疾風事変
世界は嵐の渦中にあった。
12年前、赤道周辺で起きた超巨大台風を始めとして潮の流れの変化、極度の気温上昇、風向き及び風圧の変化が起きた。これらの異常気象は恒久的な天候の変化を生み出し、熱帯地域の多くの島国が海底に沈んだ。これが後の『第一次天変災害』である。
3年前、一つの小国『ドーブル』が世界に向けて名乗りを上げた。天変災害の予期ができるという彼らの主張はその直後に起きた天変災害によって証明された。世界には再び風が吹き荒れ、彼らの声に耳を傾けざるを得なくなった。ドーブルは大国からの支援により急速に力をつけた。『第二次天変災害』の始まりである。
そして現在自国では……
「これで10機目か、今日はあと5機の点検だな」
俺はスパナを片手に風車の点検を行っていた。
ここは第二風力発電軍事基地。全国に風力発電で得た電気を送り出す国営の軍事基地の一つである。石油の海上輸送が出来ず空輸も難しくなったこともあって、風力の需要は急激に高まり、今では全国に八つもの大規模な風力発電基地が出来た。
石油に頼らなければ生きていけなかった人類がこんな形で燃料を必要としなくなったというわけだ。皮肉なものである。
「おーい、鷹田さーん! 昼飯、食べなくて良いんスかー!?」
風車の立ち並ぶ鉄の森の中で、一人ぽつりとこちらに手を振る人物がみえる。俺は吹き荒れる強風の中、右目の眼帯を抑えながらこちらを呼ぶ声の方に向かった。
「俺が買ってなかったらもう無くなってましたよ」
そう言いながら左手に握ったやきそばパンを差し出される。
「何円だ?」
「120円っス」
「後で払おう」
「別にそれくらい良いのに」
青年はあきれたように笑う。人懐っこい笑顔だ。
この青年は『アマキ』、そう呼ばれている。それが本名であるかどうかは知らないが、ここで一緒にやっていく分には軍隊非公式のニックネームであるTACネームさえ知っていれば不足は無い。
「それとこれから中佐からの伝令があるそうです。なんでも緊急指令だとか。英雄ハヤテにお使いとか頼みたいことでもあるんですかね」
アマキが茶化す。本当はそんな内容では無いはずだ。
「嫌な予感がする」
「俺もそうですよ。世界は今、嵐の渦中にありますからね」
緊急指令という言葉には良い思い出がない。特に第二風力発電軍事基地の部隊、『折れた翼』にとっては。
俺たちに言い渡される任務はいつも貧乏クジと決まっている。
『折れた翼』は貧乏クジを引くために作られた部隊だからだ。
眼帯を抑えたまま口でナイロン袋を千切り、押し込むようにやきそばパンを喉に流し込む。味も感じ取らずに栄養補給としての飯を食べる。ナイロン袋はクシャクシャに握ってポケットの中へ。
「もっとおいしそうに食べればいいのに」
食べ物を美味しく食べられるのは世界を美しく感じられる人間の特権だ。今の俺にはそれが出来ない。
俺は黙ってその言葉を聞き流し、指令室に向かった。
指令室の扉を開けると一人の男と女の上官が揉めているようだった。ここでは珍しくもない光景だが。
扉が開いたのに気づいて男はこちらを一瞥し、軽蔑の視線を向ける。
「伝令は何だ」
「あぁ、待っていましたよ、鷹田少尉。今日はあなたたちに少々辛い任務を言い渡さなければならなくなりました」
女の上官――新井中佐が苦虫を嚙み潰したような顔でそう言った。
俺は早く任務を伝えるように促した。隣に居る男が不機嫌なところを見ると、あまり良い任務ではないのだろう。
「まず、ドーブルという名の小国が現在の戦争の台風の目になっていることはご存じですね? 大国はドーブルの予言の力を手に入れるために様々な支援を行ってきましたが、ドーブルの横暴な態度に痺れを切らした大国は、ドーブルを手っ取り早く手中に収めるために銃口を向けました」
「知っている」
「そしてその火蓋は今まさに切って落とされようとしています。我が国はそれに先んじてドーブルと戦火を交えることに致しました。目標はドーブルの大規模軍事基地。そこを制圧することが我々の勝利に繋がります」
ついにその時がやってきてしまったようだ。
「我が国は決して大国とは言い切れない島国です。ですので消耗戦をするという選択肢はありません。消去法により奇襲作戦を仕掛けることになります。陽動部隊と殲滅部隊に分かれ、敵の本隊を引き付けている間に軍事基地を制圧する。決行は明日の4:00です。それが今回の作戦の全容になります。そして陽動部隊はあなた方です」
「なるほど。つまりは『折れた翼』向けの役割を充てられたというわけだな」
新井少佐が唇を噛む。この場に居る誰もがその作戦の俺たちの役割を理解していた。
落ちこぼれの寄せ集めから成る『折れた翼』でも行える任務の意味を。
「もっと直接的に言えば良いじゃねぇか。『あなたたちは囮です。敵の本隊を引き連れてここで死んでもらいます』ってな!」
「口を慎みなさい、トンボ。これも誰かがやらねばならない役目なのです」
「体良くまとめやがって。中佐は良いよな! 部下に死ねって言うだけで良いんだからよ!」
トンボは部屋の隅にあったゴミ箱を力強く蹴った。
普段なら叱られるだけでは済まされないところだが、今日だけは咎められることもない。死に行くことが逃れられない定めとなった今となっては、暴言を吐こうが物に八つ当たりしようが些細な出来事でしかないからである。
