48.「――手のかかる弟子を、迎えにきてあげたわよ」
エーメリー男爵邸にたどり着けば、そこは混沌と化していた。
使用人たちが邸宅から慌ただしく出てくる。彼らの顔色は悪く、ルーシャンからしてもただ事ではないとわかった。
さっと馬から下りて、ドロシーの手を引いた。彼女は地面に足をつけると、エーメリー男爵邸を見上げる。
「……あんまり、いい状態じゃなさそうね」
ぽつりとそう零しつつ、ドロシーがさっと周囲を見渡した。彼女は近くにいた侍女らしき女性に近づいていく。
「ごめんなさい。少し、いいかしら?」
女性は渋々といった風に顔を上げたものの、ドロシーの顔を見てハッとする。そして、こくんと頷いてくれた。
「なにがあったのか。教えて頂戴」
「は、はい。本日――」
侍女の言葉を聞くドロシーを横目に、ルーシャンはエーメリー男爵邸を見つめる。
豪華絢爛とはお世辞にもいえない邸宅だ。ハートフィールド侯爵邸のほうが、ずっと豪華絢爛だろう。
(爵位どころか、周囲からの評価も全然違うしな)
心の中でそう呟いていれば、ドロシーが戻って来た。彼女に視線を向ければ、彼女は頷く。
「行きましょう。……クルトは男爵の元にいるみたいだし」
「……そうか」
「手のかかる弟子だけれど、迎えに行ってあげなくちゃね」
ドロシーが呆れたようにそう言う。
その姿は本当に美しくて、周囲の視線を一身に浴びる。ルーシャンはふっと口元を緩めて、彼女に手を差し出した。
「……なんのつもりですか?」
ドロシーが眉間にしわを寄せる。
「大した意味はない。転ばないようにしてやろうと思っただけだ」
「転びませんけど!?」
一々食ってかかる彼女が面白くて、声を上げて笑いたい衝動に襲われる。でも、今笑うことは許されない。
そう思い、ルーシャンはそっと彼女の手を取る。少し驚いたようなドロシーの表情を見ると、なんだか悪戯をしたくなった。
(とはいっても、この状況下でそんなことを出来るほど、俺ものんきではないんでな)
そんなことを呟いて、彼女を見つめる。紫色の目が、じっとこちらを射貫いていた。
(こんなことを言うのは、キャラじゃない)
それに、こんなことを言うことは一生ないだろうと、思い込んでいた。
ドロシーと出逢って、自分がどんどん造り替えられていくような感覚だ。が、それも案外悪くない。
「さぁ、行くぞ。――最愛の妻」
そっとそう呟けば、ドロシーが一瞬目を見開いて、にやりと笑った。
「えぇ、行きましょうか。……ひねくれ者の旦那さま」
ドロシーがルーシャンのことを「旦那さま」と呼んだのは、これが初めてのような気もする。
まぁ、生憎現状そんな感動に浸ることも許されない状況ではあるのだが。
ドロシーの手を引いて歩いていく。二人の姿に、使用人たちがほうっと見惚れているのがわかる。
まるで今から行われるのがパーティーだと、錯覚しているかのようだった。
(そんな、美しいものでもないがな)
心の中で呟いて、ルーシャンは開け放たれた扉をドロシーと共にくぐった。
「当主の部屋は何処だろうな」
「貴族の邸宅の造りは大体似たり寄ったりですので。……うちを参考にした場合は……」
「ほう」
こういうとき、頼りになるのは王族よりも同じ貴族のようだ。
ドロシーは素早く邸宅の部屋の配置に予想をつけて、「こっちです」と歩き始める。
ぐんぐん進んでいく彼女を追う。彼女は迷いなく階段を上がって、廊下を進んでいく。
長い金色の髪をなびかせながら歩く彼女の姿は、大層美しい。
「それにしても、薬と言っても、俺たちには特にダメージはないようだが」
「そうですね。きっと、この男爵家の人間のみに作用するように作ったのでしょう」
そんなこと、出来るのだろうか?
一抹の疑問を抱けば、ドロシーはそっと廊下の隅に指をさす。そこにあるのは、植物だった。
「あれは香りがいいと、貴族の間で流行っている奴だな」
「えぇ、そうです。……ただ、あれの香りは一種の毒でもあるんです」
……初耳だった。驚いて目を見開けば、彼女は「とはいっても」と付け足す。
「相当長い間嗅いでいないと効果はないですけれどね。そのうえで、毒になるには条件がある」
「……条件」
「はい。特定の薬品と混ぜれば、毒になるんです」
ということは、クルトがやったことは……。
「まぁ、うちでは万が一にでも毒になる植物はおかないので」
「……十中八九、ドロシーの所為だろうな」
「褒めてもなにも出ませんよ」
「褒めてない」
ドロシーが薬学に没頭するため、侯爵も夫人もそれなりに気を遣ってくれているのだろう。
容易に想像できることを思い浮かべたルーシャンを無視して、ドロシーは一つの扉の前に立つ。
「多分、ここです。……扉も、ほかのお部屋より立派ですから」
そう呟いたドロシーは、流れるような動きで扉をノックする。
彼女の仕草をルーシャンはただ後ろで見つめていた。
「返事はないわね」
「そりゃそうだろう。誰がこの状況下で返事をするものか」
これは彼女のボケなのか。まさか、本気で返事を求めているわけではあるまいに。
「ま、いいわ。……突入しましょうか」
「あぁ」
ドロシーの呟きに返事をすれば、ドロシーは扉をバッと開け放つ。
そのときに、彼女の金色の髪の毛が靡いた。……美しいと、自然と視線が惹きつけられる。
「――手のかかる弟子を、迎えにきてあげたわよ」




