第一話 桜と共に…
ひらひらと桜の花びらが散りゆく中、すがすがしい風が教室の窓から吹き込んできた。
その風を浴びながら、僕はただ、入学式を終えた新入生が、親と一緒にぞろぞろと校門へと歩いて行くのを、窓によりかかってぼんやりと見ていた。
「はぁ…」
絶好の入学式日和(?)とはまさにこのことではないかというほどの爽やかな天気である。
しかし、僕の心は、その爽やかさにふさわしくなく、深く沈んでいた。
(何かこの天気みたいに、心が晴れることがおきないもんかね~………)
「お~い、織倉~! どうしたんだよ、情けない顔して~? 」
さて、この爽やかな天気にこれまたふさわしくない騒がしい男が、ボーっとしていた僕のところへ、手をあげながら歩み寄ってきた。
僕は彼をちらりと見て、
「なんだ、宮下か…」
と言い、また、今日何度目かわからないため息をついた。
「なんだとはなんだよ~? せっかく落ち込んでるお前を元気づけてやろうと思ったのにさ~」
と言い、肩にかけていたカバンの中を、ごそごそとあさり始めた。
(誰も落ち込んでるっていった覚えはないんだけどな…)
と思ったが、まあどうせ言うだけ無駄である。
彼のテンションの高さは他に類を見ない。
絡まれると皆面倒くさがるが、なんとなく憎めないキャラクターだ。
中学校入学当初に席が隣で、初登校日に話しかけられて以来、中高一貫校であるこの学校で、今年高校1年になるまで4年目の付き合いだが、いまだにコイツの性格はよくわからないのだ。
「お、あったあった」
と言って、彼はそれをカバンから取り出し、それを高く上げて見せた。
僕はてっきり、アメ玉かガムぐらいのものだろうと考えていたのだが、どうやらそのシルエットはなかなかそんなものではないらしい。
彼が女子も多くいる教室の中で、高々と掲げていたものはなんと………
「おい!バカッ! こんなところでっ……」
…………まあそのなんだ……思春期の男の子のための…いわば『読み物』である。
ヤダ~ッ
男子ってばあんなもの~
そんな声が教室の隅っこで話していた女子の方から聞こえる。
僕はあわてて彼の手からその…『読み物』をひったくり、自分のカバンにねじ込んだ。
「あ!おい! 大切に扱えよ~! 俺の宝物なんだからな!」
よくもまあ周りを気にせずにそんなことを大声で言えるものだと僕は感心した。
感心ついでに彼の頭に一発ポカッとお見舞いしてやったのだが。
「いって~な……」
彼は頭を押さえながら言った。
「んで? どうしたんだよ? 元気ないじゃんか。せっかくあと一つ授業が終わったらメシの時間だってのにさ~」
メシがもうすぐだから元気という理屈は、まあこの年頃の男子なら誰もが共感できるだろう。
もちろん、僕も普段ならそうだ。
だが、今日は到底そんな気分ではなかった。
「ん~…いや…なんかさ……あれ見ててさ」
と言って、僕は窓の外の新入生を示す。
宮下は窓から「ん?」と覗き込んで「ああ~、今日入学式だっけか」と思い出したように言った。
「で?あれがどうしたんだよ?可愛い子でもいたか?」
僕がもう一発お見舞いしようとこぶしをあげたが、彼はその手を見てすかさず僕と距離をとる。
僕はふっと息をついて手をおろした。
「違うよ、そんなんじゃない」
「じゃあどんなだよ?」
危険を回避したと判断した宮下はまたひょこひょこやってきた。
「俺らも3年前はあんなだっただろ?」
宮下は軽くあいづちを打つ。
「なのにもう高校一年だよ。なんかこのままでいいのかな~ってさ」
僕はまたため息をついた。
「なんだよじじくせえな。 お前だってソフト部やってんじゃんかよ?」
そうなのだ。確かに部活には入ってちゃんと活動もしているし、勉強だって、友達づきあいだって人並みにはやっているつもりだ。
「なんとなく満たされないってかさ……もっとこの時期しかできないことしたいというか……」
自分でもうまく言葉にできない。
宮下はそれを聞いてしばらく考え、はっとして、
「それはつまり、恋愛がしたいってことだな」
と言う。ついでに自分の顎に手を当て、自ら、キラーン、などと言ってカッコつけていた。
僕は今までとは違う種類のため息をわざと大きくついて、ぼんやりと空を見上げた。
(でもそうかもしれないな……この3年間恋愛には無縁だったからな…)
別に周りに女子がいなかったというわけではない。
通っている森が丘学園は共学であり、中高一貫の私立の進学校ということになっている。
もちろんクラスには女子もいるし、学年のマドンナにはあこがれもしたものだ。
だけど、なんとなく熱中する、恋におぼれる、心底惚れるといった感触まで行くことはなかったのである。
(そう言えば…恋っていうものをしたことないんだな……僕は…。……どんなものなんだろう……恋って……)
「まあ、青春とは過ぎ去りしときに分かるものだって誰かが言ってたしな~」
宮下が一人で「うんうん」うなずいているのを聞き流し、僕はまた、ふう、と息をついて、新入生が続々と門をくぐっていくほうへ視線を向けた。
そのときだった。校内放送の音楽が学校の校舎に響き渡り、アナウンスが流れた。
『本日、30×教室で、新入生歓迎会の集会を行います。新歓委員の人は、放課後4時に集合してください。 繰り返します……』
「あ、おい、織倉、お前新歓委員じゃなかったっけか?」
そうだった。
確か今日の朝のホームルームで、一番楽な図書委員になろうとして、希望者が集まったじゃんけんで負けてなれなかったのだ。(やはりパーにしておけば……)
挙句の果てに、その後もじゃんけんに敗れ続け(その後は何度パーに裏切られ続けたことか………)、結局、一番めんどくさいからやる気のある人がなったほうがいい、と先生から念を押された、新歓委員になってしまったのである。
この森が丘学園では、毎年この季節に、新入生歓迎会なるものを行うという、一風変わった習慣がある。新入生に授業の内容やクラブ活動の説明をするのが、本来の目的だが、実際にはそのあとに出されるちょっとした料理とジュース(もちろんノンアルコールだ)を楽しみながら、新入生の中学1年生同士が学校に親しみ、友達と交流する機会を作るというのがメインになっている。まあ学校公認の立食パーティーといったところだろうか。その設営などの準備をするための委員が新歓委員で、あり、高校1年生が担当するのがこの学校の伝統なのである。
そして、毎年、ちょうど三週間前の今日からその準備を開始するのである。
「ったくもう…」
まじめに委員会活動などする気分ではなかった。
まさに踏んだり蹴ったりといったところだ。
そして、ちょうどその校内放送が終わったときに、次の授業の先生が戸をあけて入ってきた。
「お~い、授業始めるぞ~」
先生の声で、立って話していたり、廊下で遊んでいた生徒が、がやがやと教室内に入って席へと向かう。
僕も自分の席に座ろうと歩き出してから、最後にちらりと窓の外を見た。
新入生はもうほぼ全員、門をくぐって、それぞれの帰路についたようだ。
ちょうど最後の一人の新入生が門を出るところが見えた。
(ったく…新歓委員ってね~……)
などと思いながら、深くため息をつき、もう誰もいなくなってしまった校庭に背を向けて、僕は自分の席へと向かった。
このときは、まさか新歓委員になってしまったことが、僕の人生を大きく変えることになるとは、考えもしなかったのだが。