28.「そうか。今回は見逃してくれるのか。案外、優しいな」
「最近といえば、一つだろう」
ルーシャンがさも当然とばかりにそう言う。なので、ドロシーは考える。……最近、最近。
「あの、勘違いだったら、悪いのですが」
「あぁ」
「え、と。私の影響……とか、でしょうか?」
ドロシーはとても本を読む。とはいっても、その大半は薬学の専門書や、薬草の図鑑だ。
でも、それ以外のものを読むこともある。たとえば、医学の専門書など……。
少し引きつった笑みを浮かべて、そう問いかける。ルーシャンは「それしかないだろ」と不貞腐れたように返事をした。
(確かに、薬学の専門書を読んでいらっしゃったけれど……)
けれど、まさかそれがドロシーの影響だなんて……と思ったが。彼の回りにいる人間で、ここまで薬学に没頭しているのはドロシーしかいない。絶対にドロシーの影響だ。それ以外、考えられない。
「ドロシーがあまりにも楽しそうに薬学に没頭するから、気になった」
「……そ、そうです、か」
「あとは……そうだな。まぁ、あえて言うのならば俺が薬学の知識を身につければ、話が合うだろ?」
さも当然のように彼が発した言葉に、ドロシーは目を瞬かせてしまった。
「え……あの、ルーシャンさま」
「なんだ」
「人にお話を合わせようとするところがあるなんて、意外です……!」
ついつい思ったことが自然と口から零れてしまった。その言葉を聞いたためか、ルーシャンはドロシーのほうに手を伸ばす。
そして、その額をはたいた。ぺちりと音がする。だけど、痛くはない。
「少なくとも、俺にもそういうところはある」
「へぇ」
「ま、今まではそうする必要もなかったがな」
窓を見つめつつ、ルーシャンがそうぼやいた。その姿が、なんだか物悲しげで。不覚にも、心臓が大きく音を鳴らしてしまう。
「それに、勉強してみれば案外面白い。領主としての勉強の合間の、気分転換にはなるだろう」
さも当然のようにそう言われて、今度はなんとも言えない感情が湧き上がってきた。
だって、彼は――。
(ハートフィールド侯爵になろうと、覚悟を決められている……)
対するドロシーは、どうだろうか。両親の言葉が、頭の中に蘇ってくる。
彼と向き合え。何故ならば、彼が向き合おうとしてくれているのだから。
両親はドロシーにそう言った。今思えば、わかる。……そう言うのは、当然だ。
(私は、どうにも身勝手なところがあるのよね……)
一人娘として存分に甘やかされてきた自覚はある。両親はなんでも買い与えてくれたし、お願いをすれば大体のことは叶えてくれた。
成長するにつれ、普通の令嬢の枠からは大きく離れてしまった。それでも、愛想を尽かさずに優しくしてくれる。
(王子殿下と離縁する。……そういうの、一般的な親だったら止めるわ)
なのに、両親はすぐに止めなかった。ドロシーの幸せを一番として、幸せになれないのならば構わないと思ってくれていた。
……今更、両親の気遣いに気が付く。本当に、遅すぎる。
「……あの、ルーシャンさま」
「なんだ」
そっと顔を上げて彼に声をかける。彼は、きょとんとした表情を浮かべていた。その表情も、大層美しい。
「ルーシャンさまって、ひねくれてますよね」
「今更なんだ」
眉間にしわを寄せて、彼がそう返してくる。
彼がそういう反応を示すのも、当然だった。ドロシーはルーシャンのことを、散々「ひねくれている」と称していたのだから。
「……けど、なんでしょうか。変なところは真面目っていうか」
ひねくれているのに変なところで真面目だ。ドロシーの両親との関係も、いいものを築こうとしてくれている。
「結局、私も意地を張るなっていうことなのでしょうね」
小さくため息を零して、ドロシーはルーシャンを見つめる。彼の醸し出す視線と、ドロシーの視線が絡み合う。
「これは、第一ステップです。いいですか? 第一です」
「最終は?」
「未定です」
最後のステップが、一体どれだけの数字になるかはわからない。そりゃそうだ。
今日明日で気持ちが変わるのならば。人間の気持ちなど、あてにはならないだろうから。
「……私も、少し……うん、少し。こう……少し。計量カップで言うと一番小さいの……」
「回りくどい。結局微量ということだろう」
「そう、でしょうね。あ、でも、もう少し多いかも……」
「それはもういい。さっさと言え」
呆れたような態度で、ルーシャンが言葉を促す。
その所為で少しだけ言葉に詰まりつつ、ドロシーは口を開いた。
「……ま、私も、少しだけは……向き合ってみようかと」
「なにに」
「ルーシャンさまに決まっていますよね!?」
むしろ、他になにと向き合えというのだ。他に向き合う必要があるものなど……。
(あえていうのならば、納期……)
うん、今は、これは考えない方向で行こう。
その一心で、ドロシーはぶんぶんと頭を横に振る。
「あぁ、冗談だ。……からかったら面白そうだから、からかってみた」
「本当に性格が悪い人ですよね!」
彼以上に性格の悪い人間がいるのならば、今目の前に連れて来い!
……という感情を押しとどめ、ドロシーはルーシャンの目を見つめた。……心臓が、駆け足になる。
「そういう態度を取られましたら、今後点数をマイナスにします!」
「そうか。今回は見逃してくれるのか。案外、優しいな」
「っ!」
なんだか、このまま軽口をたたき合っていても、永遠に終わらない気がする。
そう思って、ドロシーはまた項垂れた。




