第四章 歌姫の棺(3)
しかし津野はそれに答えようとしなかった。怯えの中に凶暴さを潜めたその目は、追い詰められていた。
「津野さん。今ならまだ、ぎりぎり間に合います。自首してください」
「自首って……、な、何を? は、昭代を殺したのは、姉の、晴代じゃ……」
「いいえ、違います。晴代さんなんて、初めからこの世に存在しないんです」
津野佑香にとって、紗綾のその言葉は自身の砦を崩すには十分だった。それでも、津野佑香はその場から逃げ出そうとはしなかった。
「T駅の花屋で働いていたのは、晴代さんではなくて、昭代さん自身だったんです。昭代さんがメンバーの眼を忍んで働いていたんです。彼女はそれを誰にもみせたくなかった。だから誰かに見つかった時、昭代さんは言い訳ができるように、晴代という架空の存在を作り上げ、晴代として花屋で働き始めたんです」
風が吹いた。さらさらと葉の音がする。丁度夕陽がこの林に差し込んでくる頃合いだった。
「ちゃんとそれは、晴代さんの生まれ故郷で確かめられましたよ。戸籍とか、そういう情報は災害で十分に残っているとは言えなかった。でも、産婆さんがまだご存命で、証言してくれましたよ。三条さんの娘さんは元気な女の子と、死産の女の子二人を取り上げた、と。つまり昭代さんしかこの世には存在しない。でもそれを昭代さん自身、存在していると言ったのだから、昭代さんと晴代さんは同一人物なんです。だから昭代さんが死んで、晴代さんが行方不明になるのは当然なんです」
「でも、それでも、私は……犯人じゃ……」
「それじゃあ、津野さん、ここでその長袖やスカートをまくって、あなたの足とか腕とか、よく見せてもらえませんか? 犯人でなければ、怪我をどこにもしていないはずです」
津野はあわててスカートを抑えた。
「私は不思議でならなかったんですよ。あの現場はいくらなんでも異常だった。花にあふれて、そして死体には首が無い。首を切り落とすのはなかなかの仕事なんです。それをわざわざ切り落とすからには意味がある。なるほど、晴代は昭代が流したうその存在ですが、ここはひとつ晴代が存在するとして話を進めてみましょうか。首が無ければその死体が昭代、あるいは晴代として疑われる。第三の別人である可能性はDNA鑑定で否定されます。結局、DNA鑑定に耐えられるのは被害者が双子な場合しかないんですからね。でも、晴代か昭代が犯人として疑われるなら、何も首を斬る必要は無いんです。双子なんですから顔も同じなんですよ。顔が同じなら、誰かが『彼女には双子の姉がいる』と証言してくれれば、それだけで空想の姉が容疑者になるんですから。わざわざ首を切る必要なんてない」
林の上を、再びヘリコプターが通過していった。その低く唸る振動が二人の間の空気を小刻みに震わせた。




