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10.「もう、逃がしませんからね」

 それから数時間後。ドロシーはハートフィールド侯爵家の食堂にいた。


 ルーシャンの持ってきた荷物の搬入も大体終わり、今日はルーシャンの歓迎の意味も込めて豪勢な夕食を用意するということだった。


 その予定通り、今日の夕食は普段よりもずっと豪勢だ。元々あまり贅沢を好まないハートフィールド侯爵家だが、この日ばかりは両親もはりきっているようで。


(お肉料理が五品。お魚料理は……六品というところかしら)


 晩餐用のテーブルに並んだ料理を数えながらドロシーは自身の頬が引きつるのを実感した。


 ……娘婿が来ただけなのに。


 一瞬そう思ったが、ルーシャンは元王子殿下。これくらい当然なのだろう。


「お口に合えば、よろしいのですが……」


 ハートフィールド侯爵家の専属料理人が震えるような声でそう言う。


 彼は普段は自信満々に料理を出してくるのだが、今日ばかりはかなり緊張しているらしい。


 ちなみに、ドロシーは自信家な彼のことを気に入っていた。自信家である以上に、その自信に見合った腕を持っているためだ。


 そんなことを考えていれば、みながゆっくりと食事を始めた。そのため、ドロシーも食事を口に運ぶ。


 ……うん、いつも通り美味しい。


 そう思い頬を緩め対面に座るルーシャンに視線を向ける。……彼の食事の仕草はとても美しい。さすがは王子の生まれというべきか。


「……うん、美味しい」


 その後、ルーシャンがにっこりと笑って料理人にそう声をかける。


 すると、料理人の彼はほっと息を吐いていた。どうやら、彼はドロシーの想像する数倍緊張していたようだ。


(美味しいのは当然よね)


 しかし、心の中でドロシーはそんなことを零す。


 ハートフィールド侯爵家はかなりの名門家系。そんな家系に仕えている料理人の腕が悪いわけがない。


 そう思うが、人には好みがある。もしもルーシャンの好みに合わなかったら……と考えるだけで、料理人ならば冷や汗ものだろう。


「ルーシャン様」


 黙々と食事を進めていれば、ふとに父がルーシャンのことを呼ぶ。


 その言葉に反応するようにルーシャンが顔を上げれば、父は「実は、敷地内に別邸を建てることにしました」と声をかけていた。


 ……別邸。


 父のそんな言葉にドロシーの頬が引きつるのがわかる。


「……そうなのですか」

「えぇ、私たちもまだまだ現役。隠居はまだ早いと考えております。ですが、せっかく新婚なのですから、義理の両親に遠慮せずに過ごしたいでしょうから」


 それはドロシーにとってははた迷惑なことでしかない。


 けれど、ルーシャンは人の好きそうな笑みを浮かべて「ありがとうございます」という。……まったく、本当に外面は良い。


「別邸の建築にはもう少し時間がかかりますが……」

「いえ、お気遣いありがとうございます」


(お気遣いありがとうございますじゃないです~!)


 ルーシャンからすればそれは嬉しいことなのかもしれない。だが、ドロシーからすればはた迷惑なことでしかない。


 調合室に薬草園。それにつられた自分がバカだったと思ってしまうほどだ。


「まぁ、とにかく。娘のことをよろしくお願いいたします」

「はい」


 ルーシャンと父の和やかな会話が耳に届く。それを誤魔化すようにドロシーがパンをちぎって口に運べば、不意に母が「ドロシー」と呼んでくる。なので、そちらにドロシーは視線を向ける。


「貴女にも、そろそろ夫人としての教育をせねばなりませんね」


 母はにっこりと笑ってそう言う。……夫人としての教育。今まではのらりくらりと躱してきたが、ルーシャンがこちらに来てしまった以上、もう躱すことは出来そうにない。


「……えぇっと」


 その言葉に眉を下げていれば、母は「ルーシャン様も……ほら、次期侯爵として頑張ってくださるようですもの」と頬に手を当てながらそう言う。助けを求めるようにルーシャンに視線を向ければ、彼はにこやかな笑みを浮かべ「頑張りますね」とよそ行きの口調で言う。


(何よ、本当に外面だけはいいんだからっ!)


 ひねくれ王子の名が廃るぞ。


 心の中でそう思うが、ルーシャンとて義理の両親にはよく思われたいのだろう。


 それがわかるからこそ、ドロシーも強くは言えない。


「……えぇっと、夫人教育、とはいっても」


 ドロシーだって貴族の娘。お嬢様教育は受けてきた。


 しかし、夫人教育とはまた違うものだ。あえて言うのならば、そう。お嬢様教育がグレードアップしたもの。それが一番しっくりくる言い方だろうか。


「本当ならば、貴女は跡取り娘だからもっと早くにしていてもよかったのですけれどね」


 母のその言葉がドロシーの胸にグサッと突き刺さる。


 嫁入りする娘ならば、相手の家に嫁いでから始めるのが夫人教育だ。けれど、ドロシーは違った。跡取り娘で一人娘。……今まで、時間はたっぷりとあった。


「……えぇっと、私は」

「もう、逃がしませんからね」


 うんうんと頷きながらそう言う母に、もう何も言えなかった。


 ……逃がしてくれるつもりは一切ない。挙句の果てに――。


(ルーシャン様にも、離縁の意思がないものね……)


 もう詰みかもしれない。


 そんなことを考えながら、ドロシーは食事をするルーシャンの顔を見つめる。……大層、美形だった。

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