18.「だとしても、だ。今はまだ、俺だから」
「とまぁ、こんな感じで弟子を取ることになりました」
目の前のソファーに腰掛けるルーシャンに視線を送りつつ、ドロシーはなんてことない風にそう言う。彼は何処となく不機嫌そうにソファーの肘置きを指先でつついていた。
「……男が苦手だったんじゃないのか?」
しばらくして、ルーシャンがそう問いかけてくる。確かにドロシーは男性という生き物が苦手だ。けれど、クルトは違うような気がしたのだ。なんだろうか、上手く言葉には出来ないけれど……。
「なんでしょうね、クルトは、男性というよりも……弟、みたいな?」
彼の目の奥には欲なんてちっともこもっていなかった。ただ純粋に、ドロシーの薬師としての腕に惚れこんだような言動と態度だった。だから、まだマシなのだろう。
「あと、住む場所もないみたいだったので、屋敷に居候することになりました」
「……は?」
「簡単に言えば、住み込みの弟子です」
紅茶の入ったカップを口に運びつつ、ドロシーは淡々とそう告げた。
別にドロシーに他意はない。それに、両親にはすでに許可を取っていた。あとは、ルーシャンに報告すれば終わり。
「って言っても、別に主一家と関わることはないので。……ルーシャン様には、関係ないです」
ゆるゆると首を横に振ってそう言えば、ルーシャンが露骨にため息をついたのがわかった。……かと思えば、彼は自身の後ろに控えていたダニエルに視線を送る。
ダニエルはなにかを悟ったらしく深々と頭を下げる。かと思えば、今度はドロシーの後ろにいるリリーに視線を向けた。
「俺たちは、退室させていただきます」
「……え?」
彼のいきなりの言葉に、ドロシーが素っ頓狂な声を上げた。大きく目を見開き、リリーに視線を送る。
リリーにはダニエルの言葉の意味がわかったらしい。彼女は「私も、失礼させていただきますね」と目を伏せて言う。
「……い、いや、あの……」
「夫婦水入らずで、お話してくださいませ。……俺は、部屋の前におります。なにかあれば、お呼びください」
夫婦水入らずで過ごすような関係ではないだろう!
そう言いたいのに、ダニエルとリリーがさっさと出て行ってしまうから。……ドロシーはなにも言えずじまいだった。
「……ドロシー」
ルーシャンがドロシーの名前を呼ぶ。その声は不機嫌さを隠しておらず、明らかに怒っている。
怒らせるようなことをした覚えなんて、ないのに。
(王太子殿下に呼び出されて、なにか嫌なことでも言われたのかしら……?)
だから、今の彼は虫の居所が悪いのかもしれない。
そう思って息を呑んでいれば、彼がドロシーに視線を送ってきた。その目は、やはり怒っている。
「別に、俺はドロシーを束縛したいとか、思ってないから」
「……え、えぇっと」
彼は一体なにを言っているのだろうか?
混乱してきょとんとしていれば、彼はおもむろに立ち上がってドロシーの隣に移動してきた。
……本当に恐ろしいほどに整った美貌を持つ男だと思う。もちろん、自分も負けてはいないが。
「けど、今回のことはさすがにないんじゃない?」
責めるような声音と口調だった。……どうして、彼に責められなきゃならないんだ。
(私は、ただクルトの熱意に負けただけじゃない……!)
そもそも、薬師としての知識をほかの人間に与えるのだって、大切なことだ。ドロシーには薬師としてのプライドがある。矜持がある。後継者の育成にも力を入れる必要がある。
「ルーシャン様。なにを、おっしゃっておりますの?」
「誤魔化さないで。……とぼけても無駄だから」
……とぼけているつもりなんてない。だって、自分は。薬師としては正しいことをしたのだから。
(クルトは今までにないタイプだった。……だから、仕方がないじゃない)
今までの弟子志願者とは全然違う。物珍しさとかも、あったのかもしれない。だけど、一番は。
――彼が、真剣にポーションをはじめとした薬に向き合っているとわかったからだ。
「ルーシャン様には、関係ないじゃないですか」
「関係あるでしょ」
当たり前のことを言ったはずだった。なのに、ルーシャンはドロシーの言葉を一蹴してしまう。
彼の目を見つめる。美しい宝石のような目。けれど、その目が今は何処となく怖く見えてしまった。恐怖心を、与えてくる。
(こんなの……)
視線を下げる。ぎゅっと膝の上で握った手を見つめていれば、ルーシャンがため息をついたのがわかった。
「そもそも、ドロシーの夫は誰? 俺でしょ?」
「……離縁前提、じゃないですか」
「だとしても、だ。今はまだ、俺だから」
怒りを孕んだ声でそう言われて、ドロシーは身を縮めてしまった。
どうすればいいかがわからない。なんと返せばいいかがわからない。視線を彷徨わせて、いたたまれなくなる。
「……本当、悩んでる俺がバカみたいだ」
ルーシャンが小さくなにかを呟いたのが、わかった。ハッとして顔を上げる。……口づけできそうなほどに近い距離に、ルーシャンの顔がある。
「本当、お前は鈍い。……鈍すぎて、鈍すぎて。頭から食べられても気が付かないんじゃないかって、思う」
……でも、それはさすがにないだろう。




