5.「ですから、私、考えましたの。――私たち、これから一年後に離縁しましょう」
それから数分。ドロシーとルーシャンはただ無言で見つめあっていた。ルーシャンの顔立ちは、見れば見るほど芸術作品のように整っており、その目には絶対零度のオーラを備えている。それに息をのみながら、ドロシーはゆっくりと深呼吸をした。そして、まっすぐにルーシャンの目を見つめたまま「言いたいことが、一つ、あるのですが」と告げた。
「……言いたいこと?」
「えぇ、それはとっても、とーっても大切な言いたいことです」
ルーシャンの問いかけに、ドロシーはそう返して「よろしいでしょうか?」と再度確認を取ってくる。そのため、ルーシャンはしばし考えた。普通の女性ならば、きっと今までの不平や不満などを連ねるのだろうが……どうにも、ドロシーはそんなことを言いそうにはない。ドロシーの目には、ほかの女性には感じられないほどの強い意志が宿っており、到底普通のことを言うとは思えなかったからだ。
「……いいけれど、何?」
そのため、ルーシャンは余所行きの口調をやめ、いつも通りの軽めの口調に直す。ドロシーには、多分どう偽っても無駄だ。そう思ったというのも、あった。それに、もう一つ理由があった気もするのだが……それは、考えない方向で行く。
「では、僭越ながら私の気持ちを述べさせていただきます。……私、ルーシャン殿下にお会いしたらこんな提案をしてやろうと、数か月前から思っておりましたの」
そう言ったドロシーは、優雅なカーテシーを披露しもう一度ルーシャンを見据えた。首元まである緩くウェーブのかかった茶色の髪。おっとりとして見える形の紫色の目。見れば見るほど、その容姿は作りもののようであり、現実の人間だとは思えない。だが、その表情は無であり、それが冷たい印象を与えてくるのもまた真実。
「ルーシャン殿下。私たちの結婚生活は、とてもではありませんが夫婦生活と呼べるものではありません」
「……そうだね」
「ですから、私、考えましたの。――私たち、これから一年後に離縁しましょう」
「……はぁ?」
ドロシーの突然の離縁宣言に、ルーシャンは柄にもなく素っ頓狂な声を上げ、その無だった表情を崩してしまった。何故、自らは今離縁の予告を受けているのだろうか。そもそも、離縁を告げる場合はこちらからだと思っていたのに。そんなことを思いながらも、ルーシャンは冷静を装い「そう。理由は?」とだけ端的に言葉を返した。内心は、結構パニックだったのだが。
「そんなの簡単です。私たち、とてもではありませんが夫婦とは言えない関係でございます。私は今まで世間体とたった一つの目的を達成するt前に、ルーシャン殿下の元に通い詰めてきました。ですが、私もうこのような生活には飽き飽きなのでございます」
元より引きこもりがちな娘が、毎日のように太陽の下に出てくるのは無茶だったのだ。そんなことを思いながらも、ドロシーは目を大きく見開くルーシャンに微笑みを向ける。そして、口元を緩めた。
「ルーシャン殿下を一目見たとき、私、確信を持ちましたの。あぁ、私と同族だって」
そう言いながら、ドロシーはルーシャンに一歩だけ近づいた。その際に、ルーシャンが一歩退いたのを見逃さない。
「同族はうまくやっていける場合もありますが、大体は同族嫌悪で互いを嫌います。そう、つまり私たちの関係が良好になる可能性は限りなく低い。……お分かりで?」
「あ、あぁ」
「でも、今離縁するといろいろと面倒ですし問題だらけではありませんか。一度も会わないまま婚姻し、そのまま離縁なんて女神様が天で大爆笑しちゃうぐらいの問題です。なので、私は考えました」
――これから一年後に、円満離縁しましょう!
そんなことを満面の笑みで言うドロシーの考えが、ダニエルにはわからなかった。そもそも何なのだろうか、「円満離縁」とは。そう思いながら、ルーシャンの様子を窺えば、ルーシャンは呆然としているようだ。それに、こっそりとダニエルは安堵した。どうやら、意味が分からないのは主も一緒らしい。
「い、いや、円満離縁とは……その」
ダニエルは、驚きすぎて二人の間に口を挟んでしまう。しかし、しばらくしてルーシャンに首を横に振られてしまう。どうやら、口出しするなと言いたいようだ。
「円満離縁か、いいよ。ただ……結婚生活をしないのも、問題だと思うんだよ、俺は」
「さようでございますね」
「だから、俺はドロシー嬢と週に一度だけ会うことにする。それで、結婚生活にならないか?」
いや、ならないだろう!
そんなダニエルの内心でのツッコミなど全く知らないドロシーは、手をパンっと叩いて嬉しそうな表情を浮かべ、
「まぁ、別居婚でございますね!」
などというのだから、ダニエルはずっこけそうだった。そして、ようやく「この二人、結構おかしいのでは?」と思うことが出来たのだ。普通の令嬢ならば「別居婚をしましょう」などと言われれば怒り狂い暴れだすだろう。それが、ダニエルの考える貴族の令嬢だった。なのに、ドロシーは怒り出さないどころか何故か喜んでいる。……本当に、意味が分からなかった。
「では、これからは『円満離縁前提の別居婚生活』でございますね。私、嬉しゅうございます」
……いや、なんだそれは。そんなダニエルの想いは、生憎二人には全く伝わっていない。ドロシーとルーシャンは、互いを探るような笑みを浮かべ見つめ合っているだけだ。美形の考えることは、本当にわからない。
「では、私は本日にはこれにて失礼いたします。あ、でも最後にもう一つだけ、よろしいでしょうか?」
ドロシーは不意に人差し指を立てて、そんなことを言う。その表情はとても美しく、ダニエルは思わず見惚れてしまう。……ルーシャンは、なんとも思っていないようだが。
「あのですね、私、ルーシャン殿下にお会い出来たら一言言ってやろうと思っておりましたの」
――自分勝手なのも、いい加減になさってくださいませ! って。
そう言ったドロシーの表情は、清々しいとでも言いたげな笑顔だった――……。