72.色々残念な温泉回
牛馬車は川幅200mほどある大河の前の、小さな集落に到着した。
この集落の家は、全て筏や船の上に建てられいた。
川がいつ氾濫しても大丈夫なようにしているのだろう。
家は簡素な造りだが通行料で儲けているのか、集落の民は皆、良い服を着ており裕福そうな体格をしていた。
街道は渡し船の発着所に繋がっていた。
通行料を支払い、桟橋から大きな筏に乗り込む。
対岸とはロープが渡されており、そのロープに筏を接続。
滑車でロープを回し、牽引する事で大河を渡るのだ。
原始的だが、これなら最短距離で確実に対岸に行ける。
出航の合図で滑車を回す牛馬が動き始め、ゆっくりと推進を始めた。
しばしの休憩タイムである。
「鬼人族って、こういう乗り物考えるの得意だよね。」
アリサが牛馬車の屋根の上に腰掛けつつ感心していた。
ゼムノア君も景色を眺めながらリラックスしている。
「昨日の雨で増水が心配だったが、無事に渡れそうだな。」
アイン領主は泥が跳ねて汚れた馬車の外装を、御者と一緒に拭いていた。
「あ、また釣れましたよシャチョー様!」
「これを釣りと呼んで良いのか、反則臭いがね・・」
私とリティア君は、乗船手続きから対岸に渡りきるまで暇なので釣りに興じていた。
クルティナ君に頼んで、魚群がいる場所を探り、そのポイントに飛んで行って、リティア君が出した釣糸を垂らす。
この世界の魚は、魔力の高い物に反応する模様で、生き餌ではなくても食い付くらしいのだ。
ハンター三人組から教えて貰った通りにやってみたら入れ食いである。
これは楽しい。
僅か数分で5匹も釣れた。
釣れた魚は、一部昼食のオカズに。
余った分は集落の人にあげた。
◆
対岸に到着したら、すぐに走り出す。
雨で足止めを喰らった昨日の遅れを取戻すべく、 本日は二つ先のハーゲンの町まで走る予定なのだ。
暫くは平原が続き、ハーゲンの町に近付くと標高が上がっていく。
スピードよりパワーと持久力重視の牛馬車は、緩やかな傾斜など意にも介さずに登って行った。
少し遅くなったが、無事にハーゲンの町に到着。
ハーゲンはシェルダグラス領の前に聳えるダン山脈の麓の町だ。
そこそこの標高がある高原に位置しており、吹き抜ける風は冷たい。
針葉樹の森が周囲を囲い、ダン山脈の澄んだ雪解け水が美しい渓流を生んでいる。
その渓流に沿って街が形成されており、風光明媚な景観の美しい町並みだった。
夕食の準備の為かあちこちの煙突から煙が上がっている。
ダン山脈を越えた先がシェルダグラス領だ。
街道が整備されているので特に険しい場所はなく、牛馬車での通過は問題ない。
だが標高が高いため時間がかかる。
気温も低く、峠付近はまだ雪が残っているらしいので、気を付けて通らないといけない。
峠越えは牛馬の負荷が高いので、登る前に休ませる必要がある。
そこで街道を往来する者は、大抵ハーゲンに宿をとって旅の疲れを癒す。
明日は補給して、昼前に出発。
峠を越えたら麓に町があるので、そこでまた宿泊。
明後日シェルダグラス領を抜け、王都エレングレイドに至るという行程となった。
「この宿には温泉があるので、入ってみると良いぞ。」
今夜の宿泊先には温泉があるようだ。
アイン領主の提案に、アリサとゼムノア君は喜んだ。
早速温泉へ行く支度をして、部屋を出ていった。
ゼムノア君、どっちに入るのだろうか?
ま、どのみち私は木なので入れないんだけどね。
木になった事を若干憂いた。
「シャチョー様はどうなされますか?」
「私は入れないからね。リティア君は温泉には行かないのか?」
ま、女神様なので無用なのかもしれない。
汗もかかないし、汚れもしない、疲れも知らないだろうからね。
「私はシャチョー様と一緒に居れば、それが一番の癒しです。それとも一緒に入りますか?いえ、是非一緒に入りましょう!」
『ダメだ駄目駄目駄目!リティア様と温泉など、断じて認められない!許さんぞ妖木!』
妨害が早いなぁクルティナ君。
心配しなくても、入る必要がないので入らないよ。
ただ私は魔力感知による全方位長距離視界なので、女湯を覗こうと思えば、この部屋からでも覗けるのだよ。
一緒に入ろうが、ここで待っていようが関係ないぞ?
