15.「王太子権限で命ずる。……ルーシャン・ハートフィールドとドロシー・ハートフィールドを離縁させる」
それからしばらくして、ルーシャンは兄であり王太子であるパーシヴァルの執務室の前に立っていた。
ルーシャンの兄パーシヴァルは、王太子としてよく公務に当たっている。王子でありつつもルーシャンが引きこもりを続けられていたのは、この兄の存在が大きい。兄が大体の仕事を肩代わりしてくれていたので、堂々と引きこもれていただけなのだ。
扉をノックして、声をかける。すると、奥から「いいぞ」という声が聞こえてきた。なので、ルーシャンは扉を開ける。
「失礼いたします」
今は兄弟としてではなく、王太子と侯爵家の跡取りとして対面している。だからこそ、ルーシャンは丁寧な言葉を使う。深々と頭を下げれば、パーシヴァルが笑ったような声が聞こえてきた。
「お前がそういう風にするのは、なんというか気持ち悪いな」
「……兄上」
ジト目になりつつ兄を見つめれば、彼は「冗談だ」と言いながら両手を挙げる。
多少なりとも俺様で真面目なパーシヴァルではあるが、家族の前ではこういう冗談を言ったりもする。……どうやら、パーシヴァルにとってルーシャンはまだ『家族』の部類らしい。自然と、胸をなでおろす。
「まぁ、いい。……こっちに来い」
パーシヴァルの言葉に、ルーシャンは逆らうことなく歩いていく。執務椅子に腰かけるパーシヴァルの前に立てば、彼は口元を緩めた。
「なんだろう。……立派になったような気がするな」
彼はそう言うが、ほんの少し前まで毎日のように会っていたような関係なのだ。そんなすぐに立派になるわけがない。
「兄上、冗談はよしてください」
端的にそう告げると、パーシヴァルはやれやれとばかりに首を横に振った。かと思えば、ルーシャンを見据える。
「お前は本当に成長したな。……妻であるドロシー・ハートフィールドとやらのおかげか?」
わざとらしく声をかけられて、ルーシャンが言葉を詰まらせる。この兄は、鋭い。だから、誤魔化すことは得策じゃない。むしろ、誤魔化しなんて通用しない。……そういうところは、母に似ているのだろう。
「ええ、まぁ」
眉をひそめてそう言葉を返せば、パーシヴァルは「そうか」と言葉を返してきた。まるで、興味のなさそうな言動だ。……だったら聞くな。頭の中にそんな考えが思い浮かぶ。
「まぁ、ルーシャンが変わったことは喜ばしいな。……あのままでは、王族として公務に出ることなど一生なかっただろう」
ゆるゆると首を横に振りながら、パーシヴァルがそう言う。
一見正しくも聞こえるその言葉。が、ルーシャンからすれば間違っている。
だって――ルーシャンはもう、王族として公務に出ることはないのだから。
「兄上、俺はもう王家から籍を抜きました。なので、公務に出ることは今後一生ありません」
今の自分は、ルーシャン・ネイピアじゃない。ルーシャン・ハートフィールドだ。
そういう意味を込めてパーシヴァルを見つめれば、彼は笑っていた。……それはそれは、いい笑みで。
「さぁ、それはどうだろうか」
「……は?」
彼は一体、なにを言っているのか。ちっとも、理解できない。
「お前が王家に籍を戻すことも、あるかもしれない。……その可能性を、示しているだけだ」
自然と唇を噛んだ。パーシヴァルは、ルーシャンとドロシーが離縁する可能性を示しているのだ。
(本当、人が悪い)
ルーシャンが離縁したくないと言ったところで、ドロシーを惚れさせることが出来なければ離縁となってしまう。
兄は、その可能性を示しているのだろう。そう、思っていたのに。
「今、父上は他国に視察に出ている。……この意味が、わかるか?」
手を組んで、その上に顎を置いて。パーシヴァルがそう問いかけてくる。
……その、意味。
「兄上が、実質この国の権力者ということでしょうか?」
国王不在の今、王太子がこの国の権力を握っている。彼はそう言いたいのだろう。
「当たりだ。……つまり、今ならば俺は権力を振りかざせるということだ」
兄らしくない言葉だ。自然とそう思う。
だって、そうじゃないか。パーシヴァルは日々王太子として民たちを優先してきた。歴代で最も良き王と呼ばれる父の背中を見つめ、憧れてきたのは彼なのだから。
「……ご冗談を」
ゆるゆると首を横に振りながらそう言えば、パーシヴァルは「そうだな」と言葉をくれる。
……胸騒ぎがした。
「確かに、俺は民たちに権力を振りかざすつもりは毛頭ない。ただ、それが弟に適用されるかは、別問題だ」
「……っつ」
冷や汗が背中を伝った。つまり、兄は。パーシヴァルという人間は。
「王太子権限で命ずる。……ルーシャン・ハートフィールドとドロシー・ハートフィールドを離縁させる」
……なんなのだろうか、それは。
(そんなこと、兄上が決める筋合いなどないだろうに)
心の中で悪態をつく。……が、口には出せなかった。




