お嬢様は、王太子を前に戦々恐々する
王太子の愛人となるのか。
それとも、第二王子と結婚するのか。
王太子妃となるために、日々血が滲むような花嫁修業をしてきたソレーユにとって、究極の選択となるだろう。
リュシアンはそっとソレーユを見る。
俯き、隠された中にある表情は、唇を噛みしめ、わなわなと震えている。
王太子に泣きつくのは簡単だ。けれど未来の国母となるため、厳しい教育を叩き込まれたソレーユは、正しい道から外れた人生を選べない。
ソレーユの中にある揺るがない価値観が、王太子に甘えることを妨害している。
そんな気高い彼女が、王太子の正妃であったらどんなによかったか。
「ソレーユ。すぐに、決められることではないが、ゆっくり悩んでいる時間はない」
「……」
王太子は、膝に置いていた人差し指を、トントン叩く。それは、ソレーユへの催促に見えた。この場で決めるようにと、暗に言っているのだろう。
「それはそうと、エステル姫は元気だろうか」
リュシアンは一瞬、エステル姫とは? と首を傾げそうになった。しかし、すぐに思い出す。
エステル・ラ・ヴィクトリーア・レイン。
王太子に輿入れする予定の、十五歳の隣国の王女の名だ。
彼女は今、王太子の要請で王の菜園に滞在していることになっている。
しかし、エステル姫はここにはいない。エステル姫の身代わりである、シルヴァンならばいるが。
王太子が何をしにここへやってきたのか、リュシアンは疑問に思っていた。
用事もなしに、来るわけがない。エステル姫に会いにきたのだ。
「リュシアン嬢とは行動を別にしていたようだが、エステル王女はどこに?」
王太子の問いに、答えられる者はいない。
「男装して過ごしたいなどと、おかしなことを言っていたようだが、どのようにして過ごしている?」
鋭い声色の問いかけに答えたのは、コンスタンタンだった。
「エステル王女におかれましては、毎日畑に出て、農業に触れ、野菜の世話と収穫、そして、農業作業者とのふれあいを通じて、癒やしを感じているようです」
コンスタンタンは淡々と報告する。嘘は言っていない。
もともと、感情が表情に出にくいことが幸いし、動揺も顔に出ていなかった。
リュシアンが内心ホッとしたのもつかの間のこと。
思いがけない方向から、疑問の声が上がってくる。
「アランブール卿、エステル王女って、どういうことなの?」
ソレーユの問いかけをきっかけに、部屋の温度が、十度ほど下がった気がした。リュシアンはぶるりと震える。
ソレーユには、エステル王女について話をしていなかった。シルヴァンがエステル王女の身代わりだという件は、知らなかったのだ。突然、隣国の王族が滞在していると知らされ、驚いただろう。
コンスタンタンはさすがというべきか。無表情のまま、ソレーユを見ていた。
「その件については、あとで話す」
ソレーユは何かを察したのだろう。コクンと頷き、それ以上質問してくることはなかった。
このまま会話が一段落つけばいいと思ったが、王太子は引き下がらない。
「エステル姫と面会したい。今すぐに」
「急な訪問でしたので、用意もできておらず」
「そうだな。女性の準備は時間がかかるものだからな」
王太子は、女性の身支度について理解があるようだった。今日、面会は難しいだろう。そうコンスタンタンが返すと、王太子は「そうだろう」と言って頷く。
今日はこのまま帰ってくれないか。そう願っていたが、残念ながら王太子は容赦なく追い打ちをかけてきた。
「そのままの姿でいい。エステル王女を、連れてきてくれ」
リュシアンはコンスタンタンの手の甲に、自らの指先を重ねる。
コンスタンタンは、リュシアンをじっと見下ろした。
無表情のように見えて、コンスタンタンの瞳は困惑で揺れている。
どうすればいいのか、迷っているようだ。
「コンスタンタン・ド・アランブール。貴殿は、国に奉仕する立場の騎士だろう? いつの間に、隣国の王女に忠誠を誓った?」
「いいえ、誓っておりません。私の主君は国であり、国の象徴たる王族にあります」
「ではなぜ、エステル王女を連れて来ない? 何か、私に言えない事情を抱えているからではないのか?」
ここで、王太子が先触れなくアランブール家を訪問してきた理由に気づく。
王太子はエステル王女の身代わりに、気づいていたのだろう。
「今日、訪問したのは、王族としてではなく、一個人としてやってきた。その意味が、わからないお前でもないだろう」
「……はい」
「早く、連れてこい。長くは、待たないぞ」
コンスタンタンは立ち上がった。リュシアンも立ち上がろうとしたが、手で制される。
「これは、私個人の判断でするものだ。アンは、関係ない」
「いいえ、関係なくはありません」
リュシアンはコンスタンタンの手を握り、訴える。
「コンスタンタン様が決めたことは、わたくしの決めたことでもあるのです」
「……わかった。では、エステル王女のところに、行こう」
「ええ」
ソレーユと王太子、二人きりにする時間も必要だろう。
リュシアンはコンスタンタンと共に、客間をあとにした。