それに私は木になったことで性欲はゼロとなった。
万年賢者タイムだ。
今更リティア君の全裸を見たとしても、ピクリともしない。
美術館でビーナス像の彫刻作品を眺めるようなものだ。
その為私はクルティナ君を無視して、リティア君と会話を進める。
「植物にとって温泉は、健康に良くないのではないかね?」
前世の記憶で、火山地帯の噴煙やガスにやられて、立ち枯れた木を見た事がある。
人にとっては有効成分でも、木にとっては有毒かもしれない。
「問題ありません。水溶魔力だけを吸収すれば良いのです。」
「なるほど」
『ダメだ駄目駄目駄目!リティア様と温泉羨ましい!』
クルティナ君がウザい。
「クルティナ、あなたは温泉に入る必要などないでしょう?」
『嫌だ嫌だ嫌だ!妖木とリティア様が一緒なのがイヤだー!代われ妖木!ワタシが入る!』
確かにこれでは情緒も何もない。
ずっとクルティナ君の怨嗟の声を聴きながら浸かる温泉など、何の罰ゲームだろうか。
落ち着いて浸かれないし、疲れも取れないだろう。
「うるさいなクルティナ君。君はこちらに来れないから、物理的に無理だろう?」
『うぐぐぐぐ・・はっ!そうか!』
うわ、何か良からぬ事を思い付いた感あるセリフ。
「静かになりましたね。」
「諦めたようには思えなかったが・・」
ドタドタドタドタ
バン!
「お待たせしました!参りましょうリティア様!」
「え!?クルティナ?どうやってここに?」
勢い良くドアを開けて入ってきた人物。
それは見たことない超長い黒髪の絶世の美女だった。
リティア君の反応から、彼女はどうやらクルティナ君らしい。
普段声しか聞こえないので初めて見た。
(声が聞こえること自体が反則臭いのだが・・)
クルティナ君って、こんな姿してたのか。
リティア君も最初見たときは物凄い美人だったけど、クルティナ君も負けていない。
すれ違う人は男女問わず、全員が二度見しそうな美女だった。
星空のような髪に、宝石のような瞳、吸い込まれそうな肌。
さすが女神だ。
さすが女神・・
全裸だけど・・。
なんて格好で歩いてるんだクルティナ君!!
あーもークルティナ君!!
「ゼムノアの身体を借りました!」
そんあ恰好で誇らしげに言うな!
鼻息荒く、興奮した様子で、自分の姿などまるで気にしていない。
その瞳にはリティア君しか見えていなかった。
『クルティナー!貴様これは反則だぞ!早くボクの身体を返せ!』
『黙れゼムノア!あとで良いものを授けるので待て!』
ゼムノア君から思念通話のクレームが届いた。
どうやらゼムノア君の承諾を得ずに、強引に身体を乗っ取ったようだ。
その上、全裸でここまで走ってきたのか?
羞恥心や理性というものが欠落しているようだな、このポンコツ女神は・・。
「クルティナ、合意の上に思えないのですが?」
あのリティア君が呆れている。
あのリティア君でさえも!
そして、スッと手を翳すとクルティナ君の身体に服が召喚された。
おおスゴイ。
そしてやっと目のやり場を得た。
目はないけど。
「勿論合意の上です!さあ行きましょう!温泉に行きましょう!ハァハァハァ」
動きがウニョウニョ気持ち悪い!
美人が台無しだ!
