38.「……王妃様が、お呼びでございます」
「……ダニエル、どうしたの?」
今まで、ダニエルだけがハートフィールド侯爵家にやってくることは一度もなかった。つまり、それだけ例外なことが起きているということなのだろう。
……まさか。
ふと、脳裏に最悪の事態が思い浮かんでドロシーの顔が真っ青になる。けれど、ダニエルは「……王妃様が、お呼びでございます」と静かな声で、眉一つ動かさずに告げてくる。
「……王妃、さ、まが?」
「はい」
ドロシーの問いかけに、ダニエルは端的に返事をした。いつもは何処となく苦労したような表情を浮かべていることが多いダニエル。が、今日の表情はきりっとした真剣なものにしか見えない。多分だが、重要事項なのだろう。
(いいえ、確実に重要事項だわ。王妃様が直々に私を呼ぶなど、今までなかったもの)
ドロシーと王妃ディアドラの関係は、いわば嫁と姑である。しかし、今まで直に対面したことはほとんどない。いつもディアドラ付きの侍女がドロシーの用件を聞いて、彼女に伝えてくれる。その形だった。
「そう、わかったわ」
ダニエルの言葉にそれだけの返事をし、ドロシーはリリーに「着替えるわ」と指示を出す。
「ダニエルは、応接間で待っていて頂戴。着替えだけ済ませるから」
「かしこまりました」
その言葉に、ダニエルは異を唱えることはなくそのまま下がり、部屋を出て行った。
ダニエルが出て行ったのを見つめ、ドロシーは考え込む。ディアドラは王国の聖女をまとめている人物である。そして、ルーシャン曰く結界が壊された。それはつまり、聖女の中の誰かが行ったことだと考えるのが妥当だった。最悪のパターンかもしれないが、いつだって最悪の展開は思い浮かべておいた方が良い。そう、ドロシーは思っている。
「お嬢様、こちらに」
そんなことを考えていると、どうやら着替えの準備が終わったらしく、リリーがそう声をかけてくる。それを聞いたドロシーは、「わかった」と言ってリリーの元に駆け寄った。シンプルな紫色のワンピースと真っ白な上着を羽織り、髪の毛は手早く一つにまとめる。王妃の前に行くのだから、この格好はいささかシンプルすぎるかもしれない。けれど、今は一分一秒が惜しいのだ。自分をめかしこむ時間があるのならば、早く王城に行きたかった。
「リリー」
「はい、お嬢様」
「リリーは、ここで待っていて頂戴」
「……え?」
ドロシーの言葉に、リリーは怪訝そうな声を上げた。多分だが、彼女もついていくつもりだったのだろう。
だが、ディアドラが直々にドロシーを呼んだということは、機密事項がある可能性がる。ドロシーはディアドラの信頼をそこそこ得ている自覚があるのだ。調合についての知識を、買ってくれていると自負している。
「私、一人で行くわ」
凛とした声でそう告げれば、リリーは「で、ですが……!」と言って口ごもる。やはり、ドロシー一人では不安らしい。
確かに、貴族の令嬢が一人で行動するなど褒められたことではない。それは、ドロシーだってわかっている。だけど。
「大丈夫、ダニエルがいてくれるわ。私、これでも彼のことはそこそこ信頼しているのよ」
「……そう、ですか」
無理に笑みを作って、ドロシーはリリーを納得させた。
男性が大層苦手なドロシーではあるが、最近ダニエルはまだ大丈夫になってきていた。いつもいつもルーシャンに振り回される彼を、不憫にも思っている。まぁ、決して口には出さないが。
その後、ダニエルが待つ応接間に向かえば、彼はただ突っ立っていた。ソファーがあるのに腰掛けることはなく、何処となく不安そうな表情を浮かべている。もしかしたら、彼はルーシャンの身を案じているのかもしれない。いや、確実にそうだろう。それは、ドロシーにもよく分かった。
しかし、指摘するのがいいことだとは限らない。そう思い、ドロシーはダニエルに対し「さて、行きましょうか」と言って静かに声をかける。すると、彼はうなずいてくれた。
ダニエルが乗ってきた馬車に乗り込み、ドロシーは窓の外を見つめる。いつもと変わらない平和な街並みを見ていると、ルーシャンが魔物退治に行っているということも嘘に感じられてしまう。
(……無事に、帰ってきてほしいわね)
それは、どういう意味だろうか?
一瞬だけそんな疑問が脳内によぎったが、出世払いである代金を払ってもらわなければならないのだと、自分に言い聞かせる。
(離縁するにしても、生きて帰ってこられないと、迷惑なのよ。私、未亡人にはなりたくないもの)
目を閉じて心の中でそう呟いていれば、真ん前に腰掛けるダニエルが「……ドロシー様」と声をかけてくる。
そのため、ドロシーは「どうしたの?」と目を開いて返事をする。
すると、彼は真剣な面持ちで「ルーシャン殿下は、大層ひねくれております」と静かな声音で告げてきた。
「……知っているわ」
「無茶ぶりはされますし、引きこもりですし、もうとてもとても世話が焼ける主でございます」
こぶしを握り締め、ダニエルはそんなことを熱弁する。その姿はあまりにも哀れで、今まで彼がどれだけ苦労してきたのかが、よく見えたような気がした。不本意なことに。




