第三章 音楽談義(1)
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From:瓦木紗綾
先生、ご無沙汰してます。その後の書き物のほう、いかがでしょうか。
実は今、面白い事件に関わっていまして、それについて先生にも意見をいただきたいと思っています。
よろしければ明日、昼ぐらいに御茶ノ水の事務所にいらしてくださいね。
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中央線で御茶ノ水の駅に降り立ってみると、聖橋のたもとには丸ノ内線の鉄橋が走り、その下には抹茶のような深い緑を湛えた神田川が流れている。現代東京の名所の一つだろう。
しかし、そんな名所からひとたび顔をあげてみると、外堀通りに挟まれ、神田川岸にへばりつくように立ち並ぶ、一昔前の建築を目にするはずだ。
名所を眼下に控えているだけあって、そこからの眺めは格別に違いない。しかし、その古さは否めず、いささか心もとない……。いや、無理してきれいな言葉を並べる必要はないだろうか。はっきり言ってぼろくて、おおよそ人間が住には不便しそうな建築がちらほら。その一つに足を踏み入れると、ギシギシと音を立ててきしむ階段を上って、その取っ付きの部屋。鉄の扉に磁石で張られた粗末な紙。「瓦木探偵事務所」。少し斜めになっている。私はそれを見るとほっとしたように扉を叩いた。ここには呼び鈴も無いのである。二、三秒部屋の中でゴトゴトと音がすると、次に扉に手をかける音、錆びた鍵の音、そしてようやく軋りながら扉が開いた。
「ああ、先生。お待たせしました。どうぞどうぞ、入ってください」
中からひょっこりと顔をのぞかせたのは瓦木紗綾である。私は頭を下げると、招かれるまま瓦木紗綾の事務所に足を踏み入れた。
ふと涼しい風が吹き抜けると、廊下の壁がバサバサと音を立てた。壁には一面、新聞の切り抜きが貼りつけられているのだ。それだけで、ここが女子大生の住まう場所とは思えない。それでも瓦木紗綾はこの音が気に入っているのか、くすぐったそうに笑いながら私を奥の部屋へと通した。
「いや、すみません。急に呼び出しちゃって。ちょっと今日は先生に聴いてもらいたいものがあるんです。あ、えっと、その前に、暑いでしょう」
瓦木紗綾はそう言いながら私にソファを勧めると、奥の台所に向かって、オレンジジュースとクッキーを持って戻ってきた。私が立ち上がってそれを受け取ろうとすると、瓦木紗綾はなぜか面白そうに、
「いや、今日は先生がお客さんですから。お客さんは座っててくださいよ」
と、いたずらっぽく笑って見せた。私にはまだ、今日呼ばれた理由がわからなかった。ただ、面白い事件について私の意見を聞きたいと瓦木紗綾は言うだけだった。しかし、私は素人の探偵作家であって、瓦木紗綾に対して犯罪を説くというのは変な話だと思った。いつもは逆である。私は瓦木紗綾から事件の話を語り聞かせてもらい、それを文章にしているのだ。だから、私に事件の意見を聞きたいというのはどうにも不思議だ。瓦木紗綾は私を座らせるとその前にオレンジジュースを置いて、私の向かいに腰を下ろした。




