第10話 魔力暴走、アシェリーの決意
その日の午後、アシェリーが王宮の一室で馴染みの患者を治療していた時に騒動は起こった。
「アシェリー! 緊急だ。治療を手伝ってくれないか!?」
兵士達に体を押さえられながら強引に部屋に入ってきたのはサミュエルだった。
「サミュエル? 皆、彼を放してあげて」
アシェリーの声掛けでようやくサミュエルは解放され人心地つく。息を荒げている彼をアシェリーは当惑しながら見つめる。
「どうしたの、いったい……」
「貧民街の子供が魔力暴走を起こした。路地に怪我人がたくさんいる。じいちゃんや他の治療師も動いているが手が足りない。お前がいたら多くの人が助かる」
その言葉を聞いてアシェリーは背筋が伸びる。だがアシェリーが返事をする前に護衛が「何も王妃様が行かれなくても……貧民の事ですし」と顔をしかめて言った。アシェリーは護衛を一睨みすると、サミュエルに言う。
「行きます。すぐに馬車の手配を」
「しかし、王妃様が行かれるのは危険です」
そう押し留める兵士に、アシェリーは毅然として言う。
「非常事態ですもの。陛下も許してくださるわ。陛下に伝言を。──それと別の馬車に毛布と消毒液をたくさん用意して」
そうしてアシェリーはサミュエルと共に貧民街に向かった。
(これは……)
まるで戦場のような悲惨な状況だった。整備された石畳がない土が剥き出しになった道には何人もの大人や子供が倒れている。
「アシェリーは向こうの重症患者を頼む。俺はこっちを治療する」
そうサミュエルに指示されて、アシェリーはうなずき土や血でドレスが汚れるのも構わず屈みこむ。緊急事態なので衣服を脱がせて怪我の状態を確認した。王宮から別の馬車で持ってこさせた毛布を地面に敷き、患者を横たわらせて、汚れた傷口を消毒液で綺麗にしていく。手が足りないから護衛に手伝わせた。
「……あなたは?」
青ざめた顔でつぶやく老人に、アシェリーは首を振る。
「しゃべらないで。大丈夫、すぐに治します」
アシェリーはそう言うと、老人の体に手を当てて魔力を流した。出血が止まり、みるみるうちに傷口がふさがれていく。
集まっていた野次馬から「おお」と歓声が上がった。
「すげぇ。あんな大怪我をしていたのに治るなんて」
「血が止まるだけならまだしも傷口が治るとこなんて初めて見た。あの治療師何者だ?」
「えっ王妃様!? 嘘だろ! どうしてこんな貧民街に」
別の意味で通りにはざわつきが生まれていたが、アシェリーはそれを無視して治療をし続けた。
(終わったわ……)
一時間後には惨劇があった現場は消え、怪我をしていた患者達はボロボロの衣服を残して回復していた。
死人がでなかったのは運が良かったかもしれない。アシェリーの到着が遅れていたら何人もの患者が危うかっただろう。
「皆さん、大量の血液が失われたので無理をせずにしばらく休んでください。まだ病人と同じですからご注意を」
そう声をかけると、患者達は泣き出してアシェリーの手を握りしめて「ありがとう、ありがとう」と感謝を伝えて去って行った。
サミュエルはアシェリーの背後で大きく息を吐いた。
「ありがとうな。アシェリー、おかげで助かった」
「いえ、良いのよ」
サミュエルは困ったように頬を掻く。
「町の治療師をもっと集められたら良かったんだけど、貧民街で魔力暴走が起きたって言ったら皆嫌な顔をしてさ。来てくれたのはじいちゃんの友達くらいだった」
貧民を治療しても治療費は取れずボランティアになるからだろう。それなら町で治療院を開き続ける方が利益になる、そう判断する治療師がいてもおかしくない。デーニックが来たのは彼が元々貴族で裕福だからという一面があるのは否定できないだろう。
「そう……」
アシェリーは顔をしかめた。
そこで初めてサミュエルの影に隠れて八歳くらいの男の子が立っていることに気付いた。タオルをかぶり、衣装はボロボロで悲しそうな目をしていた。
「あの、聖女のおねえさん」
その少年に声をかけられ、アシェリーはビックリする。
「ええっと、私は聖女ではないわよ。私は治療師」
少年は目をパチクリさせた。
「本当? でも皆、聖女様だって言ってたけど……」
