押し入れリウムより
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやは、押し入れの中で寝た記憶ってあるか?
俺は小さいころに、何度かある。あの狭い空間に押し込められている感覚は、安心感を覚えるんだよ。なんとなくな。
そもそも、人間は生まれる前に子宮へ押し込められている。それに近い環境を提供されると、人によっては安らげるんじゃなかろうか……っていうのが、俺の想像だ。
でも実際、押し入れで寝続けるのは、危険もともなうとか。
押し入れは、床板ほど丈夫に作られていない。ふとした拍子に抜けてケガをする恐れがあるし、狭い空間ゆえ湿気もたまってしまう。
人間、寝ている間に、けっこうな量の汗をかいているからな。そいつがあの狭苦しいポイントにこもるとカビルンルンで、体に良くない影響が出ると聞く。もちろん、人によって体の頑丈さは違うから、必ずしも症状が出るとは限らないが。
そんな不安点なぞつゆ知らず。子供のころの俺は、押し入れを寝床にし続けていたんだが、あることをきっかけに、ぱたりとやめるようにしてな。そのきっかけの話、聞いてみないか?
俺の家は、少しまとまった休みが取れると、母方のじいちゃんの家によく遊びに行っていた。泊りがけになることも多くて、俺は特に押し入れを気に入っていた。
フローリングがメインのわが家では、なかなか味わえない「い草」の匂いに包まれることもあって、とても新鮮な印象を受けてな。大人たちが話している中、寝室として使われる二階の押し入れの、詰め込まれた布団の上に、よく寝転がっていたよ。
じいちゃんの家の押し入れは、二段になっている。一段目に敷布団と枕たちが積まれ、二段目に掛け布団や毛布が乗っけてある。
俺は自分のちっこい体を生かして、一段目の枕たちと一緒の場所へもぐりこみ、上を見る。
棚としての中仕切りがある。ところどころ、下駄の足のように突き出た補強板の間から、素の板の姿がのぞいた。
俺は、木を使った床や柱の木目や模様を観察するのが好きだった。森の中へ立っていたときの姿を思わせる、幹のふくらみや黒ずみ。枝を落とした痕や年輪の寄り方など、何分も眺めては想像を膨らませたりする。
で、ここの仕切り板の場合は、少し特殊だ。
外から明かりを通して見ても、薄暗く感じてしまうほどのこげ茶色の肌。それが全面に広がる中で、あちらこちらに白い点が浮かんでいるんだ。
穴とは思えなかった。上に布団が乗っかっている状態でも見えていたし、手で触ってみても引っ掛かりを覚える個所はなくて、普通の板と変わりない。
「汚れかな?」と思っても、こすって落ちる様子も見られなかった。しかもこいつは、たとえ押し入れの戸を閉め切っても、暗い中でもはっきりと視認できる白いぽつぽつとなって、寝転がる俺の眼前に散らばるんだ。
まるで星のようだ、と俺は思った。
プラネタリウムは数回、見に行った記憶がある。大きさではあちらの圧勝だが、たいていが博物館などに併設される以上、自分以外の客の入りは避けられない。俺はその手の気配を感じると、少し興ざめしてしまう。
その点、押し入れの中なら、そばに誰かの気配を感じることもない。この点の正体を突き止めるべく、俺が押し入れにこもる時間は、どんどん長くなっていった。
あまりに外へ出てこないものだから、一度親が様子を見に来たことがある。さすがによく心得ていて、すぐに俺が押し入れに入っていると判断。足音が近づいてくるや、すぐさま戸が開かれ、そこには母親が立っていた。
何をしているのか。俺は尋ねられるまま素直に答えたが、どうもおかしい。母親には、俺が話す仕切り板の星は見えないらしかった。いくら熱心に説いて、中をのぞきこんでもらっても変わらず、「お遊びもほどほどにね」とくぎを刺されてしまう始末。
当時の俺には、どこかバカにされた感じがして、カチンと来たね。すぐ父親も呼んできて確かめてもらったけれど、その場では母親の味方。俺はますますふくれっ面になった。
だが、帰宅後に俺が部屋でむくれていると、こっそり父親がやってきた。
実は父親も、小さいころに同じような現象に出くわしたことがある。押し入れと天井の違いはあったが、やはり穴が開いていない場所に、星のような並びが浮かぶことがあるのだとか。
「まずは様子見だな。おさまればよし。現状でもまあ。だが、もし見える星の量が増えていくようなら……お前もコンタクトが必要になるかもな」
父親は両目に、カラーコンタクトを入れている。素の虹彩に近いブラウン系のものだ。
俺は裸眼でも、視力1.2はくだらない。もしやあれは、視力低下の兆しかと不安になったが、父親はあごに手を乗せて考え込むしぐさ。
「場合による、としかいえないな。ひとまず、こんど見ることがあったら、星の並びをよく覚えておけ。できれば紙に書き写せるくらい。それで判断しよう」
妙なことになった、と思いつつも、俺は押し入れの中に入るのは自重し始める。けれどもあの星たちはほどなく、父親が話したように明かりを消した天井や、部屋のカーテン。ついには閉じたまぶたの裏にも、うっすら浮かぶことさえあった。
――原因は場所じゃなく、俺の目にある……!
