第六時間 『責任者不在の方が幾分かマシの状況』
『魔術』
自分、もしくは外部に存在する魔力を何かしらの物体、現象、エネルギー等、様々なものに変換させ、操作する技術の総称。
基本的に魔術の工程を分けると、魔術を物体に変換する『生成系統』、魔術で物体を操作する『操作系統』の二つに分けられる。これ以外にも様々な工程が、魔術の種類によって存在するが基本的な魔術はこの二つだけで構成されている。
魔術を使用する際は、トラブルなどを防止するため、この二つの工程をスムーズに行えることが重要であり、そのために『精神統一』が推奨されている。
これは、精神を落ち着かせる、つまりは魔力回路内の魔力の流れを精密に操作することにつながっており、魔術師の中では、長い時間をかけて肉体の緊張を解き、精神を落ち着かせる『瞑想』と一定の動作を行うことで短時間だけ精神を落ち着かせる『予備動作』が主流。
「はぁ...あんまりこの部屋には来たくなかったんですけどね」
「どんな人なんですか、最早怖く思えてきたんですけど」
あの白い猿のような魔術生物をジョーカーがぶっ飛ばした後、俺たち救助に参加した(そのうち二人は役に立ってない)生徒は、ディル先生に案内されて、魔術生物を研究している教授の元に行くことになった。
しかし、完全に温厚なディル先生にここまで辛辣に言われる教授っていったい何なんだ、研究とかのし過ぎで狂ってしまったりでもしたのか。だが、ジョーカーがどうしても文句を言いたいと聞かなかった。こいつ、この一日でストレス溜めこみすぎだろ。
ディル先生がコンコンコンと小気味よく三回ノックする。
「はーい、どうぞー」
「なんですか、この全く緊張感のない女の人の声は。腹立ってくるんですけど」
「魔術生物の脱走に気付いていないのかしら...それか多分どうにかなると思ってるのかしらね...」
「いいですか、皆さん。この先でその女の人がどんな姿をしていても冷静でいてください」
「「「「「初めてだよ、ただ部屋入るだけでそんなこと言われたの!!」」」」」
全員のツッコミが炸裂すると同時に、ディル先生がドアノブを回して部屋に入る。なんか過剰とも思える忠告を聞いたばかりのせいか、扉が開く時のかすかな音でさえも耳障りに聞こえてくる。
そして部屋に入った俺たちの視界に飛び込んできたものは―――
「あー、ディル君じゃーん!どったの、今日は?」
「......」
その人は、色んな意味で大人の女性と言える人だった。美人で見た感じスタイルもいい。茶髪のポニーテールと眼鏡がチャームポイントの女の人だった。
ただ、なんでこの人はバスタオル一枚を体に巻いてるだけで部屋をうろうろしているんですかねぇ...
多分、俺以外のここまで案内された生徒も全員この疑問が頭から離れなかったことだろう。
「あれ!?生徒さん!?どうしたの、この子たち?」
「僕のクラスの生徒たちです、それで僕が来た理由はですね―――」
「3、4、5...ご、5人もいるわ...はぁ、はぁ...」
「ちょっと教授、こっちを向いてください」
「いやディル君、そっちこそ黙ってて、生徒さんの息遣いが聞こえてこないでしょ」
なんですか、この本能を揺さぶるようなゾッとする恐怖は!?ジョーカー以外の全員が明らかに顔が引きつっている。そして少しずつ全員が一歩一歩後ずさりしていた。
「ねぇ、その一番右の女の子ちゃん」
「わ、私なのだ...?」
その時、ベルネがピンポイントで指名されて後ずさりする足がとりあえず止まった。その姿を見た教授は軽く舌なめずりした後―――
「スカート下ろして足先からペロペロさせてもらっていいかしら!?」
「「「「へ、HENTAIだあああああぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――ッッ!?!?!?」」」」
それ以上の言葉は最早不要だった。目の前のこれを言い表す言葉は。
そしてベルネが本日二回目の涙目で逃げ出そうとした瞬間、先にバスタオル一枚の教授が飛んできた。荒い息遣いのまま、スカートそのものに飛び込むぐらいの低空でベルネに突進していく。
「ベルネ避けろ!?そこで捕まったら、そのHENTAIなしでは生きられない体になるぞ!?」
「いやあぁぁぁぁ――――――!?!?そんなの嫌なのだああぁぁぁぁ―――ッ!?」
だが、恐怖で腰が抜けてしまったベルネは教授の勢いに気おされ、ぺたんと尻餅をついてしまう。俺は反射的に手を伸ばすが、遠すぎて届かない。あぁ...さようならベルネ、せめてお前の黒歴史となる数秒先の未来は目をつぶっておくよ...
