけではなく聖女としての役目もあるのだ。アシェリーはその未来を思って苦笑した。
けれど嫌な気分ではないのは、隣にラルフがいてくれるからだろう。
たとえ聖女となってもアシェリーのすることはこれまでと変わらない。治療師として多くの人を助け、愛するラルフのそばにいるだけだから。
後日、アシェリーは『精霊の涙』を使って魔力暴走を抑える護石を作り出した。それは大陸に広く普及し、さらにアシェリーの名声が高まることとなる。
「もう夜遅いんだから休んだら良いのに」
不満そうにラルフはアシェリーの寝室のベッドに寝転んで言う。
アシェリーは一人執務机に向かって護石の研究をしていた。
「いいえ、まだ護石は半年ほどしか効果がないですよ。できれば永続的に、その人が一生つけていれば困らないくらいにしたいんです」
そのためには改良が必要だ。アシェリーは王宮治療師団を作り、優秀な者を集めて魔力暴走を抑えるための研究と開発を続けている。
「研究熱心なことは良いことだが……俺のことも構ってくれ」
そう言って後ろから抱きしめてくるラルフ。アシェリーは照れ笑いを浮かべながら夫を見つめた。
ふと思い出して言う。
「……アメリアとシュヴァルツコップ侯爵の件で、尽力してくださってありがとうございます」
先日、アメリアとシュヴァルツコップ侯爵は裁判にかけられ、生涯幽閉の刑に処されることとなった。
ラルフとクラウスは元聖女アメリアとシュヴァルツコップ侯爵を反逆罪で処刑すべきだと主張した。アメリアは一貫して反省する態度は見せなかったし、裁判でも死刑を求める意見が大多数だったが、アシェリーの嘆願で二人は終身刑となった。侯爵に協力していた貴族達は爵位を没収されて領地から追放されている。
ラルフは肩をすくめる。
「俺は本当は終身刑は生ぬるいと思うがな。アシェリーの頼みだから仕方ない」
「だって人死にが出るのは、やっぱり寝覚めが悪いし……」
そうぼやくアシェリーに、ラルフは苦笑する。
「アシェリーらしいな」
ラルフの指がアシェリーの落ちてきた髪を耳にかける。そして、そのまま身を屈めてきたので、アシェリーは瞼を伏せた。
二人の唇が重なる。
「──俺は今、幸せだ」
「……私もです」
そして顔を見合わせて笑った。
もはやそこに偽りの夫婦などいなかった。
◇◆◇
アシェリー妃は救国の聖女としての名前の方が有名だろう。その生涯を人々の治療と護石の研究に費やし、魔力暴走を根絶させたことは広く知られている。
──中略──
ところで、フリーデン王国のラルフ国王というと愛妻家として有名だ。
幼馴染で結婚した二人は三人の子宝に恵まれ、生涯寄り添って幸せに暮らしたという。
悪女アシェリーがラルフ国王を脅して結婚したのだと主張する学者もいるが、参考になる資料は多くはない。
二人の逸話は、大半が仲睦まじい二人のエピソードで彩られているからだ。
──書籍『聖女アシェリーの一生』より抜粋
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
これにて長編への改稿も終わり、本当のエンドマークをつけることができました。
【◆◇◆ 読者の皆様へ大切なお願い ◆◇◆】
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