第五話
『よーしよーし、戻ってこーい』
江は懐からプラスチックの容器を取り出し、赤いキャップを外して空中に掲げた。
飼い犬を呼ぶような気の抜けようだが、みるみる内に空っぽの容器の中が透明な水で満たされていった。
『先輩、もう帰ってもいいんすか?』
江は容器のキャップを閉めながら近くまで駆け寄って来ていた文草先輩に向き直して言った。
『まだダメですよ、事後処理がいろいろありますので赤躅先輩が来るまで少し待っていてください』
* *
観戦室ではオリヴィアさんがぱちぱちと拍手を送っていた
「いい勝負だったねぇ~。まだ一年の始めなのに二人とも能力をよく使えてるよ、特に江は大雑把だけど自分の能力がよくわかってるよね」
「いやいやいや、そんなことよりさっき政宮が不正してるって江が言ってたけどいいんですか!?」
「あー、だ~いじょうぶだいじょうぶ。そういうのは律人に任せておけばいいよ。それじゃ向こう行こっか」
俺とオリヴィアさんは観戦室から体育館内へと移動した。
オリヴィアさんの言った通り、目を覚ました政宮は少し抵抗したものの赤躅先輩によってすぐに抑えられた。
政宮は決闘に負けたことに加え、四戸貝、灰羽、利尻の3人の取り巻きから能力の補助を受けていた罰として最低三カ月の間、俺や江との接触が禁じられた。
「江は大事な話があるからこっち来てね~。あ、長くなるから直人は帰っていいよ」
決闘の後処理が終わり、寮へ帰ろうとしたところで江がオリヴィアさんに連れていかれてしまった。話は個人的な内容らしいので先に昇降口で待つことにした。
靴を履いて校舎から出る。日光の届かない地下にいたせいで時間間隔がずれていて西日が眩しい。
この島で季節を感じるのは難しい、わかりやすく春を告げる桜の木が存在しないからだ。仮にあったとしても、昨年からの暖冬で例年に比べてかなり気温が上がるのが早かったので既に花は散ってしまっているだろう。
「うーん」
壁によりかかって端末を弄っていると校舎の影になる辺りから声が聞こえた。
声のした方を覗き込むと、亜麻色の髪の女の子がしゃがみ込んでいた。
「どうしたの?」
声をかけると、ビクッと肩を震わせてこちらを振り向いた。
こちらを見上げて小さくあっと呟いたあと、上を指さした。
軒下に壁の白とは違う色のボウル状の塊が見えた。よく見ると表面がゴツゴツとしており、所々に木の枝のような物が飛び出している。
昔入院していた時にも似たような物を見た覚えがあった。あれは間違いなくツバメの巣だ。
「あの巣から落ちたみたいね」
彼女は今度は視線を下に向けて言った。
視線の先の地面には小鳥がいた。全体的に青みがかった黒い体色に朱色の顔をしている。モゾモゾと動いているからまだ生きているようだが、右の翼が変に曲がってしまっていた。
「骨が折れてるのかな。この島って獣医とかいるんだっけ、心当たりある?」
この島は名目上俺達のようなTW-32を投与された患者の経過観察をするための場所だ。当然医療施設の数も他の地域より多い。とはいえこれは人間に限った話なので、この島に獣医がいるというのは聞いたことがなかった。
ダメ元で心当たりがないか聞いてみたが、やはり知らないようで首を横に振るだけだった。
「治すのは私でもできると思うけど、治した後にどうしようかと思って」
「普通に巣に戻すんじゃダメなの?」
「ほら、翼の付け根の所をよく見て、フワフワした羽が残ってるでしょ」
確かによく見ると所々にフワフワした羽がある。
「少し調べてみたんだけどこの子まだ子供みたい、親鳥が育児放棄することもあるらしいからもしかしたら落とされたのかも」
そう言って彼女は持っている端末の画面をこちらに見せた。画面にはツバメの子育てについてのウェブサイトが表示されていた。
たしかにサイトには親鳥が育児放棄を行うこともあると書かれている。
「う~ん、これ飛ぼうとして落ちて怪我しただけなんじゃない?」
「え?」
思いついたことをそのまま口にすると、彼女はぽかんとした顔でこちらを見た。
「見た目はほとんど大人の鳥と変わらないし、育児放棄だとしたら上の巣かこの辺りに他の子鳥が落ちてるはずだと思うんだよね」
二人して上にある巣に視線を向けるが、そこには他に小鳥がいるような気配はなかった。
「親に捨てられたのかと思ったけど考えすぎだったのかな」
彼女は落ちていたツバメを両手で掬い上げ、そのまま優しく包み込んだ。そのまま少しの間動かず祈るように目を閉じていた。
「よし、これで治ったかな?」
彼女はゆっくりと小鳥を包み込んでいた手を開いた。先ほどまではモゾモゾと動くしかできなかった小鳥は手の平の上でしっかりと二本の足で立ち。自分の体を確かめるように翼を広げていた。
「ひゃっ」
突然ツバメが激しくツバメをはためかせ手の平から飛び立った。
飛んでいくツバメから目を離し、彼女を方を見ると尻もちをついていた。驚いて転んでしまったのだろう、壁に頭をぶつけたのか後頭部をさすっている。
「大丈夫?」
近くに駆け寄って手を差し出した。
ありがとう、と言って彼女が伸ばした手にはべったりと真っ赤な液体が着いていた。先程さすっていた後頭部から出血しているようだ。
「えっ、ちょっと!急にどうしたの」
俺は彼女の腕を掴みそのまま背負う、後ろから抗議する声がしたが気にせず保健室へと走り出した。
前回から一年経ちました。
お元気ですか?私は元気です。