1.「婚姻して三ヶ月も会えないって、どういうことですの!?」
ネイピア王国。そこは、ロゼア大陸でもっとも権力を持つ大国である。特に現国王であるスペンサーはそのカリスマ性を存分に生かし、国を発展させてきた国にとっての英雄のような存在である。
そんなスペンサーは異国の王女だったディアドラを妻に迎え、三人の王子を設けた。
スペンサーのカリスマ性を色濃く受け継いだ第一王子兼王太子、パーシヴァル・ネイピア。
ディアドラの愛らしさを存分に受け継いだ第三王子、アルバート・ネイピア。
そして、二人の容姿の良いところのみを受け継いだような、とても美しい容姿を持つ第二王子、ルーシャン・ネイピア。
パーシヴァルとアルバートは民たちの前にもよく姿を現し、周りを魅了してきた。しかし、特に容姿が優れているとされるルーシャンは……引きこもりがちであり、滅多に民たちの前に姿を現さない。
その存在さえもが幻だとまで言われるようになっていた今――その第二王子ルーシャンが婚姻したというニュースが国中を駆け巡った。
――その実情が、紙切れ一枚ぽっちの婚姻だったなんて、誰も思わずに――……。
☆★☆
「ルーシャン殿下に会わせなさい!」
その日、ネイピア王国に住まう侯爵令嬢ドロシー・ハートフィールドは王家が住まう王城に殴り込みに来ていた。艶やかでさらさらとした金色の腰までの長髪と、紫色のおっとりとして見える形の目を持つドロシーの容姿は、老若男女問わず魅了し、誰もが彼女を「美しい」と褒めたたえる。いつもならば、歩くだけで男性が群がるのだが……今のドロシーは怒りの形相を浮かべており、誰もが触らぬ神に祟りなしとばかりに、ドロシーのいる場所を避けていた。
「そ、その……ルーシャン殿下は、体調がすぐれない、と寝込んでいらっしゃいまして……」
「嘘を言わないでくださいます? もう三か月もこの調子じゃないですか! こちらとしても、もう堪忍袋の緒が切れているの。何が――」
――紙切れ一枚で、婚姻ですか!
そう叫んだドロシーに、周囲は同情してしまった。普通、王族貴族の結婚式ともなれば大々的に挙式を行い、その最中に婚姻届けに名前を書き神官に手渡すのが一般的だ。だが、ルーシャンは挙式さえをも拒み、挙句の果てには婚姻届けを婚約者の屋敷に送り、「ここにサインをしてください」と手紙を書いただけなのだ。そりゃあ、新婦側からすれば不満だらけだろう。一緒に一度しか着ることのできないウェディングドレスを着れないともなれば、うら若き乙女の不満はたまるはずだ。
そう、このドロシーこそ引きこもりの第二王子ルーシャンの妻である。……とはいっても、婚約者時代に一度も顔を合わせたことがないのだが。近年の政略結婚では減ったものの、昔は挙式が初対面ということも少なくはなかった。だからこそ、ドロシーは文句を一つも言うつもりはなかった。だが、さすがに――。
「婚姻して三か月経ってもも会えないとは、どういうことですか!?」
ドロシーとルーシャンが正式な夫婦になって早三か月。二人は未だに一度も顔を合わせていないのだ。しかも、ルーシャンの肖像画は滅多なことでは作られないため、ドロシーはルーシャンの顔自体知らないというような状態だった。さすがに、ルーシャンはドロシーの顔を知っているだろうが。
「そ、その……ドロシー様。今回はお引き取りを……」
「今回『も』でしょう? そう言って早三か月が経ちましたわね。私とて、この婚姻に魅力を感じたので了承しました。ですが、さすがにこれは……妻を蔑ろにしすぎでは!?」
バンっと近くの壁を叩いたドロシーを見て、従者が震えあがる。それを見た周囲の人間たちは、心の中でドロシーに対応している従者を哀れんだ。ドロシーは普段は温厚で笑みを絶やさない性格だ。だからこそ、一度起これば手が付けられなくなる。そのため……誰も、止めようとしない。
「もういいです。ルーシャン殿下にもお伝えください。……こちらにも、考えがありますわ、と」
それだけを残したドロシーは、踵を返して歩き始めた。その歩き方にはとても品があり、ドロシーの美しさを増幅させている。滅多なことで社交界に出ないドロシーは、貴族の令嬢たちの憧れでもあった。……まぁ、その憧れはハリボテであり、彼女たちはみなハリボテに憧れているに近しいのだが。
(こちらとて、夫に会わなくて済むのは願ったりかなったりなのよね……。けど、さすがに挙式に関しては文句の一つや二つ、言いたいからなぁ)
そう、このドロシーは本当はルーシャンになど会いたくなかった。たった一言、「このバカ! わからずや!」と文句を言いたいがために、王城に通い詰めているだけに近しいのだ。
ドロシー・ハートフィールド。彼女もまた人間嫌い……特に男性嫌いをこじらせている人物なのだ――……。