パイロットの育成もままならないような現状で、それでも人員が欲しい上層部が作り上げたのがこの『折れた翼』だった。それこそ翼の折れた鳥でも出来るような相手の的になることがこの部隊の役割だった。
俺はいつもどおり抑揚の無い声で言った。
「承知した」
踵を返して部屋から出ようとしたときに後ろから呼び止められる。
「良いよなぁ!? 第二次天変災害の真っ只中からでも一人だけ帰ってこれたハヤテさんなら、こんな糞みたいな作戦でも帰って来られると思ってるんだろ!? なぁ、古の撃墜王、英雄ハヤテ様々よぉ!?」
「右目を失った今、そんなことが出来るとは思えないがな」
トンボは俺の胸倉を掴んだ。今にも殴りかかって来そうな勢いである。
「そのスカした態度がイラつくんだよ! また仲間を切り捨てて生き延びるつもりか!?」
「仲間ならこの右目と共に三年前に失った。今の俺に仲間は居ない」
「テメェ――」
「やめてください! 鷹田さんも言い過ぎです!」
殴りかかろうとするトンボを止めたのはアマキだった。
俺は胸倉から手が離れたのでそのまま指令室から退出する。
世界は嵐の渦中にあった。
小国を武力で握り潰そうとする大国。そうなる前にドーブルを我が物にしようとする自国。
一国を台風の目にしてそこかしこで戦火が燃え盛る。
『疾風事変』が幕を開けた。
――――――――――――――――――――――――――
鷹田が消えた指令室には死地に向かう兵士が出すどんよりとした空気が立ち込めていた。
トンボは居なくなった相手に向けて暴言を吐き捨てる。
「あんな仲間を仲間だと思ってないような人間に背中を預けられるかよ」
新井中佐はその言葉を聞いて目を伏せたまま言った。
「彼ほど仲間思いの人間も居ませんよ。鷹田少尉は三年前の天変災害で仲間を失って以来、仲間に誇れる死に場所を求めて屍の上を歩き続けているのですから。彼が折れた翼に居るのは右目を失ったことも一因ではありますが、彼自身の要望であるところも大きいのです。彼は仲間のためなら平気で命を投げるでしょう」
「その仲間の中に俺たちも含まれてりゃ良いんだけどな」
トンボはそう吐き捨てて指令室を出る。
勢いよく叩きつけられた木製のドアがキィキィと悲鳴のような音を上げていた。
――――――――――――――――――――――――――
俺たちは高台にある射出台に立ち、遥か眼下に果てしなく広がる海を見る。その向こうには海外線と巨大な白い工場が見える。それを折れた翼の隊員たちが光の無い瞳で見つめている。
そして俺たちは知っている。
そこが敵味方を問わず数多の命を飲み込む死地になることを。
俺はその風景を無心で眺めながら、合金の支柱と特殊加工された樹脂の羽で出来た相棒を握りしめる。使い込まれた持ち手がギチチと鳴った。
「やっぱ鷹田さんのバトルグライダーはかっこいいなぁ。深い緑色の両翼、左翼には2本の白い線! うわさに聞く英雄ハヤテの翼のまんまですよ!」
「どれも同じだろう」
「いやぁ、俺らの量産機とは全然違いますって。エースパイロットの特注機体は性能にこそ差はないけれど、相手の目を惹くためにデザインはかっこよく作られてますからね。まぁ、相手の目が引き付けられるから、それを上手く操縦できる腕がないとあっさり撃墜されちゃうんですけど」
アマキがいつになく饒舌に俺のバトルグライダーについて語る。
戦闘機も空を飛べないような風が吹く現代において、空を飛ぶために必要なのは風を切ることよりも風に乗ることだった。飛行機や戦闘機の類では成しえなかったそれを可能にしたのはグライダー。それも操縦者が直に風を感じられるハンググライダーだった。
バトルグライダーはそんなハンググライダーを戦闘用にするためにあらゆる工夫と兵装が施された新時代の戦闘機だ。まぁ、自分に言わせてみれば、空中を長く飛べる工夫と、敵を撃つ機銃が取り付けられた、人間がこの天候の中で命を預けるにはとても頼りない乗り物である。これがないと空戦が行えないから、という理屈で編み出された軍の苦肉の策が透けて見えるようだった。
そんなものが語るに値するものだとは思わない。
「お前はグライダーが風に飲まれて地に落ちていくのを見たことはあるか」
「え? いや......」
「俺は嫌いだ。バトルグライダーも、人が死ぬところを見るのも」
人が兵器を嬉々として語る姿を見て、少し頭に血が上った。
脳内に昔の景色がフラッシュバックする。
雑念だ。
左目を閉じて頭を抑える。
再び目を開けると真っ青な空に薄桃色のバルーンが打ち出されるところだった。
バルーンは風に乗り空中にまばらに散らばっていく。
耳元のヘッドホンから新井中佐の声が聞こえた。
「高度300m、天変レベル小、エアブイもかなり安定。空中を舞う瓦礫の残骸も比較的少ないです。バトルグライダーを飛ばすには絶好の天気と言えるでしょう」
「あぁ、死にに行くんじゃ無かったら、笑って喜んでるところだぜ。今なら泣いて喜べそうだよ」
トンボが軽口を叩いている。
足がかすかに震えているところを見るに恐怖を紛らわせているのだろう。
「怖いならここから出なければ良い。そうすれば死ぬこともないだろう」
