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4.「で、ではなんとお呼びすれば……?」

(女性の足を踏むなんて……!)


 内心でそう思ってしまうが、この場合ドロシーにも非があるのだ。彼の真剣な態度を面白く感じてしまったドロシーの方が悪いともいえる。それに、ドロシーの足を踏んだ力はそこまで強いものではなかった。……彼なりに、手加減をしてくれていたのだろう。


「……えぇ、それは構いませんが」


 母は少し困惑したような表情を浮かべながらルーシャンを見据える。それに対し、彼は「実は、一つお願いがありまして」と真剣な面持ちで告げる。


「お願い、ですか?」

「はい。俺は当初こちらに婿入りする予定だったでした。なので……遅れましたが、俺はこちらに引っ越してこようかと」

「……え!?」


 ルーシャンの言葉に驚いたのは父や母ではなくドロシーだった。ドロシーが頬を引きつらせていれば、父と母は顔を見合わせつつも「構いませんよ」と言う。


「それに、俺はわがままで今までネイピア姓を名乗ってきましたが、今後はハートフィールド姓を名乗ろうと思います」

「まぁまぁ、それは……!」


 母が嬉しそうに声を上げる。そして、ドロシーに視線を向け「よかったわね」と言って笑いかけてくる。


(全くよくないわよ!)


 しかし、ドロシーの内心はそんな感じだった。


 ルーシャンがハートフィールドの姓を名乗る。それはまぁ、まぁ、まぁ……許容範囲内かもしれない。けれど、越してくるのはいただけない。今までは別居婚みたいな形を取っていたのに、いきなり同居しろなんて無理だ。絶対に無理だ。


「ぜんっぜんよくないです!」


 だからこそ、ドロシーは目の前のテーブルをバンっとたたきながらそう叫ぶ。すると、父と母は目を丸くする。ルーシャンたった一人が、肩を揺らして笑っていた。


「そもそも、私たち離縁するつもりで――」


 ドロシーが勢いに任せてそう言おうとすれば、父の「ドロシー」という声が聞こえてきた。なので、父に視線を向ければ彼は首を横にゆるゆると振る。


「私たちはお前に好き勝手させてきた。なぜなら、それがお前の幸せだと思っていたからだ」


 一体、何を言おうとしているのだろうか? そう思いきょとんとするドロシーを他所に、父は「それに、今までだったら離縁させることにも賛成していただろうね」と静かな声で告げてきた。


「だが、ルーシャン殿下がお前に向き合おうとしてくれている以上、お前も少しは向き合う努力をするべきだ」

「……お父様」

「離縁に関しては……それからでも遅くはないよ」


 父の口調はとても優しいものだが、有無を言わさぬ迫力があった。そのため、ドロシーは押し黙ってしまう。


「殿下。いつ頃こちらに越してこられますか?」

「そうですね……。二週間後と言うところでしょうか」

「承知いたしました。お部屋の準備をしておきます」


 ドロシーを他所に、父とルーシャンの間で話が進んでしまう。それを恨めしく思いながらも、ドロシーは一人俯いていた。


(向き合うって……それが出来たら、苦労しないわよ……)


 小さなころから男性が苦手だった。この容姿に群がってくる男性に、嫌気がさしていた。その所為で自分に恋心や下心をもって接してくる男性を受け入れられなくなって……。


「……シー、ドロシー?」


 一人悶々と考え事をしていると、不意に母に声をかけられた。なので、ドロシーが「はい」と返事をすれば、母は「私たちは少し席を外しますね」と言ってくる。


「……はい?」

「少し、ルーシャン殿下と二人で話をなさい。今後のことについて、貴女の気持ちをしっかりとお伝えして」


 母はそう言うと父を連れて部屋を出て行ってしまう。その所為で、残されたのはドロシーとルーシャン……それからリリーとダニエル。しかし、リリーとダニエルは完全に空気になってしまっており、ドロシーはルーシャンに視線を恐る恐る向けた。


「……ルーシャン殿下」

「どうしたの?」


 控えめな声で彼のことを呼んでみれば、彼はにっこりと笑ってそう言葉を返してくれた。


 だが、少しして「……俺、もう殿下じゃなくなるからね」と思いだしたように告げてくる。


「で、ではなんとお呼びすれば……?」


 頬が引きつるのがわかる。まさか「旦那様」とか呼ばなければならないのか。それは、嫌だ。そう思っていた気持ちはルーシャンにしっかりと伝わっていたらしく、彼は「様付けでいいよ、普通に」と言ってくる。


「ルーシャン様?」


 何とも馴染まない呼び方だ。そう思ってしまっても、こう呼ぶしかない。それがわかるからこそそう呼べば、彼は何でもない風に「俺もドロシーって呼ぶから」と言ってくる。……それは、聞いていない。


「いつまでも嬢をつけて居たら他人行儀だからね。今後は呼び捨てにするよ」

「……私の、許可」

「必要ないでしょ? だって、俺たち夫婦だし」


 それはすべてが許される免罪符ではないのだぞ。心の中でそう思うものの、ドロシーは強くは言えなかった。


 なんだかんだ言っても――このルーシャンという男に、絆されかけているのかもしれない。

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