さすがの俺も察するさ。
コンタクトを入れるのを怖がっている友達の話も聞いていたし、どうにか避けたいなあと、遠くを見るよう心掛けて、自分の視力を保とうと試みたのさ。
だが、時間が経つにつれて、見えてくる星の数は増えてくる。これまでは一等星だけだったものが、二等星、三等星まで出しゃばり始めた……ってとこか。元から見えている星は、いずれも消えず、動きもせず。
見えている時間に関してはまちまちだ。長くみられるときに、ある程度位置を押さえて紙に映し出すも、ふと俺は手を止める。
――これ、素直に報告したら、コンタクトフラグじゃね?
ただ「星」を見るのを我慢しさえすれば、生活に支障がないのでは。コンタクトに頼らずに済むなら、それでいたいし。
そう勝手に考える俺は、以前の段階から進んでいないと父親にウソをついた。症状が悪化しないなら、まずよしだと、確かに父親はいっていたからな。
父親もそれ以上追及してくることはなく、俺も目にする星の数は若干増えたものの、明暗合わせて80個程度で安定。
あとはこれを我慢し続ければ……と考えた矢先のことだったよ。
夏場の夕方。父親と一緒に、家の近くのコンビニへ買い物に行ったんだ。
暑さ和らいでくる中で、涼みながら味わいたい、酒につまみにアイスに……わかるだろう?
家からは大通りより、裏道を使った方が近い。民家の間を縫って着いたはいいんだが、問題は帰り際だった。
適当にだべりながら歩く俺たちに、塀の上から声をかけてきたやつがいたんだ。
猫さ。真っ白い毛並みに、真っ赤な目。尻尾を「?」マークに曲げて、俺たちに何かを聞こうとしたのかもしれない。
でも、出会いも別れも一瞬だった。
俺がぱっと目を向けたとたん、右の瞳のずっと奥の方でどくりと、水が流れて管がうねるような嫌な感覚が走ったんだ。
思わず手で目を押さえようとしたけど、その直前。にわかに涙があふれた感じがするや、いきなり現れたワシの手のようなものが、猫の体をがっしりつかんだ。
手の根元は見えない。なぜならどう見ても、俺の右目から飛び出しているような位置なのだから……。
猫をつかんだまま掃除機のコードのように、勢いよく引っ込んでしまうワシの手。だが、俺はもちろん隣で歩いていた父親にも、がっつり確認された。
「お前! ウソをついていたな。あんなになるまで、ごまかしてたのか!」
肩をつかまれ、がくがく揺さぶられる。目の奥ではまだどくり、どくりと水の流れを感じるも、俺はそれ以上に、あの手と猫が中にあるのが信じられない。逆に俺の方が、父親に質問を返していたよ。
父親はいう。星の並びは、ここと違う場所を結ぶことがあるのだと。
そしていまの俺の目は、そのつながる星の並びが刻まれてしまっている。ゆえに、あのワシのような手が出てきたのだと。
あいつらは別の世界のもの。ワシの手も、つかまれた猫も、もうこの世に存在していない。けれども「穴のふち」が出入りで傷まないはずがない。実際、俺の右目は左目に比べて、恐ろしいくらいに充血していたんだ。
それから間をおかず、眼科へいく羽目になってさ。俺はコンタクトデビューを果たした。
視力の関係じゃない。コンタクトをしている間は星の並びが乱されるのか、あのような現象に出くわすことがない。
ただあの日のインパクトが、当時の俺にはきつすぎてな。もし眠っている間に同じようなことがあったら、まぶたがひとたまりもない。しばらく寝ている間もコンタクトをつけ続けて、リアルに視力が下がったんだ。
すると、あの星の並びは全然見られなくなってさ。いまはこうして裸眼で暮らすことができている。ただ父親は、相変わらずカラーコンタクトを使っているんだよなあ。