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9.「俺から、逃げないで」

「そりゃあ、俺だってひねくれている自覚はあるよ。でも、妻にそう言われるとちょっと傷つくかなぁ」


 肩をすくめながら、ルーシャンはわざとらしくそんなことを言う。


 それを見て、ドロシーは視線をそっと逸らした。……そもそも、何故彼がここにいる。


 そう思いドロシーが「ど、ど、どうして……」と口ごもりながら問いかければ、彼は「俺は邪魔だからね」と言いながらドロシーの対面に腰を下ろす。


「ある程度引っ越し作業が終わるまで、やることがないからさ。……ドロシーの様子でも見てこようと思って」


 ルーシャンはそういう。そして「……でも、そこまで嫌われているとは思わなかったなぁ」とわざとらしく続ける。


 ……これは、ドロシーのことをからかおうとしているだけだ。そう、だから、良心が痛むわけがない。痛ませる意味もない。


 そんなことを思うのに、ドロシーは「……よ、様子を見なくてもいいです!」と頓珍漢なことを言う。


 すると、彼は「どうせだし、妻と一緒にお茶でもと思ってさ」と言ってリリーに指示を出す。


 リリーはドロシーの侍女である。しかし、彼女もさすがにルーシャンには逆らえないのか「承知いたしました」と言い一礼をしてルーシャンの分のお茶を淹れに行ってしまう。


 ……残されたのは、ドロシーとルーシャン。


「……一体、何のつもりですか」


 ドロシーは二人きりになった途端そんな言葉をぶつけた。


「何のつもり、とは?」

「しらばっくれないでくださいませ。……ルーシャン様のことですから、やることがないなんて嘘なのでしょう?」


 まっすぐにルーシャンのことを見つめてそう言えば、彼は「そうだね」とあっけらかんと認めた。


「俺はそこら辺の貴族じゃないし、ある程度のことは自分でするよ。そういう風に、しつけられてきたからね」

「では、どうして……」

「ドロシーに会いたいからって言ったら、信じてくれる?」


 にっこりと笑ってそう言われ、ドロシーは「……いいえ」と俯きがちに答える。


 最近ルーシャンはおかしい。ドロシーにぐいぐいと迫ってくるし、嫉妬するような素振りだって見せてくるようになった。


(離縁前提だった、はずなのに……)


 ルーシャンがドロシーに惚れこんだという言葉は、大方間違いではない。それは、わかる。


 でも、ドロシーだって易々とは受け入れられない。父や母に「向き合いなさい」と言われたところで、すぐに向き合えるような性格じゃない。


「まぁ、いいや」


 そう言って、ルーシャンが立ち上がる。それをぼんやりと見つめていれば、彼はドロシーのすぐ隣に腰を下ろした。


 肩と肩が触れ合いそうな近い距離に、ドロシーが怯み、移動しようとする。が、ほかでもないルーシャンに手首をつかまれてしまって逃げるに逃げられない。……どうしようか。


「あのさ、ドロシー」

「……は、はぃ」

「俺から、逃げないで」


 その目をしっかりと見つめられて、そう言われる。


 彼の目にはまるで誤魔化すことは許さないとばかりの目力があって。そっと視線を逸らすことも許されず、ドロシーは彼の目をじっと見つめ続けてしまった。


「にげ、ているつもりは……」

「いや、逃げてるでしょ」


 否定の言葉も、通じない。


 だからこそドロシーが軽く唇をかめば、彼は「……ドロシーが男嫌いなのは、よく分かっているよ」と言いながら掴んだ手の力を緩める。

「俺だって、未だにドロシー以外の女性は嫌いだ」

「……そう」

「だから、無理強いしたいわけじゃない。……でも、俺としっかりと向き合ってほしい」


 彼の目が、ドロシーの戸惑うような表情を映す。


 それがわかるからこそ、ドロシーは目を伏せた。


(……向き合う、なんて)


 確かにルーシャンのことはそこそこ苦手ではなくなった……かも、しれない。


 少なくとも、そこら辺の男よりはまだマシだと思える。


 かといって、関係を続けられるかと問われれば答えは……出てこない。


 離縁前提だからと承知した結婚生活。それが覆ることが、あっていいのだろうか?


(……あっていいとか、そういう問題じゃない……)


 そう思い目を伏せていれば、ルーシャンの手がドロシーの手首を解放してくれた。


 その後、彼は「……焦りすぎた」とボソッと言葉を零す。


「ルーシャン、さま?」

「ちょっと、焦ってた。……今のは、忘れてくれて構わない」


 彼はそんな言葉だけを残して、立ち上がって元の位置に戻る。


 すると、タイミングよくリリーが戻ってきた。彼女は何とも言えない空気を醸し出す二人を見て、頭上に疑問符を浮かべていた。


「……お嬢様?」

「な、何でもないわっ!」


 小声で問いかけられて、ドロシーはぶんぶんと首を横に振って誤魔化す。


 これが誤魔化しになっているのかどうかは、いまいちよく分からない。


 だけど、何も言わないよりはマシ……だと、信じている。


(そう、何でもない……はず)


 ぎゅっと手のひらを握って、ドロシーは目の前で紅茶を飲むルーシャンの姿をぼうっと見つめる。


 相変わらず、とても整った顔をしているな。彼の顔には、そんな感想しか抱けなかった。

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