「そうは行かねぇだろうが! お前だって死にたかねぇ――」
「俺は行くぞ」
俺はその言葉を遮るように短く言葉を発すると、バトルグライダーを手に空中へと飛び出し、射出台からバルーンにアンカーを射出した。
後方からは舌打ちの音がした。
「クソッ!」
トンボとアマキ、それに数多の隊員も後を追うように空中へと繰り出した。
エアブイと呼ばれるそれにアンカーを突き刺すことによって、グライダーは向かい風を受けながら凧の要領でさらに上へと昇ってゆく。真正面から当たる冷たい潮風が熱と雑念を奪い去っていく。
ある程度上昇したところでアンカーをエアブイから外し、重心を前へ傾ける。落ちていく紙飛行機のように風を切りながら前へ前へと加速する。体が冷えて空気と同じ温度になったとき、俺は風と同化する。
「折れた翼部隊、ただ今より急襲を開始する。全力を尽くせ!」
全員の緊張が一点に集中する中、俺は宣戦布告の煙弾を虚空に放った。薬莢を燃やしながら煙をまき散らし、鮮血のような赤が空を蝕む。
直後に響くサイレンの音。
遥か遠くで蟻のような黒点がぞろぞろと空中に飛び立つ。ゆっくりとした上昇と急速な下降を繰り返しながら、黒点はその大きさを増していた。
「もう来たのか、早すぎンだろ......」
「トンボ、アマキ、お前らは後から付いてこい。俺が先に惹きつけておく」
「ハヤテ、ちょっと待てってオイ! そりゃどう考えても無茶――」
言い終わるころにはアンカーを射出していた。エアブイに突き刺すと同時にトリガーを惹いてワイヤーを巻き取る。バトルグライダーは風と一体になりさらに加速する。
「なんだ、あの加速!?」
驚くトンボにアマキが饒舌に説明する。
「エアブイにアンカーを突き刺して普通なら高さを稼ぐところですが、ハヤテはアンカーを巻き取りながら進むことによって推進力を得てさらに加速しているんです。一瞬アンカーを外すタイミングを間違えればエアブイに衝突して落ちてしまう。あれこそがハヤテのお家芸ですよ」
後続を突き放し単独で前を突き進む。
俺のスピードについて来られないのであれば、着いてくる必要はない。たいした戦果も残せず空の塵になるだけだ。
敵が眼前に迫る。片目なので距離感が分かりづらいが、そこは勘で補う。
俺が構えたのは機銃ではなくアンカーだった。
すれ違いざまにアンカーを相手のグライダーの支柱に叩き込むと、ガキンッという耳をつんざくような金属音と共に支柱にヒビが入った。圧力に耐えられなくなった骨組みがバラバラと砕け散り、黒の羽は空へと消えていく。
風上から放たれた機銃の玉を紙一重で避けすれ違いながら方向転換し、今度はこちらが風上に立つ。風上出なければ機銃の弾はまっすぐに飛ばない。すかさず機銃を構えて方向転換中の相手の横っ腹に鉛玉を叩きこむ。死体をぶら下げただけのグライダーが海に呑まれてゆく。
「なんだ、あれ」
「俺も初めて生で見ましたよ......なんか映画のワンシーンを見てるみたいだ」
耳元のヘッドホンから聞こえる音を無視しながら俺は折れた翼の進行方向とは違う方向に逸れた。自分を追って無数の蠅が真後ろまで迫る。
後方から飛ぶ無数の弾を避けながらエアブイを上手く使って加速する。カシュン、カシュンとエアブイにアンカーが突き刺さる音のテンポが次第に速くなる。黒い軍隊が後方から血眼で追ってきていた。
「速い......つーか、速すぎる! オーバースピードなんじゃねぇか!?」
トンボの推測はおおよそ当たっていた。
これ以上スピードが上がると、エアブイを使っても高度を上昇させることが出来ず、ついにはエアブイの漂っている高度から離れすぎて海に落ちる。海に落ちた人間は昔よりも遥かに高くなった波に飲み込まれて死ぬのだ。
「まさか、後ろから追ってきてるやつらは気づいてねぇのか!? ハヤテもあいつらもこのままじゃオーバースピードで死ぬぞ!」
「もしかして鷹田さん、あいつらを惹きつけたまま死ぬつもりなんじゃ......」
アマキの心底心配するような声が聞こえた。そんなことを心配する余裕があるなら、自分の安全の確保もできるようになってほしいものである。
「安心しろ」
俺が構えたのは機銃だった。
それも敵に向かってではなく、目の前に見える地平線に向けてである。
腰の弾入れから取り出した弾丸を銃に込める。
「俺はまだここでは死ねない」
爆音と共に放たれた弾丸が前方で爆発し、地響きのような音と骨が軋むような音がほぼ同時に聞こえた。熱波が体を覆った。
海が光る。
反動による速度の減少、海温上昇と上昇気流、相手に生まれた一瞬の動揺。すべてが手に取るように分かった。
緑のグライダーが空を斜めに切り裂きながら駆けてゆく。
それは英雄ハヤテの名を冠するに相応しい一迅の風の姿だった。
「......すごい、ほんとにすごいよ」
風になれなかった蠅がバランスを崩してまばらに地に落ちて行った。
「バカアマキ! 感心してる場合じゃねぇぞ! こっちにも来たみたいだ!」
振り返ると新たな部隊が向こう岸の敵陣から飛び立っていた。
ここからの位置関係で言えば、敵が折れた翼にたどり着くまでにこちらがギリギリ合流できるかどうか。
俺はエアブイにアンカーを飛ばしながら、指示を飛ばす。
「全員、速やかに相手の風上に回れ! 急げ!!」