「おい」
「「「「「え」」」」」
その時、大量のストレスから来るドスの効いた低い声が地を揺らすように響いた。その時には、教授の向かう先の途中に限りなくムカついているとテレパシーでも聞こえてきそうな怒りの形相のジョーカーが立ちふさがっていた。
次の瞬間、ジョーカーが繰り出した渾身のけたぐりが教授の顔面を捉え、その衝撃で眼鏡を粉砕して、教授はきりもみ回転しながらジョーカーとベルネの横を通り過ぎ、またもや顔面から地面に落ち、埃をまき散らしながら顔面を引きずりながら、壁にまで激突した。見ていてなんだけど、かなり痛々しかった。というかジョーカーさんの表情に冗談っぽさがなさ過ぎて今はそっちの方が怖いです。
「あのジョーカーさん...文句を言う相手が気絶しましたけど」
「最早文句を言う気も失せた。HENTAIにはあれがお似合いだ、ずっと地面に頭を埋めていればいい」
「辛辣!!そんでその表情、本気で思ってるんだよね、今の言葉!」
しかし、それでジョーカーの怒りは収まらなかったようで、人差し指を立てて、魔術生物をぶっ飛ばした時と同じように指先に魔力を球状に溜め始めた。
「とりあえず消し飛ばしておくか...」
「やめろジョーカー!?後で何か奢ってやるから今日だけは押さえてやってくれェ!?」
「わ、私も何か奢るのだ!?それ以上やったら犯罪なのだ!?」
咄嗟に正気に戻ったベルネと俺が説得することで、なんとか考えを改めてくれた。うん...ありがとうね、抑えてくれて。そう思えてしまうほど、この後もジョーカーは阿修羅みたいな表情のままだった。
***
数分後、復活した教授と改めて部屋の中で話をすることになった。
「あーごめんねー、そっちのクラスに迷惑かけてたんだ」
「...」
「ジョーカー抑えるのだ、抑えるのだ」
「ごほん、リリー=アンジェリカ教授」
ベルネがまた無言で魔力を巡らせ始めたジョーカーを宥めている隣で、ディル先生が咳払いをして真面目な表情で本題を始める。
リリー=アンジェリカと呼ばれた教授は、今はバスタオルではなく、黒のブラウスの上に白い研究衣を羽織っている。この状態ならまだまともに見える。さっきの騒動がなかったら、十中八九真面目な人だと勘違いしていただろう。
「貴女はこれまでにも、自分の研究対象である数々の魔術生物の逃亡を許し、他の教授、先生方、そして生徒たち、ひいては学園全体に多大な迷惑をかけています」
「え、えっと...あはは~......」
「それに前の事件の際に起こった器物破損等の弁償がまだ終わっていません」
「い、いや~...えへへ~......」
「これ以上、何か起こるようなら、この部屋を使用禁止にさせてもらいますが...?」
「は、はい、すみませんでした...」
軽い雰囲気で流そうとしていたらしいが、ディル先生の威圧によって根負けして謝った。この人今まで何してきたんだ。
気になって部屋を軽く見渡してみる。数々の鳥かごやケージに入れられた多数の小動物がそこら中にいる。正直、獣臭い。だが、そのどれも俺には全く名前を知らない種類ばっかりだった。
「そもそもどうやって、共同実験室で飼育していたホワイトマンドリルを逃がしたんですか」
「「「「「ここにいたんじゃねぇのかよ、あの猿!?」」」」」
い、いや確かに窓の大きさや扉の大きさ的にあの猿が出入り出来るとは思えない。かと言って窓とかが壊れているわけでもない。
でもさ、信じられないだろ?それが事実だって言うなら、実験室の獣を逃がした後、自室で風呂入る人が目の前にいるってことになるんだぜ?クソ過ぎるだろ。
「い、いやー...実はその共同実験室に置いておいた魔石がどっかに行っちゃってね。探してるうちにケージの扉を開けてたみたいで...」
「...なんでその後すぐに報告しないんですか」
「魔石探してて」
「......」
「ジョーカー、やめるのだ!やめるのだ!」
