33.「――ドロシーのことを、話していた。そういうことだ」
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ルーシャンとクルトが話しているとき。
ドロシーは部屋の扉の前にいた。というのも、商談の際に使うメモを忘れてしまい、それを取りに戻ってきたのだ。
扉を開けようとして、ふと中から話し声が聞こえてきた。その所為で、ドロシーは咄嗟に耳を澄ませてしまった。
(……なん、なのかしら)
耳を澄ませば、ルーシャンとクルトの話し声が聞こえてくる。
ドロシーの前では可愛らしい弟子であるクルトが、少し棘のある話し方をしている。
それもある意味驚きだったが、ルーシャンが。ほかでもない、あのルーシャンが。
(なんだか、意外なことをおっしゃっていたわ)
恋愛感情とか、なんとか……。
初めの頃ならば、彼になんと似合わない言葉だろうと思っただろう。
そして、迷惑だと突っぱねていた。
でも、今は。
(迷惑とは、思わない……の、か、しら?)
そこまでの嫌悪感は抱かない。
きょとんとしつつ、ドロシーは扉の前に立ち尽くす。
扉に背中を預けて、その場で自身の胸を押さえた。……少し駆け足な心臓が、嫌というほどに自分の戸惑いを教えてくるようだ。
(ちょっと、戸惑っているだけよ。えぇ、そう。……別に、深い意味はないのだから)
そう思うのに、顔に熱が溜まっているような気がしてしまう。
頬を必死に押さえて、熱を引かそうとする。
「さっさと、メモを取って戻らなくちゃいけないのに……」
商人を待たせているのだ。さっさと、戻らなくちゃ。
その気持ちは強い。頭の中の九割を占めているほどだ。
でも、動けない。その場に足が縫い付けられたかのように、動けない。
(……ど、どう、すれば)
あのとき、さっさと扉を開けていれば――と、後悔しても遅い。
ドロシーがその場で立ち尽くしていれば、ふと室内から足音が聞こえて来た。その足音は、扉のほうに近づいてくる。
慌てて、扉から離れる。そして、こほんと咳ばらいをして誤魔化そうとした。
「……あれ、ドロシーさん?」
扉が開いて、クルトが顔を覗かせる。
なので、ドロシーは苦笑を浮かべて肩をすくめた。
……誤魔化さなくては、ならない。
「商談、済んだのですか?」
「う、ううん、単に、忘れ物しちゃって、今、取りに来たの……」
明かに狼狽えている人間の言葉だった。あと、声が震えている。
それを理解しつつ、ドロシーは頬を引きつらせていた。クルトは、特になにも言わない。
「そうなのですね。……僕、少し、部屋に戻ります」
「そ、そう。……いってらっしゃい……」
普段だったら絶対にこんなこと言わない。
それはわかっているのに、ついつい言葉を口にしてしまう。
でも、まだ付き合いの浅いクルトには、そこまで違和感を持たれなかったらしい。彼が、「失礼します」と言ってドロシーの隣を通り抜けた。
「な、なんとか、誤魔化せた……?」
小さくそう呟けば、すぐ近くから「なにをだ」という声が聞こえて来た。
……恐る恐る、顔を上げる。すぐそばに、ルーシャンが立っている。
「……様子がおかしいと思えば」
「べ、別に、様子なんて……」
視線を逸らした。明らかに、動揺している人間の仕草だ。
わかる。わかるのに、パニックになった頭はそこまで考えが至らない。
「明らかに動揺している人間の動きだろうに。……忘れ物取って、戻るんだろう」
ルーシャンがそう言って扉を大きく開く。……誤魔化すように、ドロシーは彼のすぐ隣を通り抜けた。
そのまま書き物用の机の引き出しを開けて、いくつかのメモを取り出す。その中から必要なメモを取り出して、上着のポケットに入れた。
「見つかったのか」
すぐ後ろから、そう問いかけられた。なので、ドロシーはこくんと首を縦に振る。
「そうか。じゃあ、さっさと戻ったほうがいい。商人は、面倒な奴が多いからな」
彼はそれだけを言って、ドロシーの側から離れていく。……なんだか、少しだけ。不思議な感覚だった。
「……あの、ルーシャンさま」
そっと彼のことを呼べば、彼がドロシーに視線を向けてくる。意を決して、口を開いた。
「その。……先ほど、クルトとなにをお話していたのですか?」
ぎゅっと手を握って、そう続けた。彼は驚いた表情一つ、見せなかった。
「別に、大したことじゃない。……あえて言うのならば、そうだな」
「あえて、言うのならば?」
「――ドロシーのことを、話していた。そういうことだ」
ルーシャンがそれだけを言って、ソファーのほうへと戻る。
心臓がうるさい。……絶対、気のせいじゃない。
(そ、そういうの、意味、わからないからっ……!)
微かに聞こえて来た言葉から、多分彼はそれとなくクルトをけん制していたのだろう。
それがわかるからこそ、戸惑うしかない。もう、おかしくなりそうだった。
「……また、後で」
小さくそう呟けば、ルーシャンが「あぁ」と返してくれた。
すたすたと早足で、商談の場に戻る。……顔の熱は、引かない。
(なん、なのかしら。……私、変)
今までにない感情、気持ち。それらすべてが――未知の存在に、思えてしまう。
その所為なのだろう。――こんなにも、心がかき乱されるのは。