首を傾げる少年の視線を合わせるためにアシェリーが身を屈めると護衛や町民がぎょっとした表情をした。王妃様、と窘めるような声も聞こえたがアシェリーは無視する。
少年はモジモジしながら言う。
「あの……みんなを助けてくれて、ありがとうございました。ぼくの魔力が暴走してしまって……みんなを殺してしまうところでした」
その瞬間ぽろりと少年の目から大きな涙がこぼれて、アシェリーはそっと少年の頭を撫でる。
「大丈夫よ。皆無事だったんだから、気に病まないで」
サミュエルが励ますように少年の背を叩いた。
「ほら、元気だせよ。皆大丈夫だったんだから。──妹の様子を見てやれ」
少年は首肯して離れて行った。
「……あの子が魔力暴走を?」
アシェリーの問いかけに、サミュエルが重々しい表情でうなずく。
「本来なら魔力暴走を起こすのは貴族だ。彼らは魔力量が多いからな。だが、まれにあの子のように平民なのに魔力が突出した子もいる。貧しい家の子供は治療費を払えないから制御できない魔力がまれに暴走してしまう」
魔力が高い平民の子供は貴族の庶子など訳ありなことも多い。どこかの貴族の目に留まれば平民でも引き取られることが多いのだが。
「あの子は俺が引き受けようと思う。心配しなくて良い」
サミュエルが力強くそう言ったので、アシェリーは安堵した。魔力暴走を起こしてしまえば、元のコミュニティに戻るのは難しくなってしまうから。
(──もしも魔力暴走が起きないようにできたら)
あのような可哀想な子供もいなくなる。
脳裏に浮かぶのはラルフと先日助けた侍女、クラウスの顔だ。魔力が高い者は怯えながら暮らしている。
(私がそばにいるからラルフが魔力暴走を起こしても危険は少ないと思っていたけれど……)
原作ではラルフが再び魔力暴走を起こすのは物語の終盤になってからだし、聖女がそばにいたから抑えられた。しかしストーリーの流れはもう変わってしまっていて聖女はそばにいない。
(もしかしたら私がラルフのそばにいられない時があるかもしれない。そんな時に魔力暴走を起こしたら……?)
それに他の者達だって魔力暴走の危険なんてあってはならないのだ。
(魔力暴走を止められないか……研究してみよう)
アシェリーはそう静かに決意した。
魔力暴走は体内を循環する魔力が何らかの原因──たとえば急激なストレス、あるいは生活習慣の悪化によって短時間で滞り、制御できなくなった力が暴発して体外に解き放たれるというものだ。
(つまりストレスを感じなければ……っていうのも難しいわよね)
アシェリーは王宮の書庫で魔力暴走についての書物を読みながら唸る。
(精神にかかる負荷を己で制御するのは難しい。けれど、どうにか普段の心の負担を軽くできないかしら……)
アシェリーはパラパラとページをめくる。
既に治療に関する書はほとんど読んでしまっていたため新しい発見などはないのだが、どこかに打開策はないか探した。
(暴走した時にそばに治療師がいれば良いんだけど……そう上手くいかないし。──あ、そうだ! アクセサリーとかに治療師の力を込めて持ち運ぶことができたら……)
何か原作でヒントとかなかったかしら、と頭を悩ませる。
「そうだ。そういえば続編で……」
ふいに原作の2巻を思い出した。1巻で切りが良いところまで終わっていたが、人気があったので続編が出たのだ。
その中で神官や巫女が護符や護石などに祈りを捧げると、気休め程度ではあるが多少の効果があるという設定があった。魔除けや守護などの御利益を求めて、商人や旅人、兵士や一般庶民でも護符や護石を使うことがある。
「確か2巻で『精霊の涙』という宝石があったはず。護符の力は一時的な軽いものだけど『精霊の涙』なら……?」
シュトバリアス地方にしか存在しない『精霊の涙』には魔力を閉じ込め、数倍にする力がある。
魔物が旅人を襲おうと口から火を放った時、旅人が『精霊の涙』をかざすと火が消え、次の瞬間には魔物に向かって何倍もの火が放たれたという伝説があるのだ。
(たしか2巻では聖女ヒロインが村人からもらった宝石に祈りを込めて、魔物を追い払っていたはず……なら治療師の力も閉じ込めることができるかも?)