エアブイのギリギリまで巻き取り、出来る限りの最高速で仲間との距離を詰めていく。
しかし間に合わない。本隊が敵の射程圏内に入った。
そしてバシュン、と弾丸が仲間のグライダーを貫いた。
水平線と並行を保てなくなるグライダーの下で口をあんぐりと開けていた。
今にも落ちそうになる中、絶望を醸し出す。
目が、合った。
昔、同じ光景を見た。
強烈な突風と天まで届くような水柱が一瞬にして出来上がり、その場に居る人間を一瞬で地獄に叩き落とした。第二次天変災害の時だ。
バランスを保てなくなったグライダーが小さい弧を描きながら次々に海に放り投げられていくのを見た。
だれもが死を悟った表情で、上に居る仲間を見ながら死んでいく。
生きている者たちを羨むでもなく、その視線はただただ現実を見ている。
そしてその瞳は生きる者に後悔を植え付ける。
その後悔を覚えている人間も、今では俺一人になってしまった。
俺は何もできなかった。
その時から俺は変わった。いや変わったと思い込んでいた。
もう仲間を作らないと決めた。仲間さえいなければ、後悔を植え付けられることもない。関係ない人間が死んでも心は痛まない。結局は当人の実力不足が引き起こした問題だと切り捨てることが出来る。そう思っていた。
それは詭弁だった。
その目を見て確信する。
どんなことを自分に言い聞かせてもその後悔を拭うことは出来ず、何も出来なかった自分を呪い続け、味方が死ぬたびに自責の念が増えてゆく。
「速く相手の風上に回るんだ!!」
弾丸が胴体を貫く音が聞こえた。
遅れた者から死んでゆく。
あともう少しの距離がこんなにも遠い。
あわてふためくアマキの姿が見えた。
エアブイにアンカーを突き立てた瞬間のことだった。
急な負荷にバランスが取れなくなって、アマキのグライダーが下に傾いた。
そして鮮血が飛び散った。
敵の弾丸がアマキの腹を貫通した。
腹から出た赤い液体は霧吹きで散布された水のように細かく空中に散らばった。
ぐらりと傾いたグライダーから胴体が外れて、零れ落ちる。
間に合え。
これ以上加速できないと思っていたグライダーがさらに加速する。
オーバースピードなんて言葉はどこかに吹き飛んでいた。
空中を自由落下するアマキに向かって突進するようにグライダーは突き進み、空中でアマキをキャッチする。
アマキは俺を見て、ホッとしたように眉を緩めた。
初めて何かを成し遂げられた気持ちだった。
降下スピードを緩める。
「待ってろ」
「鷹田さん......」
「すぐにお前を島まで連れて戻る」
「鷹田さん」
「多少の出血はあるが、島まで帰ればどうにかなるだろう。多分、一時間も飛べばどうにかなる。それまでどうにか――」
「鷹田さん」
アマキはホッとしたような表情を浮かべていた。
それは助けてもらえると思ったからではないことに俺は気づいていた。
「俺、もう助からないみたいッス......」
「何を言ってる。お前はまだ――」
「さすがにこれじゃ一時間も持たないことぐらいわかるッスよ......それに俺を持ったままじゃ、さすがのハヤテだって元居た場所まで上がれないです。そのくらい分かりますって」
「それは......」
俺は上を見た。
ずいぶんとエアブイから引き離されている。
今からでもギリギリ戻れるかどうかだろう。
アマキが人懐っこい笑顔を作った。
「俺、ハヤテに憧れて航空隊に入ったんすよ。英雄ハヤテの話を聞いて、そんで俺もそういう風になりたいって......まぁ、実際はこんなもんでしたけど」
「俺は......憧れられる人間になんてなれない。俺がやってきたことはすべて罪滅ぼしで、未だにその罪すら果たされないままだ」
「誰もハヤテのせいで第二次天変災害の事故が起こったなんて思ってないッスよ......今も来てくれた時にすっごい嬉しかったんスよ。憧れの人に看取ってもらえるんスから」
アマキが俺の腕を持つ。
その手に徐々に力が込められてゆく。
「だから鷹田さんは生きてください。ハヤテなら俺の仇も取ってくれるって信じてますから」
その手の力に逆らえなかった。
ぬるりと手から体が滑り落ちて行った。
アマキは俺の顔を見ながら精一杯笑顔を作っていた。
次の瞬間、俺はアンカーを飛ばしていた。
上空のエアブイをかろうじて掴み、巻き取りながら上空へと加速する。
血液が沸騰するようだった。
また何もできなかった。
風を切りながら空を突き進む。
眼前に迫る敵軍は銃弾をばらまきながら、囮を次々に撃ち落とす。
銃弾をかろうじて避けながら風上を突き進むトンボが目を見開くのが見えた。
銃口が向いていたのだ。
「下手な弾でも数撃ちゃ当たるってか......クソッ!」
構えなおすがもう遅い。凶弾の射線が通る。
銃声が響く。
撃たれたのは敵の機関銃だった。銃口はねじ曲がり、出るはずだった弾は出ず、機関銃が火花を散らし爆発する。
風が吹き荒れた。
硝煙を切り裂くように疾風がトンボの傍らに辿り着く。
「ハヤテ!? お前、今あそこに居たはずじゃ――」
「ぼさっとするな。死ぬぞ」
敵を片目で睨みつける。
弾倉が空になるまで銃弾を撃ち尽くし、機関銃をグライダーからパージする。
流れるような動作でアンカーに持ち替え、黒のスーツのど真ん中を貫いた。
