40.「まだ半分も行っていないのか」
葡萄のジュースが入ったグラスを、口に運ぶ。
酸味と甘みの丁度いいジュースだと思った。
(そういえば、お父さまがリンドバーグ伯爵領ではワイン生産が盛んだと、おっしゃっていたわね……)
ワインの原材料は葡萄である。ならば、葡萄のジュースが美味しいのもある意味納得だった。
(葡萄は種類によっては、薬に使うことが出来るのよね。けどまぁ、こういうのだとワインに使うのがほとんどだろうけれど……)
そう思いつつ、ジュースを味わう。
ふと視線を移動させれば、ルーシャンがこちらを見ていた。
自然と、眉間にしわを寄せる。
「なにか?」
怪訝そうにそう問いかければ、ルーシャンは「別に」と言ってグラスに口を付けた。
「……これは、案外美味いな」
「えぇ、そうですね」
なんだか、言葉を上手く交わせない。
パーティーホールに入ってからの出来事で、変に彼を意識しているような気がしてしまう。
「葡萄は、種類によっては薬にすることが可能です」
自分とルーシャンの間に流れる沈黙がなんだか苦しくて。ドロシーは、適当な話題を振ってみることにした。
「……そうなのか」
「はい。ただ、人の手で育てられる葡萄は、味のほうにこだわっています。なので、薬としての効力は薄いことが多いです。薬に使えるのは、いわば自生している野葡萄というやつです」
自然に育つ人の手が加わっていない葡萄。
そういうものは、昔からある。そして、先人はそれさえも薬にしてみせた。
「相変わらずだな」
ルーシャンが肩をすくめてそう言う。
正直、ドロシーもこれくらいしか話題を振れないことにちょっと落ち込んでいる。
もう少し、いい話題を提供するべきだったか。いや、けど。
(そもそも、話題を提供するのは男性の役目でしょうに)
社交の場で女性を楽しませるのは、男性の役目だ。だから、自分は悪くない。目の前のこの男が話題を振ってくれないのが悪い。
「相変わらずで、悪かったですね」
ため息をつきつつ、そう言ってみる。すると、ルーシャンがぐいっとグラスを傾けた。
そのままごくごくとジュースを飲み干して、ドロシーを見据えてくる。
「別に、悪いとは言っていないだろう。……俺は、そういうドロシーのほうが好ましい」
「……は?」
「薬師として、凛として生きているドロシーが好ましいと言っているんだ」
何度も言わせるな。
そんな声音で、まっすぐにぶつけられた言葉。理解できなくて、ドロシーは目をぱちぱちと瞬かせる。
「……頭、おかしくなりました?」
「なにを言っているんだ。俺は正常だ」
そういうけれど、やっぱり。なんだろうか。
(なんていうか、ルーシャンさま、最近おかしいような気がするのよね……)
ドロシーに「好ましい」というのも、なんだかちょっと引っ掛かる。
当初はあまり気にしていなかったが、ここまで続くと彼にもなにか企みがあるのでは……と思ってしまうのだ。
(そういえば、以前王城に呼び出されていたわね。それと、なにか関係が?)
しかし、ルーシャンはもう王族とはほぼ無関係のはずである。私生活にわざわざ口を出されるような立場ではないだろう。
(あぁ、なんだか本当に変だわ。……私も、ルーシャンさまも)
ちらりと彼の顔を見上げて、そう思う。じっと彼の目を見つめて、やっぱりいたたまれなくて逸らす。
何度かそれを繰り返していると、無性に面白くなってしまって。何故かドロシーは笑ってしまった。
「……なんだか、変ですよね」
自然と口からそんな言葉が零れる。
「私たち、なんだかまるで婚約したばかりの男女みたいです」
「……そうか?」
「えぇ、そうですよ。今の態度なんて、まさにそれだと思います」
……まぁ、それが本当なのかは知る術もないのだが。
「ここに来た当初、割と触れていたような気もするが?」
「だったとしても、そうです。……今の私たち、何処からどう見てもそうとしか見えませんよ」
口元を緩めて、笑いながらそう告げる。ルーシャンは、一瞬だけ目を見開いた。それでも、すぐに表情を緩めてくれる。
「それは、ドロシーが俺のことを嫌っていないということか?」
「どうして、そうなるのですか?」
「そりゃそうだろう。婚約したばかりの男女と言うことは、婚約は受け入れたということだろう」
別に、貴族の婚約に当人たちの意思は必要ない。だから、彼の言葉は間違っている。
わかる。わかるのだけれど。なんだか、それを指摘するのは違うような気がした。
「ま、そうかもしれませんね。……出逢った当初よりは、まだマシかと」
「十段階で言うと」
「二か三でしょうかね」
「まだ半分も行っていないのか」
そりゃそうだろう。そう思って彼を見つめて、どちらともなく笑ってしまった。
「当たり前です。……私、まだ。あなたさまのこと、よく知らないから」
知らないわけじゃない。知ろうとしてこなかっただけだ。
(それでも、そう言わせてほしい。……自分の気持ちを、理解できるまでは)
これはドロシーにとっていわば言い訳でしかない。
(本当は、もう。気が付いているのかもしれない)
ただ、もう少しだけ気が付いていないふりをしたいのだ。
――自分の変化に。