「ダメです。ゼムノアに身体を返しなさい。」
「イヤだイヤだイヤだー!リティア様と温泉に入るまでイヤだー!」
まさかの寝転がり抗議行動にドン引きである。
美人のあんな姿は見たくなかった。
クルティナ君・・お願いだ。これ以上女神の威厳を崩さないでくれたまえ。
埒が開かないので、事情を天界にいると思われるゼムノア君に訊いてみる。
恐らく鑑定スキルとして会話が可能だろう。
『ゼムノア君、聞こえるかね?』
『シャチョー様ー!そこのアホを何とかして下さい!』
いつもクルティナ君に問いかけるようにしたら、無事に会話が出来た。
『了解した。取り敢えず落ち着きたまえ。その・・クルティナ君に身体を入れ換えられたのかね?』
『そうです。ボク追放されたのに、戻って来ちゃってるんです!こんなの前代未聞ですよ!見付かったら、消滅されちゃいますよー!』
さすがクルティナ君だ。
自分の欲望の為なら、周囲の迷惑など意にも介さない。
「リティア君、クルティナ君を強制送還は可能なのかね?」
「貴様!妖木!邪魔をするな!」
あー言動がクルティナ君だ。
いつも天界でこんな顔して喋ってるのか・・。
なんだかお気に入りのラジオ番組のパーソナリティーに会った気分だ。
「可能ですが、同意を得なければ時間が掛かります。」
「そんな!リティア様!」
怒ったり泣いたり忙しい娘!
クルティナ君の事だ。リティア君と温泉に入らない限り、自主的に帰る事はしない。
強制送還にも時間が掛かるなら、クルティナ君を鎮める為にも、温泉に一緒に入らせてやれば満足して自分で帰るだろう。
ここは効率と合理性を重視して、私は次の様に提案した。
「・・仕方ない。リティア君、クルティナ君と温泉に入ってあげなさい。クルティナ君もそれなら満足だね?」
「おお!妖木!」
えーい、こっちを見るな!
「その代わり10分まで。ゼムノア君が困っている。」
「10分でリティア様エキスを堪能すれば良いのだな。よし判った!」
クルティナ君からの同意を得られた。
ちなみにリティア君エキスとは何だ?
それから相手は何でも有りな女神様だ。
しかも、反則技も平気で使ってくる残念チート存在である。
制限時間を誤魔化される可能性があるので、念の為に釘を刺しておいた方が良いだろう。
「時間とか操作するのは無しだぞ?」
「・・善処する。」
なんだその間は!
「努力目標にすることではない!禁止だ禁止!」
「ぐぬぬ、だがそれでも良い。ささっ、行きましょうリティア様!」
「仕方ありませんね。では参りましょう。」
クルティナ君は上機嫌で温泉に向かった。
◆
クルティナ君は意外に大人しく温泉に浸かっていた。
ずっとハァハァクンカクンカして気持ち悪いだろうと思っていたが意外だ。
但し、恍惚の表情と憤りの表情を忙しく変えながら浸かっている。
「どうして妖木まで一緒なのですか?」
彼女の刺すような視線が痛い。
・・・・。
気まずい!
「一緒に入ると言ったではないですか?」
私はリティア君に抱かれて、乳白色の湯に根っこだけ浸かっている。
何だこの構図は?
「ねぇオジサン、この人誰?口調が聞き覚えあるんだけど?」
アリサは私も女湯に入ってきた事を訝しんだが、今更だと割り切って普段通りだ。
そしてリティア君に引っ付いて入ってきた美女を怪しんだ。
ちなみに女湯は、我々の他には誰も居ない。
先程不自然に全員が出ていった。
なんかやっただろクルティナ君!
そして私はアリサに事情を説明する。
「あれ、クルティナ君らしい。」
「はぁ!?鑑定スキルがどうして出て来んのよ?」
そう思うよね?
「ゼムノア君の身体を借りたそうだよ。」
「引くわー、クルティナならやりかねないけど、引くわー」
アリサも呆れていた。
そしてクルティナ君だからで納得した。
それで良いのかね!?
「あんな姿してんのね。」
「普段は声だけだから新鮮ではあるな。美人だろうとは思ってたけど、あそこまで美人だとはね。逆に美人だけに、あの残念な発言と挙動が心底勿体無い。」
「分かるわー。」
クルティナ君はリティア君の隣に密着状態で浸かり、時折クンカクンカしてはうっとりしていた。
大 変 残 念 だ !