引き抜きながら敵の軍団の頭上を飛ぶ。
「ひっ!」
「悪い。あの世で恨んでくれ」
相手の頭上から両足でグライダーを蹴り落とす。重心が傾きバランスの取れなくなったグライダーは真っ逆さまに落ちていく。
悲鳴を上げたパイロットは水底に沈んでいった。
「嘘だろ......銃も無いんだぞ」
「あれがうわさに聞く天変の悪魔かよ......」
意気消沈する敵軍を次々に海に放り込んでゆく。
その様子は感情をなくした機械のようであった。敵は恐怖を、仲間は畏怖を抱く。
そしてトンボは――
「泣いてる、のか?」
無表情で涙も流さずに泣いている怪物を見つめていた。
機関銃が持てるだけの火を吐き出し、力尽きて海の藻屑になる。赤く光り輝いていた空が、灰色の煙に覆われて、煙は風にさらわれる。
雲一つない空はいつもと同じような顔をして、そして海上は瞬く間に平静を取り戻した。
追手の姿も見えない。
「勝った......のか?」
「俺たちが生き残ることが作戦の成功というわけではないがな」
カシュン、という音とともにトンボと横並びになる。熱を冷ますように深呼吸した。
俺たちは自然と目標を見つめていた。
あの軍事工場を制圧することが今回の作戦の目的である。
俺たちの役目はそのための囮であって生き残ることではない。囮部隊は相手の部隊を引き連れて逃げ惑うことが役目だった。まさかこの空が静けさを取り戻すのをこの目で見ることになるとは思わなかったが。
追手が来ないのは囮がバレたからなのか、工場が制圧されることを恐れて拠点の防御を固めているからなのか。
どちらにせよ、相手が空に上がって来ないという選択肢をとるならば、制空権はこちら側のものになるので俺たちの方が有利となる。
だがおかしい。何か嫌な予感がする。
「見ろよ! 急襲部隊があっちからやって来る! すげぇ速さだ!」
トンボは戦いの終わりの兆しを喜ぶが、俺は妙なひっかかりのせいで素直に喜ぶことが出来ない。
本隊が工場に近づいてゆくのが見えた。
あのまま向上に辿り着き制圧することが出来れば自分たちの勝利だ。そして制空権を取っている今ならそれは容易だろう。
なのに何故、相手は部隊を空に飛ばさない?
「妙だ......」
相手が空に兵を飛ばさない本当の理由に思い当たる。
それは――
兵を飛ばさなくても敵を一掃する手段があるから。
工場の扉ががらりと空いた。
重低音と火花と共に姿を現したのは巨大な弾頭。血で染まったような赤いミサイルが工場の口からはじき出された。
海上を切り裂き、突風の中を突き進む。超低空飛行の赤い弾が急襲部隊の方向へと飛んでいく。
気づいたときには急旋回していた。
「衝撃に備えろ!! 何か来る!!」
刹那――雷が落ちる音がした。
鼓膜をつんざく強烈な音、閃光がほとばしり海が燃える。
弾頭から発せられた強烈な熱風。まるで壁に叩きつけられたような衝撃にグライダーが悲鳴を上げる。
そしてその直後に見た光景を俺は知っていた。
「水柱......!」
海水で出来た竜が風に振り回されて暴れ狂う。
巨大な水柱がそこにはあった。
昔の光景が一瞬でフラッシュバックした。あの時の光景と落ちる兵士の絶望の瞳が脳裏に浮かぶ。
間違いない、これは――
「天変災害だ」
俺は弾頭の方向にグライダーの先を向けていた。体が頭に命令していた。
「アンカーを使うな!! 風に逆らったら死ぬぞ!!」
その声を聴いて一早く動いたのはトンボだった。
トリガーを引きかけていた手でグライダーをしっかりと抑える。
その直後、爆風とは逆方向から風が吹く。否、逆方向から風が吹いているのではない。水柱の立つ台風が周りの物をすべて吸い込もうとしているのだ。
急な風向きの変化にパニックに陥った仲間がアンカーを放つ。アンカーがバルーンに触れ、仲間は安堵したような表情になった。
次の瞬間、グライダーはバラバラに砕け散っていた。
グライダーはこの常識外れな風に耐えられない。
それを見た仲間が次々とパニックに陥った。アンカーが入り乱れ、グライダーとグライダーが衝突し、あるものは叩き落とされ、あるものは風を掴みきれずに落ちていく。
「これが......ほんとの天変災害......」
大半の仲間が落ちていく中、トンボだけはかろうじて風を掴み続けていた。
トンボも見ているのだろう、あの絶望の瞳を。
死にゆく仲間に何もしてやれない自分の無力さを呪っているだろう。
「呆然とするな。風にある程度乗ったら、アンカーを出しつつ徐々に上昇しろ。目に頼らず、風の抵抗がある程度無くなった瞬間にアンカーを打ち出せ」
「ハヤテ......なんでお前は冷静でいられるんだよ......」
冷静でいる俺を責めるような声ではない。いつものようなとげとげしい語気が抜けきっていた。
俺はただ単に純粋な疑問を投げかけられたことに気が付く。
その言葉に返せる言葉があるとするならそれは一つだ。
「俺たちは生きなくちゃならないからだ」
トンボは目を見開いた。
押しつぶされそうな重荷を背負わされている今、海に落ちることが出来たらどんなに楽だろうと思う。
だが、俺はそれが出来ない。
死んだ仲間が天国から俺を掴み上げる限り落ちることは出来ない。
息を整える。
タイミングを見計らい、アンカーのトリガーを引く。
アンカーが出ない?
