46.「あ、あぁ、あなた、さまは……」
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ドロシーを連れて、ルーシャンは屋敷の玄関にやって来た。
そこには王城から連れて来た一頭の馬がいる。馬は、ルーシャンを見て身体をこすりつけて来た。
側にはダニエルがおり、馬を走らせる準備はしてくれているらしい。
(……さて、わがままな妻に付き合うか)
心の中だけでそう呟いて、ルーシャンはドロシーを馬に乗せて、自らも跨った。
(乗馬はあまり頻繁にはしていないが、いけるだろう)
兄などは、よく愛馬と共に遠乗りに出かけているが。こちらは元引きこもりである。そんな、兄と比べられては困ってしまう。
「ドロシー、しっかりと掴まっていろ」
ちらりとドロシーに視線を向けて、そう注意する。彼女はこくんと首を縦に振ってくれた。
「ルーシャンさま。あまり、無理はされませんように」
相変わらず口うるさいダニエルが、そう言ってくる。その言葉に肩をすくめて、ルーシャンは馬を走らせた。
初めは慣らすようにゆっくりと。馬のウォーミングアップと自身の感覚を取り戻す時間。それを終え、ルーシャンは馬を走らせるスピードを徐々に上げていく。
「……ドロシー、酔うなよ」
一応とばかりにそう告げれば、ドロシーは「だれが」といつも通りの強気の発言である。
相変わらず――と思いつつ、ルーシャンは前に視線を向ける。
「エーメリー男爵邸まで、どれくらいかかります?」
「そうだな。……全速力で飛ばして、十五分、くらいだな」
正直、クルトがいつからいなくなったかがわかっていない。だから、それでいいのか悪いのかも、わからない。
(できれば、先回り出来るのが理想だが……)
けど、さすがにそこまでは上手く行かないだろう。
そう判断しつつ、ルーシャンは手綱を握っていた。
(……俺は、何処までドロシーを詮索すれば、いいんだろうか)
頭の片隅で、そんなことを思ってしまった。
今はそんなことを考えないほうがいいというのは、わかっている。ただ、どうしても。自然と頭の中に浮かぶのだ。
(いや、今はとにかく。……あいつを、連れ戻すほうが先か)
ドロシーがなにを心配しているのか。それは、ルーシャンにも大体予想が出来た。だからこそ、ルーシャンはなにも言わずにドロシーに従っている。それ以上でも、それ以下でもない。
(全く、本当に手のかかる妻だな)
それでも、全然不快じゃない。
……違う。ちょっと、不快かもしれない。
ドロシーの頭の中がクルトでいっぱいになっていることが、不快だ。
自身の後ろにいるドロシーの顔を見る術はない。今、彼女がどんな表情をしているか――それを知れたら、きっと楽なのに。
心の中でそう思っていたとき。視線の先の先に、一人の女性が見えた。……目を凝らす。
(あれは、エーメリー夫人だろうか)
必死に何処かに逃れようとしている彼女。クルトとは血のつながりがないためか、まったく似ていない。
少し思考回路を動かしていると、ドロシーも彼女に気が付いたらしい。ぎゅっとルーシャンの衣服の袖を握る。
「止めてください」
彼女にそう言われて、ルーシャンはゆっくりと馬のスピードを落とした。
そして、先ほどから転がるように動いているエーメリー夫人の側にいく。
「……あ、あぁ、助けて、助けてください」
縋るような声でそう言われて、ルーシャンはすたりと馬を降りた。
見下ろす彼女は、ルーシャンの顔を見て……驚きの表情を浮かべた。
「あ、あぁ、あなた、さまは……」
がくがくと震えるその姿は、憐れみさえも覚えてしまう。
……きっと、彼女も知っていたのだ。クルトが、ハートフィールド侯爵家にいたということを。
「なにがあったのか、詳しく教えろ。……一つ言っておくが、嘘を言うことは許さない」
威圧的にそう告げれば、彼女はごくりと息を呑む。それから、震える唇を開いた。
「く、クルトが、クルトが突然現れて……なんらかの瓶を、投げつけて……」
「それで」
「そうしたら、なんだか息が苦しくなって、逃げようとして。なのに、身体に力が入らなくて……」
ちらりとドロシーに視線を送る。すると、彼女は「毒薬の一種ね」と言って肩をすくめていた。
「すぐに逃げたのならば、死ぬことはないわ。……ただ、長時間吸っていたら、別だけれど」
淡々とそう言う彼女に、エーメリー夫人は顔をさらに蒼くする。
「邸宅には、子供がいるの。……私の、可愛い娘と息子が……」
「……そう」
その言葉に返事をしたのは、ルーシャンではなくドロシーだった。彼女はそう呟くと、ルーシャンに視線を送る。
「お願いします、助けて、助けて……!」
ドロシーに縋ってくる彼女。咄嗟に、その手を振り払ってしまおうかと思った。
だって、その汚い手で触れてほしくなかったから。
「……言っておきますけれど、私、あなたの子供さんを助けるつもりはないですよ」
が、ドロシーがはっきりとそう言ったから。なんだか、胸の奥がすっとしたような感覚を、感じた。