「嗚呼、素晴らしい!やはりゼムノアを復活させて正解だった!」
「君、確信犯か・・。」
ノリノリで封印を解いたのは、この目的の為か。
「妖木、今回はこの功績とリティア様に免じて許してやる。」
功績と表現するな。ゼムノア君が不憫でならない。
「10分したら帰りたまえよ。ゼムノア君が心配だ。」
今頃ゼムノア君は、天界でビクビクしながら隠れている事だろう。
見付かったら消滅という、ペナルティがシャレにならないかくれんぼ中である。
「アイツの事なら問題ない。意識のみを入れ換えているので、身体から出る波動はワタシのものだ。見付かった所で、すぐには判らないはずだ。」
「何でもありだな。」
根拠がよく分からないが、私の関与する所でもないので聞き流した。
そしてアリサが爆弾を放り込む。
「ねぇねぇ、何でノアちゃんとクルティナが入れ替われるの?」
あー、そこ聞いちゃう?
まぁ私も、何故入れ替われるのか原理や制限を知りたくはあった。
クルティナ君の事だ。禁止にしようがお構いなく、リティア君エキスが不足する度に今後も濫用するだろうから、対策を立てておきたい。
「アイツとワタシは、種族的に意識の波長が合わせ易いのだ。入れ替わっているのは意識だけで、実体はゼムノアのままだ。この姿は”見る者の意識に、実物と違う姿を投影するスキルの一種”を使用している。故にゼムノアの身体に、ワタシの姿を投影していて、アリサはその映像を見ている過ぎない。」
お?上手く説明したなクルティナ君。
スキルのせいにした。
不思議な事は大体魔法とスキルのせい!
「ふーん。スゴいじゃん!」
絶対分かってない。
「ふふふ、今後はこの手でリティア様に会いに行ける!」
「クルティナ、次は同意を得なさいね・・。」
「お任せ下さい!」
全く任せられない!
欲望に素直過ぎるクルティナ君に任せていたら、いつか取り返しがつかない失敗をしそうだ。
彼女に振り回されるゼムノア君が不憫過ぎる。
まあしかし、先程も思ったが、声だけしか接点の無かったクルティナ君の姿が見れたのは良かった。
リティア君と同様、見た目だけは実に目の保養となる。
口調から、もっと男っぽい姿を想像していたが、見た目だけはナイスバディな女性らしい線をしていた。
「何だ妖木。ワタシの姿に何か不満か?」
よく私の視線に気付いたな。
目が無いのに。
「いや、見た目だけは綺麗だなと思っていただけだよ。」
「ふん!これでもワタシは人気ランキングでリティア様の次に人気があるからな。その程度の社交辞令など聞き飽きている。ワタシの機嫌を取ろうなど浅ましい真似をしても全く響かんぞ。」
嫌味も含めて伝えたのだが、それも効いていないようだ。
「ふふ、その割には嬉しそうではないですか。」
「リティア様、何を言うのですか!」
ツンデレ女神だからな。
確かにたまにデレるところは可愛らしい。
『シャチョー様、時間です。』
「クルティナ君、時間だそうだよ。」
ゼムノア君から10分経過の通達があった。
「チィ、ではリティア様、早急な帰還をお待ちしています。」
フッと何か意識に違和感を感じて、次の瞬間には隣にゼムノア君がいた。
「はぁぁぁ、やっと戻れた・・。」
深々と溜め息を吐くゼムノア君。
心から安堵しているように見える。
『フム、君はあっちの世界に未練はないのかね?』
天界から追放されたと聞いているので、久々の里帰りになって、ある意味良かったのではないかと思い、直通思念通話で尋ねてみた。
『ボクはもうこの世界の一員ですよ。亜人族が水中で呼吸できないように、ボクもあちらでは長く活動が出来ません。』
『なるほどね。』
天界は生物が生きるのは困難な場所なのか。
理由は判らないが、つまり、クルティナ君との入れ替わりは制限時間があると。
「ノアちゃん、それ・・」
「ん?ボクに何かある?」
「うん・・さっきまで無かったのが・・」
あー、クルティナ君が言ってた「良いものを授ける」という対価かな?
はて?何が貰えたのだろうか?
先程から、変わった所はないが?
「胸・・」
「へ?」
あー、確かに。
元は平らだったな。
今はそこそこ大きく膨らんでいた。
「く、クルティナぁーー!余計な事ばかりーー!」
サバァーッと立ち上がったゼムノア君。
あ、良かった。
股間には何もツイてはいなかった。




