9.「この間も言ったが、堅苦しい挨拶は必要ない。なんといっても、俺とドロシー嬢は夫婦だからね」
「ルーシャン殿下。本日はお会いしていただき、誠に――」
「この間も言ったが、堅苦しい挨拶は必要ない。なんと言っても、俺とドロシー嬢は夫婦だからね」
「……さようで、ございますね」
この間と同じようにダニエルに案内してもらい、この間と同じ部屋でドロシーはルーシャンと対面していた。ルーシャンの服装はとてもラフなものであり、着飾っているドロシーと並べば普通ならば見劣りしてしまうかもしれない。が、それでもしっかりと並べるのだから素晴らしい顔立ちである。そう思いながら、ルーシャンと初めて対面するリリーはルーシャンの予想以上の美貌に驚いていた。
(こ、このお方が美貌のひねくれ王子様……!)
心の中でそう唱えながら、リリーはダニエルに促されてお茶を淹れに向かう。ドロシーは妬ましい視線でリリーを見つめてくるものの、静かに一礼をしてドロシーの視線から逃れる。侍従は主の意見を尊重して動くのが仕事だが、それでも出来ないときは出来ない。ドロシーだって、それくらい分かっているはずなのだ。
「えっと……」
「あ、ドロシーお嬢様の専属侍女を務めております。リリーと申します」
「リリー、か。俺はダニエル。ルーシャン殿下の専属従者だ」
ダニエルの自己紹介を聞き、リリーはまた静かに一礼をした。ダニエルは王城の従者。侯爵家の侍女であるリリーよりも身分は上にあたる。ましてや、ダニエルは王子の専属従者という名誉な役割を持っているのだ。たかが侍女の自分では、勝ち目のない存在。
「……ところで、リリーはどうしてついてきた? ドロシー様一人でもよかっただろうに」
リリーがティーセットがしまってあるという場所をダニエルに教えてもらっていると、不意にダニエルはそんなことを口にした。リリーが驚いてダニエルを見つめれば、彼は苦笑を浮かべているようで。その容姿はルーシャンには遠く及ばないが、とても整っているようにも見えた。……彼も、大層モテるだろう。
「いえ、お嬢様直々の希望でして。お嬢様は大層男性が苦手です。なので、一人ではできれば行きたくないと……」
「そっか。あの二人はどうにもかなり拗らせているみたいだしな」
そう言ったダニエルは、リリーにお茶を淹れる指示を出した後、お茶菓子の準備に移った。ダニエルの用意しているお茶菓子を見つめながら、リリーは「この国では見たことのないものだなぁ」と思う。柔らかい綺麗な色合いだが、今まで見たことがないものだ。そのため、リリーは「これは?」と問いかけてしまう。
「これは、ちょっと離れた陽の帝国から仕入れた和菓子というもの……らしい。王妃様がよく召し上がっているものだが……」
「まぁ、王妃様が」
「あぁ、ルーシャン殿下が王妃様が懇意にされている商人から仕入れたものになる」
ダニエルはそう言いながら、その和菓子をお皿に盛りつけていく。こういう仕事は主に料理人の仕事なのだが、なんと言ってもルーシャンは大層な人嫌い。そのため、ダニエルは一通りのことならば何でもこなせるようになってしまった。
「俺も、食べたことはないから味は知らないけれどな。王妃様のおススメらしいし、ハズレではないと思う」
「でしたら、安心ですね」
リリーはティーポットを扱いながら、そんなことをぼやく。この国の王妃である、ルーシャンの母であるディアドラは大層な美食家である。というのも、ディアドラの生まれ育った国は『美と食の国』と呼ばれている国であり、ネイピア王国よりも調理技術などがかなり進んでいた。そんなディアドラの意見を取り入れたこともあり、ネイピア王国の調理技術もここ二十数年でかなり向上している。
「さて、リリー。俺はドロシー様の情報を最低限知っておきたいのだが……。少し、話を聞かせてくれるか?」
「え、えぇ、よろしいですが……それは、何のために?」
「茶や食の好みを知っておけば、これから迎え入れるときにいろいろと便利だからな。……正直、面倒かもしれないがここは主のためだと思って、頼む」
そんな風に軽く頭を下げてくるダニエルは、何処までも真面目なようだ。それが伝わったからこそ、リリーは「私でよければ」と言っていた。元より、リリーはドロシーが大好きである。ドロシーのためならば、自らの苦労など厭わないくらいには。
(ルーシャン殿下は気に入らないけれど、このダニエルさんはとてもいい人みたいね)
リリーは脳内でそう零しながら、淹れ終わったお茶をゆっくりとワゴンに載せる。その後、ダニエルが盛りつけた和菓子を隣に載せ、ゆっくりとワゴンを押していく。
「今回のお茶は、和菓子に会うと王妃様がおっしゃっていたものを用意しております。ドロシー様のお口に、合えばよろしいのですが」
ダニエルは一足先に主たちの元に向かい、和菓子とお茶の説明をしているようだ。そんなダニエルのことを少しばかり「頼もしい」と思いながら、リリーはワゴンを押すのだった。