47.「……お前は、悪くない」
エーメリー夫人が目を見開く。ドロシーが彼女を見下ろす。
……今までにないほどに、冷たい目だと思った。
「私はあなたを助ける義理なんてない。もちろん、あなたの子供を助ける義理もない」
はっきりと告げられた言葉に、エーメリー夫人の目に絶望が宿ったのがわかった。
ここで止めるのが、人として正しいことなのだろう。ルーシャンにはそれがわかる。が、わかるからといって……するかどうかは、別問題だ。
(残念ながら、こちとらひねくれているんでな)
縋るように見つめてくるエーメリー夫人に気が付かないふりをする。
「ドロシー、こんなところで時間を潰している暇はない。……さっさと行くぞ」
ルーシャンの言葉に、ドロシーが頷いた。だからこそ、いつの間にか下りていたドロシーをもう一度馬に乗せて、自身も跨った。
「言っておきますけれど私、あなたのことを嫌っています」
トドメとばかりにドロシーがそう吐き捨てる。……それに関しては、ルーシャンは全面同意だ。
「だから、あなたのことなんて助けない。……私が助けるのは、クルトです」
「……は?」
「クルトがこれ以上苦しまないように。……私は、彼を助けるだけ」
ドロシーはそう告げると、ルーシャンに向かって「走らせて」という。
なので、ルーシャンはこくんと首を縦に振って馬を走らせた。
(本当に、わがままな妻だな)
元王子である自分に命令が出来るなんて、相当根性のある女に違いない。
……いや、そんなものもうずっと前から知っている。
「……ドロシー」
小道にかかって、ルーシャンは少しだけ馬のスピードを落とした。
全速力で走らせているときは、口を開くのは得策ではない。だが、今くらいのスピードならばいいだろう。
「なんですか」
「どうしてお前は、そこまでクルトを思うんだ」
聞かないほうがいいことは、頭の中ではわかっていた。かといって、心が納得できているわけではない。
「クルトのことを止めようと、奴を助けようと。……必死なのは、どうしてだ」
問いかけにすぐに言葉は返ってこなかった。……それでも、少しして彼女が口を開いたのが気配でわかる。
「責任、でしょうか」
「責任? なんの」
「……師匠としての、責任です」
ドロシーが目を伏せる。……もう少し聞いていたいと思って、なにも口を挟まなかった。
「弟子がやらかしたことの責任を取るのは、師匠の役目です」
「……そうか」
「それと、年上としての責任」
付け足された言葉。こちらのほうが、本心のような気がしてしまうのはどうしてなのか。
「クルトがなにかを抱えていることは、ずっとわかっていた。……それなのに、そこに深入りしなかった」
「ドロシー」
「弟子と師匠という関係を壊すのが怖かったんでしょうね。……私は彼の闇に足を踏み入れるのをためらった」
……こんな弱気な言葉を聞くのは意外だった。
ルーシャンの知るドロシーとは、いつも自信満々で堂々としている。強気な発言が多くて、素直になれない部分ばかり目立つ。
それ故に、こんな表情や態度は意外で驚きを感じる。
でも、それ以上に――愛おしいと思うのは、どうしてなのか。
(ドロシーのこんな弱いところを知れるのは、俺だけだという優越感だろうか)
初めて本気で好きになった。
煩わしい女という生き物の中ではレアな種類に入るであろう彼女。
ルーシャンの婚約者に選ばれた理由を、ルーシャンはよく知らない。
父のことだから、政治的な思惑があって彼女を選んだのだろう。……もしくは。
(――俺とドロシーの相性を、きちんと見ていたか)
ないと言い切れないのが、あの父の恐ろしいところだ。
考えがないように見えるのに、しっかりと考えている。未来を予想して、何手先だろうと手を打つ。
すぐに結果が出ないとわかっていても、彼は手を打つのだ。
――自身の立場を弁えているから。
(全く、この年になって父のすごさを再認識させられるとはな。……そして、兄の本心も)
パーシヴァルが悪者になろうとしたのは、父を見てきたからなのだろう。
自身が悪者になろうとも、弟の幸せを願っているのだ。……もちろん、言葉にはしていないが。
「……お前は、悪くない」
ぽつりと口から出た言葉に、ドロシーが驚いたように息を呑むのがわかる。
「なにも悪くない。……悪いのは、俺なんだろう」
「ルーシャンさま?」
「醜い嫉妬だった。……アイツを止めるのは俺の役目だったんだ」
きっと、クルトを止めるのは赤の他人であるルーシャンが適切だった。
自分が注意をしたりくぎを刺したりすれば、角が立たずに済む。ドロシーへの反感も買わずに済んだ。
「お前がクルトを支える以上、悪者は別の人間がするべきだった」
手に力が入ってしまう。
父や兄のような覚悟。それが、自分には全然足りていなかった。
「――だが、まだ手遅れじゃない。クルトを止めるぞ」
でも、まだ終わりじゃない。諦めの悪さだけは、父にも兄にも負けていない。もちろん――ドロシーにも。
「言われなくても、わかっています」
ドロシーの言葉に、大きく頷いた。そして――また、馬を走らせるスピードを速めた。




