公爵令嬢は王太子と邂逅する その一
ソレーユは人生の中で、最大の危機を迎えていた。
王太子イアサントと二人きりになってしまったのだ。
今まで、何度か会うことはあったが、常に侍女や近侍がいた。今回、重要な話をするので、最初に人払いをした結果こうなってしまう。
イアサントは腕を組み、険しい表情でいた。それは無理もないだろう。ソレーユは勝手に第二王子ギュスターヴとの婚約披露パーティーを抜け出し、姿を消したのだから。
もう、会うことはないと思っていた。そのつもりで、王都から飛びだしてきたのだ。
けれど、世界は案外狭く、イアサントとこうして邂逅してしまった。
彼を前にして、ソレーユは気づく。幼い頃に芽生えた恋心は、まだ心の中にあると。
初恋の花は、まだ枯れていなかったのだ。
イアサントとの出会いは、八歳のとき。父親に紹介され、初めて顔を合わせた。
七歳年上の王太子は大人びていて、すっと伸びた背筋に、キリリとした雰囲気もあいまってソレーユはひと目で好きになってしまったのだ。
もともと、婚約話はソレーユが生まれたときからあったようで、いつかイアサントの隣に立つ日がくると信じて疑わなかった。
辛い妃教育にも耐え、未来の国母となるために、男性顔負けの教養も身につけたのだ。 年の差があって、イアサントはずっとソレーユを妹のように見ていた。
それが悔しくて、大人の女性として見てもらうため、背伸びをしていたように思える。
十六歳の社交界デビューの日に、ソレーユは高い踵の靴を履いて転びそうになった。その瞬間、イアサントはソレーユの腰を支えて助けてくれた。恥ずかしくて、穴があったら入りたい気分になったが、彼は笑顔を浮かべて言った。
――もしも将来、私がこのように転びそうになったときは、ソレーユが支えてほしい。それが、理想の夫婦像だ。
そんな言葉をかけてくれたのだ。
イアサントに釣り合うように、ソレーユは背伸びをしていた。その結果、周囲が見えておらず、いっぱいいっぱいになっていたのだ。
自分も、イアサントを助けられるような存在でありたい。そのためには、しっかりイアサントを見ていなければ。背伸びなんて、している場合ではない。見た目ではなく、心を磨かなければならないのだ。
イアサントの隣に立つため、今まで以上に頑張らなければ。
そう決心し、ソレーユは心を入れ替えた。
それから一年後の春――ソレーユはイアサントから求婚を受けた。
春薔薇が咲き誇る美しい庭で、突然申し込まれたのだ。
嬉しかった。ソレーユの頑張りが、報われたような気がしていた。
婚約発表は冬の社交期に。そんな話もイアサントとソレーユの両親の間で話し合われていた。
それなのに、イアサントとソレーユの婚約話はあっさり破談となる。
隣国の王女がイアサントと結婚を望んだのだ。
代わりにソレーユに舞い込んできたのは、悪名高い第二王子ギュスターヴとの婚約話。
彼は会うたびに別の女性を連れ、女性を妊娠させては堕胎させたり、飽きたら捨てたりと、悪い噂が尽きない男だったのだ。
ギュスターヴとの結婚だなんて、ありえない。それが、婚約話を聞いたソレーユの一言だった。
けれど、父親に貴族の女性の務めだと説得され、頷くこととなった。
イアサントからは、十枚に及ぶ謝罪と事情を説明した手紙をもらった。
そこで、ようやく今回の事態が夢ではないと気づく。あまりにも非現実なことで、ソレーユは受け入れられなかったのだ。
それから、何度かイアサントから面会したいと手紙を受け取っていたが、体調不良を理由に断っていた。もちろん、本当に体調不良というわけではなかった。
イアサントを前にすると決意が揺らいでしまうから、会えなかったのだ。
そこから先の記憶は曖昧だった。
あっという間に婚約お披露目パーティー当日となり、ギュスターヴは愛人同伴で現れ、隠し子を自分の子どもとして育てるように言われた。
ソレーユの中の何かがブツンと切れた。
死んでもいいからと、二階の窓から身を投げ出し、きれいに受け身を取る形で着地してしまったのだ。
これは、神様がくれたチャンスだと、ソレーユはパーティー会場から逃げ出した。
できるだけ、遠くに逃げよう。ソレーユは宝石が縫い込まれた豪奢なドレスを売り、王都から脱出する。
ソレーユは自分が箱入り娘という自覚があった。もしかしたら、途中で公爵家の者に捕まってしまうかもしれない。
悪い人に、誘拐される可能性も考えていた。
ある程度警戒し、路銀に金を惜しまなかったからか、ソレーユの初めての一人旅は意外にも成功してしまう。
社交場で情報を仕入れつつ、ゆっくり時間をかけて旅した。
その結果、思いがけず見聞を広げることとなる。
食べる物に困っている人がいた。職がないと、嘆く者もいる。
通常の物価より金額を上乗せして、商売をする者もいた。
自分が身を置いていたのは、どれだけ幸せな世界だったか、思い知らされる。
それでも、戻ってギュスターヴの妻となることは、そのときのソレーユには難しかった。
旅立ちから一か月後、フォートリエ子爵家の娘リュシアンの結婚話を耳にする。
侍女が必要かもしれないという話を聞き、侍女に名乗り出ようとフォートリエ子爵領を目指している最中、悪漢に絡まれてしまった。
危機を救ってくれたのが、コンスタンタンだった。




