お嬢様は修羅場を見守る
王太子の眉間の皺は解れない。
それもそうだろう。ソレーユは第二王子との婚約お披露目会を抜けだし、一時行方不明となった。
王都に帰ってきても、王の菜園にいるという情報は伏せられていた。ソレーユの実家である公爵家は、王太子に戻ってきたと報告していなかったようだ。
ソレーユは膝の上にあった手をぎゅっと握りしめる。拳は微かに震えていた。
彼女の口からは、何も語られない。
いかに、第二王子がソレーユを蔑ろにしたということも、語るつもりはないようだ。
シンと静まりかえる。気まずい沈黙の中で、声をあげたのは意外にもコンスタンタンだった。
「アン、この、アップルパイはどうしたのか?」
「あ、あの、蜜リンゴを収穫して、作ったのです。まだ温かいので、どうぞ、召し上がってください」
皆の視線が王太子に集まる。
「せっかくなので、いただこう」
ソレーユは緊張の面持ちで、王太子が蜜リンゴのパイを食べる様子を見つめていた。
リュシアンは二人の様子を、固唾を呑んで見守っている。
「おいしい。おそらく、今まで食べた中で、もっともおいしいアップルパイだろう。素晴らしい一品だ」
王太子は淡く微笑みながら、蜜リンゴのパイを絶賛した。
ソレーユは、頰を染め嬉しそうにしていた。だが、すぐに顔は真顔にもどった上に、伏せられる。
「これは、王の菜園の喫茶店で出す品目なのか?」
「ええ、その予定ですの」
「きっと、人気の品になるだろう」
王太子は蜜リンゴのパイをペロリと食べた。強ばっていた表情も、すべて食べきったときには和らいでいた。
リュシアンも、温かいうちに食べる。
「本当に、おいしくできていますね。ソレーユさん。初めて作ったとは、思えません」
「え、ええ」
リュシアンの言葉を聞いた王太子は、首をわずかに傾げる。
「その言い方だと、アップルパイはソレーユが作ったように聞こえたのだが」
「はい。このアップルパイを作ったのは、ソレーユさんです」
「す、すべてではないの。王太子殿下と、リュシアンさんの物だけ、私が作ったアップルパイなだけで……」
「ソレーユが、これを?」
「ええ」
「なぜ、料理を?」
「リュシアンさんに、教えてもらったから。料理は、人を笑顔にする素晴らしいものだと。私も、誰かを笑顔にしたいと思って」
「そうだったのか」
事実、ソレーユの蜜リンゴのパイは、険しい表情だった王太子を一瞬にして笑顔にした。彼女の願いは、叶ったのだ。
「ソレーユ、私に話すことはないか?」
「……」
王太子の態度が軟化しても、ソレーユは唇をぎゅっと結んだまま。
リュシアンの胸は締め付けられる。
第二王子は最低最悪のことをした。愛人が四人いるだけでなく、その中の一人が妊娠したので引き取って正妻の子として育てたいとまでいってきたのだ。
王太子妃となるために育てられ、教育を受けてきたソレーユにとって、それは屈辱的なことだっただろう。
彼女は死すら選ぼうとしたほど、追い詰められてしまったのだ。
ただこれらの情報は、リュシアンの口から王太子へ伝えていいものではない。
ソレーユ同様、唇を結んで黙っていなければならなかった。
「ソレーユ、私はすべて知っている」
「な、何を、存じているというの?」
「愚弟、ギュスターヴのことだ」
王太子は第二王子がしでかしたことを、すべて把握していた。
「二人の結婚は父が決めたことだが、醜聞が広がったら破談になっていただろう。なぜ、何も言わなかった? もしもソレーユが私に助けを求めたら、すぐにでも動くつもりだった」
パッと顔を上げたソレーユの表情は、苦しげだった。今すぐ泣きたいのに、泣けない。彼女の自尊心が、涙の機能を止めているのだろう。
「王家の醜聞を王族自らが流すなど、ありえないことだ。しかし、ソレーユが頼ってくれたのならば、それも構わないと思っていた。ずっと傍において、守ろうと考えていたのだ」
傍に置くというのは、結婚し妻として迎えることではない。
けれど、第二王子と結婚するよりはマシだ。
「ソレーユは私に助けを求めることなく、かといってギュスターヴと結婚する道を選んだわけでもなく、最悪な形で姿を消した。どれだけ私が心配したのか、考えもしなかったのだろうな」
「申し訳、なかったわ」
「私は王太子という立場上、できることとできないことがある。ただ、ギュスターヴとソレーユの結婚話は、何度か止めるように父に言っていたのだが、止めることはできなかった」
公爵家の娘という立場上、国内で釣り合う相手が第二王子しかいなかったようだ。
もしも、第二王子と結婚しないのならば、余所の国へ嫁がせるという話も浮上していたらしい。
「ソレーユ、まだ、ギュスターヴとの婚約は破談になっていない。時がくれば、公爵家は連れ戻しに来て、再び結婚させられるだろう」
現在のソレーユは、療養中という名目で王の菜園にいるだけなのだろう。
彼女の両親も、しばらく休んだら元気になると思っているのかもしれない。
王太子はソレーユに問いかける。
「ソレーユ、君は、どうしたい?」




