2.「……お嬢様のそう言うちゃっかりとしたところ、私は好きですよ」
心地よい風が吹き、淡い色の花を揺らす。季節は春。ネイピア王国は比較的四季が豊かであり、それを楽しむ貴族も少なくはない。貴族の屋敷の庭には、季節の花を植え、そこでお茶会を開くのもネイピア王国の常。……まぁ、例外ももちろんあるのだが。
そして、ネイピア王国の名門侯爵家ハートフィールド侯爵家の屋敷は……今日も、ざわめいていた。
「お嬢様~。本当に、本当に本日も王城に向かわれるのですか?」
「当り前じゃない。いい加減ルーシャン殿下に会わなくては、いけないもの。文句の一つや二つ言わなくちゃ、気がおかしくなりそうだし」
ツンと澄ましながら、自分の髪の毛を整えるドロシーを見つめながら、彼女の専属侍女を務めているリリーは「もう、諦めましょうよ」なんて口走っていた。しかし、ドロシーは聞く耳も持ってくれない。正直に言えば、ドロシーだってもう王城になど出向きたくない。だが、ここで諦めたら負けだ。そう、三か月も前から思い続けている。
「そりゃあ、私だってお嬢様を蔑ろにするルーシャン殿下には怒りしか湧きませんが……。それでも、そんな目の下に隈を作られているのですから、本日ぐらい行かなくても……」
「あら、こっちの方がいろいろと便利じゃない? ルーシャン殿下に会えなくて傷心中です~って、印象付けられるじゃない」
「……お嬢様の目の下にある隈は、傷心したからではなく仕事関連で依頼があったからではございませんか……」
「まぁ、そうだけれどね」
リリーのそんな言葉に、ドロシーは返事をしながら目の前にある瓶に入った液体を見つめた。
ドロシーは引きこもりがちな令嬢である。だが、決して怠惰に過ごしているわけではない。ドロシーは大好きな調合を行い、風邪薬や傷薬をはじめとしたポーションを作っているのだ。ポーションとは、薬草などを組み合わせ魔法をかけて作り上げる、いわば液体の薬。種類は日常生活で使うものから、冒険者が持ち歩く魔力回復のものまで千差万別。ドロシーは幼少期から調合の仕事に興味があり、その結果ポーション作りに見事に嵌った。今では多数のお得意様まで抱える人気の調合師だ。……まぁ、高位貴族の令嬢が商売などを普通はしないため、正体を隠し遠縁の親戚に売ってもらっているのだが。
「そもそも、お嬢様は引きこもりではありませんか。そんな毎日太陽の光を浴びて……健康的になられてしまって……!」
「それ、喜んでいるじゃない」
「まぁ、そうですね」
リリーとそんな会話を交わしながら、ドロシーは依頼を受けて作ったポーションの数を確認する。ドロシーにとってポーション作りとはいわば生きがいそのもの。そのため、依頼を受ければ自らが持つ知識と実力のすべてを使い、しっかりと作り上げる。つまり、ドロシーにとってルーシャンのことよりも仕事の方が大切だった。
(そもそも、ルーシャン殿下との婚約のお話を引き受けたのも、彼が引きこもりだったからなのよね……)
きっと、婚姻をすれば夫となる人がドロシーの商売など許すわけがない。しかし、引きこもりで外の世界に疎いルーシャンならば、きっと言いくるめられるはず。そういう企みがあり、ドロシーはルーシャンとの婚約話を十二歳のころに受けた。……だが、まさかここまで引きこもりをこじらせているとは思いもしなかったのだ。
(挙式の件に関してはちょっぴりショックだったけれど、ここまで尾を引いて怒るものでもないのよね……。けど、殴り込みにかなくちゃ薄情な妻だとか思われちゃいそうだし……)
そして、ドロシーの本当の考えはこれだった。確かに、ウエディングドレスを身にまとうことが出来なかったのは、少々ショックだった。しかし、ここまで尾を引いて怒ることでもない。そう、ドロシーは思っていた。ただ怒り続ける「フリ」をするのは、こうでもしないと「薄情な妻」やら「薄情な令嬢」などというレッテルを張られそうだったからだ。小さなレッテルでも、いつ大きくなり膨れ上がるかはわからない。怪しい芽は小さいうちに積んでおくのがベストなのだ。
「さぁ、商品を納品したら本日もルーシャン殿下に会いに行きましょうか。どうせ追っ払われますが、それでも薄情な妻と思われるよりはずっとマシだもの」
「……お嬢様のそういうちゃっかりとしたところ、私は好きですよ」
「あら、褒めても何も出ないわよ」
リリーとそんな風に笑いあい、ドロシーは従者にポーションが詰められた箱を持ってもらう。両親はドロシーがルーシャンに蔑ろにされていることに対して、怒ってはいるが表には出さない。それは、ドロシーの気持ちを優先しているから。ドロシーが怒っていないのに自分たちが怒るのは筋違いとでも思っているのだろう。
(気が重いけれど、本日も参りましょうか)
それだけを心の中で呟いて、ドロシーはゆっくりとハートフィールド侯爵家の屋敷を歩く。その歩き方はとても優雅であり美しく、周囲の使用人たちは感嘆のため息を零すのだった。