何度かトリガーを押すが反応しない。
俺は最後にアンカーを使った瞬間から何があったかを思い返す。
......そうか。
あの血塗れの弾丸が破裂した瞬間、爆風とともにグライダーから異音が聞こえたが、その衝撃でアンカーが壊れていたのだ。
「アンカーが壊れてる」
まさかこんなところで終わりを迎えるとは思わなかった。
そう感じたときに、俺はようやく数年ぶりに安堵した。
運命に見放された瞬間が俺の死ぬときだ。生きる資格は消え失せた。
これで終わる、ようやく。
「手、出せ」
トンボがこちらに手を伸ばしていた。
そこに握られていたのはアンカー射出機だった。それを見たとき、唖然としてしばらく何も反応できなかった。
見ると脇のあたりにつけられていたアンカー射出機が無い。自分のアンカーを取り外したのだ。
「死ぬ気か?」
「生かす気なんだよ」
なぜ、俺が?
お前は俺のことが嫌いだったんじゃないのか?
ここで終わらせてくれるんじゃないのか?
お前が代わりに背負ってくれるんじゃないのか?
「お前と同じ物を見て思ったよ。俺はあの目を見て、戻って一人になったら、正気で居られる気がしない。俺はお前ほど強くないんだ」
「俺にはもう生きる資格が――」
「生きてくれよ。今さっきまでお前のこと嫌いだったからこんなことを頼めるんだ。お前は英雄ハヤテになってくれ。俺たちの、な」
どうしてお前は。
死んでもいないのにそんな絶望に浸った目をするんだ?
アンカーを手に押し付けられる。
握りたくはなかった。だが、気が付けばそれは手中にあって、無意識に俺のアンカーとすり替わっていた。
俺がアンカーを取り付けた瞬間、誰のものとも分からなくなったグライダーがトンボのグライダーを上から叩きつけた。バン、という無機質な音とともに二機のグライダーがもつれ合って落ちていく。まるでハエ叩きで叩かれた虫のようだった。
俺は歯を強くかみしめてアンカーを打ち出した。
まだ生きている左目も瞑る。もはや前を見る必要も、周りに意識を集中させる必要もなかった。見えるのは瞼の裏に移る屍の顔だけだった。
風と屍が俺を離さない限り、俺は落ちることはない。
俺は疾風ハヤテだ。
――――――――――――――――――――――――――
俺が意識を現実に戻したのは指令室に入った時だった。
目の前には人が立っていた。絶望の瞳を宿していない人間だった。
「お疲れ様です。鷹田少尉」
新井中佐は行く前と変わらず申し訳なさそうな顔をして言った。
その声を聴いて理解した。
この人はあそこで何があったのかを知っている。
俺は指令室にあるパイプ椅子に腰かけた。
「弾丸だ。血のような赤い弾丸だ。あれが工場から放たれて、水柱が立った。あの時と同じ光景だった」
「まさかこのタイミングで第三次天変災害が起きるとは思っていませんでした。ドーブルからは何も言われてませんでしたから、それは上層部も知り得ないことでした」
「だが、ドーブルが天変災害の元凶だった。これは知っていた。上層部もお前も」
答えは沈黙。それだけで十分だった。
この女は嘘は吐かない。後ろめたいことがあるなら、尚更。
「今回の作戦の目的はあの工場の制圧だったな」
「はい」
「破壊ではなく、制圧」
「はい」
俺は無言で新井中佐を睨みつけた。すべてを知る嘘を吐けない人間に罪滅ぼしをさせるように説明を促す。
「ドーブルは天変災害の力を用いて小国にも関わらず世界で覇権を握っていました。そして世界を牛耳ろうとしました。それに痺れを切らした大国は天変災害の技術ごとドーブルをつぶすことを考えました。我が国は開戦の火蓋が切って落とされる前に天変災害の技術を手に入れて利用しようと考えました。奇襲作戦は囮部隊――英雄ハヤテの予想以上の活躍により防衛される間もなく成功するかに見えましたが、ドーブルは自暴自棄になり天変災害を起こし双方に甚大な被害をもたらしました。天変災害に耐えられる工場さえ残れば、あとはどうなっても良いという頭のおかしい覚悟とともに数多くの命を奪い去りました。それがこの作戦の全容です」
その説明を仲間の死と照らし合わせながら嚙み砕いて飲み込む。
ふつふつと体の奥から何かが沸き上がってくるのを感じた。
「天変災害を手に入れて利用するつもりだったと言ったな? そんなことは今に始まったことじゃないだろう。うちの島国は天変災害で燃料を輸入できない代わりに風力発電を採用した。そのおかげで長年悩まされてきたエネルギー問題とおさらばすることになった。自分たちにとって天変災害はある意味良い影響をもたらしていたわけだ」
「それが天変災害後に一番適した発電方法だったからで――」
「各地に建てられた風車が軍の主導によるものだったとしても、か? 異常なほど早い電力の復旧だったとしても、か? まるで天変災害が起きることを予期していたかのような準備の良さだったとしても、か?」
中佐は歯を嚙み締めた。
「ドーベルと我が国に長く癒着があったこと......それは認めざるを得ません、我が国が天変災害による利益を享受してきたことも」
「そして俺の仲間はその犠牲になった。そうだな?」
立ち上がり、詰め寄って、言葉を浴びせかける。
沈黙。
きつく歯を噛み締め、申し訳なさそうな顔をしている。
俺は左目をきつく閉じながら、椅子に再び座った。
わかっている。
これは八つ当たりだ。
目の前に居る女でさえ、上層部という存在を前にして無力さを感じることしかできない一介の人間に過ぎない。
それでも――