しかし『精霊の涙』の存在は公にはされておらず、2巻ではたまたまヒロインが辺境伯領の森深くに入り込んだ時に原住民を助けたお礼に一つもらったのだ。
「とりあえず、ラルフに相談してみましょう」
そう思い、ラルフの元に向かったのだが──。
「難しいな」
ラルフは顔をしかめて、そう言った。
「俺は『精霊の涙』というのは初耳だが。アシェリーの望みならばできる限り協力してやりたいとは思っているが……その地域に住む精霊の民と呼ばれる少数民族は閉鎖的で、辺境伯や貴族達を毛嫌いしていると聞く。彼らが崇拝している宝石ならば、辺境伯に無理に命じて王都に運ばせることはできない。紛争の火種になる」
「それなら私が直接交渉にでかけることはできませんか?」
諦めきれずそう言うと、ラルフは顔をしかめた。
「それほど欲しいのか?」
「ええ。もしかしたら魔力暴走を抑える研究に使えるかもしれないので」
アシェリーが強い口調でそう言うと、ラルフはしばし黙考している。
「……ラルフ?」
不安になったアシェリーがそう呼びかけると、ラルフは笑顔で言った。
「分かった。それじゃあ新婚旅行も行ってなかったことだし、一緒に行こう」
「え? 一緒に行ってくださるんですか? でも政務は……」
ラルフがきてくれるのは嬉しいが彼は国王だ。一日二日で行ける距離ではないし、さすがに長期間も王都を開けるわけにはいかないだろう。
「大丈夫。俺には優秀な部下達もいるしな。それに……乗馬を教えた礼にデートもしてくれる約束だろう?」
茶目っ気たっぷりに話すラルフに赤くなるアシェリー。
「そっ、その話を今持ち出すなんて……!」
随分前の話だから、てっきりラルフはもう忘れてしまっているのかと思っていた。ずっと覚えていてくれたことに胸があたたかくなる。
ラルフは照れたように目を逸らしながら言う。
「急いで至急のものだけ済ませて行く。──たとえ俺や皆のためでも、一人で行くなんて言うな。俺とお前はもう離れられない存在なんだから」
アシェリーの頬がぽっと熱を帯びる。
「ラルフ……ありがとうございます」
(必ず彼のためにも魔力暴走を止める護石を作ろう)
そう改めて心に誓った。
ラルフはふいにアシェリーを抱きしめる。
「ラルフ?」
アシェリーは戸惑いながら彼の背に腕をまわした。
ラルフが片手で手を払うと、侍女達は丁寧に礼をして部屋から去っていく。人払いをしたのだ。
ラルフは小声で洩らす。
「じつは……クラウスが不審な動きをしている」
「クラウスが?」
「ああ、前にアシェリーがクラウスを探って欲しいと言っていただろう。だから俺の手下に調査させたんだ。そうしたらクラウスは密かに王室と距離をおいている貴族派の連中と懇意にしていた。それにヴィザル教の反総主教派の連中とも手紙でやり取りしている」
「それって……」
どちらも表立ってはラルフとは敵対──とまではいかないが、あまり友好的ではない相手だ。そんな人々と王弟であるクラウスが手を取る理由は一つしかない。
「おそらく王位簒奪しようとしているんだろう」
沈痛な表情でラルフはこぼす。
(そんな想像したくないけれど……)
状況からして、そうとしか思えない。
アシェリーは唇を噛んだ。
(こんなことになるなんて……)
ただクラウスの体調が心配だったから探ってもらっただけなのに、こんな実情が知れてしまうなんて思ってもみなかった。
「先日の神殿での事件──総主教の蒸発もクラウスが関わっている可能性が高い。もしかしたら元聖女アメリアの失踪にも関与しているかも……」
ラルフの言葉に、アシェリーは押し黙る。
(確かアメリアを探すためにクラウスが神殿を訪ねたのよね……)
そこで倒れていた神殿兵士達を見つけ、総主教の行方が分からないとクラウスから報告があった。状況的にクラウスが関係していると見て間違いないだろう。
「それならどうすれば……先程の話ですが、ラルフは王都を離れたら危険なのでは」
アシェリーが困り顔でそう言うと、ラルフは首を振る。
「あらかじめ情報を得られているならそうとも限らない。あいつを油断させるために俺はアシェリーと一緒に旅行に行こう。そして罠を張って、あいつを捕えるんだ」
寂しそうに微笑むラルフに、アシェリーの胸が痛くなる。
(本当にこんな方法しかないの……?)
アシェリーはそっと胸の上で拳を握りしめた。