またかジョーカー...今もベルネにがっつり抑えられている。だが気持ちは分かる。最早この場にいる全員が目の前の教授とは名ばかりの下衆をリンチしたいという衝動に襲われていた。
ディル先生すらもそうらしい。微かに青筋が浮かんできた。だが大人らしく我慢して更に質問を続ける。
「...じゃあなんで、お風呂に入っていたんですか...」
「やっぱり見つからなくてさー、一回さっぱりしてから探せばもしかしたら見つかるかなーって」
「「「「「風呂入ってもお前の心は洗われないから意味ないだろーが、産業廃棄物ッ!!」」」」」
この時点で、全員の良心が活動を停止した。
「ご、ごめんねー...反省してます...」
「...はぁ、とにかく今回の事件で起こった弁償代も全部新しくツケておきますね」
「お願いします...」
やれやれ、やっと終わったか...このままジョーカーも引き下がってくれれば、今日のところは山場は超えたはずだ。超えたよね?新しい山ないよね?
「...ちょっと聞きたいことがある」
だが、ここで言葉を発したのは、まさかのジョーカーだった。あの阿修羅のような怒りの表情は収まり、逆に至って真剣な厳しい表情をしていた。
「え、えと...本当、これ以上は私何もしてないけど...何かな?」
「あんたが探してた魔石っていうのは、どういう代物だ?」
「あ、あー...それかぁ」
なーんだ、という感じで安堵しているリリー教授。そういうのすらうざく感じているのは、俺の心が油断出るからじゃないよね?でも、確かにそれは俺も気になる。他の皆もそうであるらしく、皆して真剣な表情になっていた。
「私の知り合いの伝手で手に入れたものなんだけどね?ダイヤモンドってあるじゃない、宝石の。それに魔力が溜まった『金剛呪石』っていうものなの」
「どういうものなんですか?」
すかさずミリアが追加の質問をする。
「他の魔力に指向性を持たせられるんだよ。大昔から儀式魔術の要に使われた宝石の魔石の中でも、金剛呪石は最高クラスに安定性が高くて、細かい操作も楽にできるんだ」
「なんでそんな効果があるんですか?」
「ダイヤモンドは蓄積出来る魔力の量が少ないの。それに硬度で言ったら世界最高とも言われるじゃない?だから中に溜まった魔力は外に出ないし、中に新しく魔力が入っていくこともない。ダイヤモンドに当たった魔力は表面を滑って、そのまま流れて行ってしまうの。その表面を滑る魔力を、ダイヤモンドの中にある魔力を媒介とした操作魔術で簡単に方向転換や、出力調整が出来るんだよ。だから指向性を持たせる効果がある、とされているの」
そんなものが紛失するって、なんか嫌な感じするな。ただの泥棒がただの宝石だと思って盗んだ可能性もなくはないけど...いや、この教授なら他の教授の嫌がらせを受けているだけって可能性もあるな。別に深刻に考える必要はないか。
そんな中、ジョーカーは顎に手を置き、俯きながら何かをずっと考え込んでいるようだった。こいつ的には、自分が被害を被った原因の話でもあるわけだから、真剣に考えているのかな。
「では...そろそろ戻りますが、皆さんいいですね」
「「「はーい」」」
「...」
「ジョーカー、どうした?」
「...いや、なんでもない。俺も大丈夫です」
ジョーカーも真剣な表情を崩して、これ以上は考えないようにしたようだった。
皆が部屋の外に出ていった後を、最後尾の俺はついていき、最後に扉を閉めた。
なんというか、あれだな...限りなく最悪な人だったな。
「アーカード、ベルネ」
「え?何?」
「何なのだ?」
扉を閉めた途端、さっきよりも真剣な顔で俺とベルネを呼ぶジョーカー。なんだろう、ちょっと嫌な予感がする。
「昼飯の時間になったら一品ずつ奢ってもらうからな」
「「......せこい」」
こいつも十分クズい気がしてきた。
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