「俺は嫌いだ。利益を生み出さない戦争も、平気で人を殺すこの国も、上層部とかいう顔も見たことないような奴らも、無力なお前も、絶望の瞳しか向けない仲間も、誰の命も救わないグライダーも、全部、全部嫌いだ。だから......全部終わらせてくる」
「......一体何をする気なのです?」
中佐の頭から冷や汗が垂れた。
「あの工場を破壊する。直接、弾を撃ち込んで、粉々に破壊する」
「無茶です!! 今は天変災害が起きた直後なのですよ!! その中を工場の破壊できる大きさの砲を持ったまま特攻するなんて......いくらあなたでも出来ません!!」
「出来る。実際、俺は天変災害から二度戻ってきた。一度行くぐらいならなんてことないはずだ」
やったことはないが出来るという確信があった。
体が出来ると言っている。
止めようと俺の体を抑える新井中佐は震えていた。
「弔い合戦だ」
新井中佐はその言葉を聞いて体を抑える手を放す。
「......私はあなたに行ってほしくありません。第二次と第三次の被害者の全員の顔を知っている人間が私一人になってしまうのが......たまらなく怖いです。ですが、あなたがそういう言葉を使うなら、私は送り出さなければならないのでしょうね」
中佐は俺の目を見つめた。
震えは止まっていた。
申し訳なさそうな顔もやめていた。
「わかりました。ここにある弾で一番大きいものを用意しましょう。上層部には後で許可の申請を出しておきます。人が撃つ弾ではないので反動は文字通り死ぬほど大きいでしょうね。覚悟はできていますか?」
「第二次の時からとっくに」
「そうでしょうね」
中佐は少し笑った。
俺は笑う気にはなれなかったが口角を上げた。
中佐は申請書を書きながら言った。
「あなたは全部嫌いだと言いましたね。それは嘘ですね?」
「何が嘘なものか」
「その言葉が本当なら『弔い合戦』なんて言葉は出てこないものですよ」
女の発言を鼻で笑って指令室の扉に手をかける。
「行ってらっしゃい。英雄ハヤテ」
「行ってくる」
そして地獄へとまた一歩踏み出した。
――――――――――――――――――――――――――
太陽は頭上にあった。
今朝来た時は地平線が紫色だったのに、今では真っ白に光っている。
あれから半日も経っていない。その間に冗談みたいな量の命が流れ、あの時ここで戦っていた者はもう自分しか残っていない。
「戻って来たぞ」
戦いを自分以外に知っている者が居るとするならば、目の前の水柱以外ない。命を吸い込み、グライダーと家屋の残骸を巻き上げて、空を灰色に染め上げる。
グライダーを傾け、障害物を避ける。重いランチャーを担いだグライダーがゆっくりと軋んだ。
緩慢な動作ではあるが、まるで瓦礫が自分からグライダーを避けているかのようだった。灰色の雨の中を踊るように突き進む。
視界の端に工場をとらえる。
頑丈な工場だ。朝見た姿のままで立っている。天変災害に至近距離でも耐えられるように作られているということなのだろう。
ふつふつと熱い何かがこみあげてくるのを感じた。
風で激しく動くエアブイに狙いを定めてアンカーを打ち出し、工場へと舵を切る。
「終わりにする、何もかも」
死に場所を求めていた。
数えきれないほどの敵を殺し、仲間を見殺しにしてきた。
死んだ人達に言い訳の出来る死に場所が欲しかった。俺はお前たちに助けてもらった命を使ってこれだけのことをしてきたと説明できるだけの死に場所が。
つい今朝まで味方が乗っていた量産型のバトルグライダーが脇をかすめて飛んでいく。
見殺しにしてきた仲間の顔が浮かんだ。
アマキやトンボの姿も当然のようにあった。
俺はあいつらのことを仲間だと思っていたらしい。
もう情が移っていたのならもっと優しく接しておけば良かったと思うが、今思ってももう遅い。
待ってろ。もうすぐそこに行く。
眼前に工場が迫る。
オーバースピードなんて言葉は最初から頭にない。
最高速度に達したグライダーは一迅の風となり、緑の翼が灰色を切り裂く。
ランチャーを脇で挟み、トリガーに指をかける。
左目を見開き、スゥーッ、と息を吸った。
「うぉぉぉぉぉおおおおお!!!」
雄たけびと共にトリガーを引く。
骨が砕けるような痛みと共に、全ての悔恨を背負った弾丸がはじき出された。
恐れはない。
全てが終わったという安堵が恐れをはるかに上回った。
やっと仲間に顔向けできる。
工場で破裂した弾丸は全てを破壊しながら熱を広げる。
熱が体を覆った。
辺り一面を照らした光は、疾風事変の終わりを告げていた。
――――――――――――――――――――――――――
「今朝の奇襲作戦で我らの軍は大半の同胞を失った。唯一戻って来たのは第二次天変災害を生き延びた英雄ハヤテ、もとい鷹田少尉のみだった。しかし鷹田少尉は頭に血が上って敵の工場に対物ライフルを持って特攻した。工場は爆散。技術と共に空に吸い込まれた。そういうことなんだな? 新井中佐」
「はい、間違いありません」
私が居るべき席には60ぐらいになる男が座っていた。
第二風力発電軍事基地、指令室のキャスター付きの椅子に座った男は偉そうは髭をいじりながら報告書を読んでおり、私はその目の前で立たされている。
軍の上層部であるその男がこの辺鄙な土地まで来ているのは、単に報告書の確認という目的だけではないだろう。
「我々の目的はあの工場を制圧することだった。しかしそれももうかなわんというわけだ」
「はい、残念ながら」
残念ながらという言葉のイントネーションに皮肉を込める。
目の前の鈍感な男もあからさまな皮肉には気が付いたらしい。
「君は彼にここにある弾頭を無断で貸し出した。この作戦が台無しになった一端は君にもある。然るべき処分は受けてもらうぞ......まぁ、戦争の火種が無くなってしまったからこの軍の階級がどれほどの意味を持つのかは分からんがな」
