38.「――だったとしても、紛れもない本心だからな」
伯爵邸のパーティーホールに、足を踏み入れる。瞬間、周囲の視線がドロシーとルーシャンに注がれた。
それに一瞬だけ眉を顰めながらも、ドロシーはよそ行きの笑みを浮かべる。
(……本当、煩わしい)
自分を見つめる男たちの目は、やはり気持ち悪い。対して、自分を見つめる女たちの目には、明らかな妬みがある。
どっちもどっちで、気分が悪いことこの上ない。
(そういえば、このお方は)
ふと思い立って、ルーシャンの表情を窺う。
彼はにこやかに笑っている風はない。かといって、仏頂面というわけでもない。ただ、周囲を注意深く観察しているようだった。
「なんだ?」
ルーシャンがドロシーの視線に気が付いてか、そう問いかけてくる。慌てて視線を逸らして、ゆるゆると首を横に振った。
「まぁ、いい。……行くぞ。とりあえず、挨拶をしなければ」
「……そう、ですね」
彼の言葉は正しいので、反対する意味もない。
そう思い、ドロシーはルーシャンに手を引かれたまま移動していく。
招待客たちは、波が割れるかのように左右に寄る。二人が通っていく道が、おのずと出来ていく。
(まるで、王族のようだわ)
心の中だけでそう呟いて、そういえばルーシャンは元王族だったと、思い直す。
相変わらず人々にとって『ルーシャン』は『ルーシャン・ネイピア』であり、第二王子なのだろう。
「……本当に、気に食わない人だわ」
ぼそっと小さくそう呟けば、自分の手を握られた。
驚いてそちらに視線を向ければ、ルーシャンがドロシーの手を握っている。
その美しい顔に映るのは、明らかに挑発しているような笑み。
「なにが、気に食わないんだ?」
彼のその笑みは、まるで物語の悪役のようだ。けど、不思議な魅力がある。
その証拠に、周囲の女性たちがぼうっとルーシャンに見惚れているのがわかる。でも、ドロシーはそうはいかない。
「いえ、別に」
「そんなことはないだろう」
「……その澄ました態度が、気に食わないと言っているだけですよ」
観念して、それっぽい理由をでっちあげた。
本当は、こんなことが理由ではないのに。
「そうか? 俺は別に、澄ましているつもりなんてない」
「……私には、そう見えますけれど」
ゆったりと歩く。二人は互いにだけ聞こえる程度の声量で、言葉をぶつけ合う。
「もしかしたらだが、ドロシーによく見られたいのかもな」
彼がそう零した。……ドロシーは一瞬だけ目を見開いて、口元を緩める。
「あなたさまには、この世で一番似合わないお言葉ですね」
厭味ったらしくそう伝えれば、彼が笑った。先ほどとは違う、優しそうな笑みだ。
まるで、視線の先にいる人間を、本当に愛おしいと思っているかのような――。
「――だったとしても、紛れもない本心だからな」
甘くはない。けど、冷たくもない。
真剣な声でそう告げられて、ドロシーの心臓が大きく高鳴る。
今まで感じたことのない感情に、頭が追い付かない。
「そ、そんなこと、私に言わないでくださいよ……」
前に進むことは止めない。だけど、顔を上げていられない。俯くことしか、出来ない。
「どうしてだ?」
「だって、ルーシャンさまにそう告げられたら喜ぶ人は、この世にたくさんいます。私みたいなのは――」
――少数派です。
そう言おうとしたのに。彼の手がふとドロシーの腰に回ってくるものだから。息を呑んでしまって、言葉の続きが紡げない。
「俺は別に、たくさんの女性に喜んでほしいわけではないんだがな」
彼が真剣な面持ちで、そう告げる。……心臓が、破裂しそうなほどにうるさい。
「それに、他の女性に好きになってもらっても、嬉しくない。俺自身が、本気で好いてほしいのはドロシーだけだ」
熱烈に告げられる言葉に、もう頭の中はヒート状態だった。
パニックで、頭から湯気が出そうになる。こういうとき、嫌でも冷静になる薬かなにかがあればいいのに――。
(それにしても、お顔が近い!)
自身の顔にルーシャンがぐっと顔を近づけてくる。視界いっぱいに広がる美しい顔に、もう目が回る。
(というか、なにこれ、ここは公衆の面前ですが!?)
公衆の面前でいちゃつく夫婦がいるだろうか? いや、いない。
一人で疑問を持って、一人で回答する。それほどまでに、頭が混乱して、目が回って――。
(――思考回路がショートしそう!)
そう思って、身の危険を感じて。ドロシーは、おぼつかない足取りでルーシャンの腕の中から抜け出す。
「こ、ここは、公衆の面前ですから!」
吐き捨てるようにそう言えば、ルーシャンが笑う。悲しそうな表情は、見えない。
「……別に、公衆の面前だろうがいいだろう。俺たちは夫婦だ」
「夫婦だったとしても、こんなところでいちゃつく男女がいてたまるもんですか!」
もうこの際、夫婦というところは訂正しないでおこう。そう思って、彼のことを睨みつけてみる。
彼は、くすくすと声を上げて笑っていた。その態度も、憎たらしい。
(食えない、憎たらしい、腹が立つ! 本当にこのルーシャンさまは――)
――意地の悪い性格の持ち主だわ!
頭の中だけでそう叫んで、ドロシーはただルーシャンを睨みつけ続けることしか出来なかった。




