23.「――本当、恋ってままならないんだな」
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「ふぅ」
ドロシーが出て行った後、ルーシャンはソファーに身体を預ける。
それからしばらくして、部屋の扉がノックされた。どうせ、今来るのなんて一人しかいない。
「いいよ」
端的に返事をすれば、扉が開いて予想通りダニエルが顔をのぞかせる。
彼はルーシャンを見つめ露骨にため息をついた。
「それが主に対する態度か?」
少し口元を歪めながらそう問いかければ、ダニエルは「失礼いたしました」という。が、その声にはちっとも反省の色は宿っていない。ただ、形式的に謝っただけだ。それくらい、ルーシャンだってわかる。
「無礼を承知のうえで、一つお尋ねさせていただきます」
ルーシャンがなにも返さないのをいいことに、ダニエルがそう言ってくる。……ルーシャンは、これにもなにも返さなかった。
「先ほど、ドロシー様が全速力で駆け抜けていきました。……ルーシャン様が、なにかをされたのでは?」
この従者は普段は鈍いくせに。こういうときには、鋭いのか。
(いや、それくらい馬鹿でもわかる)
鈍いとか鈍くないとか。そういう問題じゃないな。そこまで思うと、口元に苦笑が浮かぶ。
「さぁ? 俺は別になにもしてないよ」
「嘘をつかないでください」
ダニエルがルーシャンの言葉を切り捨てる。それに、ほんの少しの驚き。そして、微かに感じる安心。
……この従者は、自分のことをとてもよくわかってくれている。それに対する、安心が芽生えた。
「なにが、そう思う理由?」
でも、そんなこと絶対に死んでも言ってやらない。
心の中だけでそう呟いて、ルーシャンはちらりとダニエルを見つめた。ダニエルは、ため息をつく。
「なんでしょうね。……ルーシャン様が、珍しい表情をされているから、でございましょうか」
「珍しい表情?」
「えぇ、なにもかもに退屈し、人生に飽きていたあなたさまが……そんな、照れたような表情をなさるなんて」
「お前にはなにが見えているんだ」
ルーシャンは照れているつもりなんてない。ついに、ダニエルは幻覚でも見始めたのだろうか?
「そもそも、ドロシー様と出逢われてから、ルーシャン様は変わられました」
「それは、何度も何度も聞いた。聞き飽きるくらい、聞いた」
「その悪態も、なんだか覇気が出てきましたよね」
もう、なにも返せそうにない。このダニエルという男は、ルーシャンよりも『ルーシャン・ネイピア』……いや、『ルーシャン・ハートフィールド』という男を理解している。
これじゃあまるで、自分が自分を理解できていないみたいじゃないか。
(いや、それで間違いない。俺は、ドロシーへの気持ちを、いまいち理解できていない)
多分、自分の中にある感情は『恋』とか『愛』とか。そういうきれいな言葉で表せるようなものじゃない。
もっとどろどろとしていて、執着心を帯びたおぞましい感情にも似ている。
もしも『愛』で人が殺せるのならば。きっと、ルーシャンの中にある感情は致死量に達している。
(俺自身を蝕むだけでは飽き足らず、他者まで蝕もうとしている)
そんなもの褒められたものじゃない。ないほうがずっといい。
そう思う気持ちもあるはずなのに。
「……なにも、わからないんだろうな」
口から小さく言葉が漏れた。ダニエルが、黙ってルーシャンの言葉に耳を傾けている。
「本当に、なにもわからない。ドロシーとどうなりたいのか、俺自身がどうしたいのか。本当のところは、なにもわかっていない」
「……ルーシャン様」
「理解したように振る舞って、自分の気持ちを飼いならしている風を装っているだけだ。……本当の俺は、この感情に振り回されている」
感情に振り回されているから、自分じゃ絶対にしないような行動も繰り返している。そう考えれば、きれいにつじつまが合う。
「俺の気持ちは、恋とか愛とか。そういうお綺麗なものじゃない。ドロドロした、粘着質なものだ」
「……そう、でございますか」
「本当、最近理解したことがある」
ドロシーと出逢わなければ、こんな感情知る由もなかった。
こんな気持ちに、なることもなかった。それだけは、わかる。
「――本当、恋ってままならないんだな」
小さく呟いたその言葉は、ダニエルに聞こえていたのか、聞こえていなかったのか。
それは――ルーシャンには、わからない。