「申請の書類は出しましたが?」
「......申請の許可をしたつもりはないが」
男は頭を抱えた。
「しかし疾風事変の名を与えられた戦争がハヤテという名のものによって終止符を打たれるとは皮肉なものだな」
「ええ、本当に」
「君はこうなることを望んでいたのではないのかね。同胞が死ぬことに一番の無力感を感じていたのは君だっただろう?」
「さぁ、どうでしょう」
死んでいった同胞の顔も知らず、同胞という言葉の意味しか知らない人間に、私の気持ちを知られたくはない。
男は私の素っ気ない態度にフンと鼻を鳴らした。
綺麗に文面の整えられた報告書をデスクに置き、うんざりしたように項垂れる。
軍の思惑が空振りに終わったところを見るとどうやら彼の計画は上手く行ったようである。
「で、当の本人から何か弁解の言葉はあるかね? 英雄ハヤテ殿」
男は皮肉めいた言葉でそう言った。
そして言われた本人は私の後ろから前に進み出る。男は右腕から上半身のほとんどにギブスが塗り固められ、その上から包帯が巻かれていた。
「いえ、何も」
「全く......君らは上官に対して気を遣うという意識が無いのかね」
鷹田中尉は毅然とした態度で男を睨みつけている。
男はため息をついた。
「処分については追って連絡する」
「えぇ、楽しみにしています」
男は指令室から頭を抱えながら出て行った。
私は傷だらけの英雄に向き直る。
「第三次天変災害の真っ只中を潜り抜け工場に特攻し、一時は通常では考えられないほどのオーバースピードに陥るも、工場が爆破されたことによる上昇気流と弾丸の反動によってかろうじてエアブイの高度まで戻ってきて、右腕からあばら骨にかけてが粉々に折れた状態だったにも関わらず左腕だけでここまで戻ってくる......さすが英雄ハヤテですね。まさか戻ってこられるとは思いませんでした」
「正直、自分でも驚いている」
「よく無事で戻ってきてくれました、鷹田少尉」
鷹田少尉は困ったように笑った。あれだけ終わらせると言って出ていったのに、合わせる顔が無いといった感じである。
医務室からの報告によると、生きていることだけでも奇跡に近く、天変災害の中を戻ってくることなど不可能で、ましてやあれから一週間で二本足で立てるようになるなんて医者が別の意味で匙を投げるレベルらしい。あいにくというか、当然というか、右腕が完治することは無いと言っていたが、彼ならもしかしたらやってくれるかもしれないと信じている自分が居る。
悪運が強いというかなんというか、彼はこの地獄に愛されているらしい。
「これからどうするのです? 当然、軍は抜けるのでしょう?」
「いや、俺はまだ軍に残ろうと思う」
「どうして? こんなところに居たって良いことなんて一つもないでしょうに」
「中佐がそれを言うのか」
どうして、と聞いておきながら、私には彼の気持ちが分かる気がした。
「工場を破壊して、仲間の恨みは晴らせましたか?」
「いや、全くだ」
「でしょうね」
予想した通りの答えが返ってきた。
「あなたが残るなら、私も残らなければならないでしょう。せっかく今退職すれば一生遊んで暮らせるだけの退職金が手に入ったというのに。私たちのお先は真っ暗ですね」
「そうみたいだな」
軍におそらく未来はないだろう。それこそ新しい戦争でも起きない限り。
でも私たちはしばらくは戦争が起きないであろうことを知っている。
「私たちの仇討ちはいつ終わるのでしょうね?」
「さぁ? 死んだ仲間が全員生き返ったら終わるんじゃないか?」
「そうかもしれません」
私たちの仇討ちはまだ当分の間終わらないらしい。
外は今日も風が吹き荒れていた。
途中で匙を投げかけましたが、最後まで書けて良かったです。
この短編は大学のサークルで出されたキーワードをもとに作られたのですが、そのキーワードは『風車』『折れた翼』『疾風』でした。
最初に考えたのが、これらのキーワードから連想されるイベントについて思いつくだけ書いてみることでした。風車なら(電力が風車のみで発電されている世界)とか(主人公は風車の保守点検を行っていた)とか(壊れた風車小屋を根城にするホームレス)とかそんな感じです。それらの使えそうなところだけ取って短編を作った感じです。
途中で天変災害とか疾風事変とか英雄ハヤテとかちょっとかっこいい言葉を思いついたのでそれを物語の主軸にしようと思って短編を考えました。すると良い感じのシチュエーションが浮かぶ浮かぶ! 特に物語の途中で第三次天変災害が起こるのは自分でもよく風呂敷を広げたな、と思いました。風呂敷を畳めるかどうかは別問題だったのですが......
昨今の物語はストーリーの出来が昔に比べてかなり良く、広げすぎじゃないかっていうぐらい風呂敷を広げて、それを一気に畳むのが主流になっています。自分もそれに倣って風呂敷を出来るだけ広げてみようとした結果がこの小説です。
そうした結果、読者がついて来られるのか分からないくらい物語のテンポが速くなり、主人公の気持ちが複雑になって説明をはさむキャラを多めにしたり......まだまだ実力が足らないと実感するばかりです。読者の気持ちと一体になれるように頑張りたいです。
長い間一つの短編と向き合うとアレですね......「おもしろい」がどういうことか分からなくなりますね。自分的には面白い短編が書けたと思っているのですが、独りよがりにならないことを願っています。
というわけでめちゃめちゃ感想欲しいです。待ってます。